2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧
『水先案内人になっちゃった』 浦安の夢のみずうみ村で水先案内人になっちゃった。 話は、こうです。 浦安の夢のみずうみ村では、毎朝数多いプログラム、役割や行事の中から、利用者各自がが自分自身の判断で選択して一日の日程を準備します。 一定のプログ…
『女性物理学講師の牧会』 携帯電話やメ−ルを対話を重ね祈りを合わせてきた、沖縄の女性物理学講師から、 7月29日{日}夜、以下のようなすっきりしたメールが届きました。「宮村先生 卒論の巻頭言について,再考いたしました。 初心に立ち返って,今の心境を…
1971年11月14日 『礼拝の生活』64号(巻頭言)「特別伝道集会を終えて―感謝と新しい課題―」 11月5日、6日、7日の特別集会が祝福の中に終りました。私たちの多くの欠乏にもかかわらず、主なる神御自身が私たちを導いてくださったことを深く実感させられました…
[1]序 (1)入院 2009年12月18日(金)、脳梗塞のため那覇市立病院に入院、明けて1月13日(水)、リハビリに集中するため大浜第一病院へ移ってからの日々、多くの方々の祈りと好意に支えられ、4月4日のイ−スタ−を前に、4月2日(金)退院できました。 今…
1971年10月31日 『礼拝の生活』63号(巻頭言)「愛の根拠と力―11月7日(日)を前に―」 信仰、希望に続いて、聖書が宣言している「愛」の事実に聞き入りたいと願っています。 しかし、「愛」という言葉を口に出したり耳にしたりするのが、誠に空しく感じられる…
「植物あっての植物学」 ―生けるキリストの証人、万代恒雄―[1]序 今も手元にある、古び色変わりした小冊子、『のぞみ』。これは、1956年4月、日本アッセンブリ―小岩教会少年部が発行したものです。この50年何回も繰り返した引越し。太平洋を横断し…
『止めを刺す』 今、日々私の意識している、万代恒雄語録の一つ、 それは、『止めを刺す』なのです。 「宮村君、君は人がよくて甘いから止めを刺すときに、手が緩むんだ」と個人伝道の際、 信仰の決断への導きの時、一歩引きがちの私の実情を万代先生は、見…
2004年9月12日 宇都宮キリスト集会『公同の祈り』 Ⅰテモテ2章1-7節[1]序 (1)おはようございます。今朝も、皆様と、このような形ですが、Ⅰテモテを読み進めることが赦され、感謝です。今朝は、2章へ入ります。(2)文脈。1章の最後に言及されている信仰の戦いに…
W.T.ランドール宣教師ご夫妻からバトンタッチ 2009年3月22日、私ども二人は、普天間バプテスト教会の主日礼拝に出席しました。 敬愛するW.T.ランドール先生の沖縄における最後の宣教。 エレミヤ18章1−10節(新共同訳) 『火の中を通してみないと』 実…
1971年年10月17日 『礼拝の生活』61号(巻頭言)「信仰の第一歩―11月5日(金)を前に―」 キリスト者は信仰がとても重要だと考えます。 しかし信仰が大切だというのは、何もキリスト者に限ったことではありません。 「何の宗教も結局同じこと。何を信じようと…
専業主婦か宣教主婦か 昨年5月、25年間の沖縄での生活から関東に戻って以来、幾つもの新しい恵みの経験をしています。 犬棒神学では、「犬も歩けば棒に当たる。人間生きれば、恵みに当たる」が、大切なカルタの札です。新しい恵みの経験の一つが、隔月拙宅で…
1971年10月10日 『礼拝の生活』60号(巻頭言)「特別伝道集会の目的」 11月5日(金)、6日(土)、7日(日)毎夕七時からの特別伝道集会のために、祈りつつ準備がなされています。ここで、この特別集会の目的をもう一度再確認することは、決して無駄ではな…
2002年5月21日(月)午後2時 牧港中央バプテスト教会 沖縄聖書神学校 ペンテコステ祈祷会 『聖霊も私たちに』 ヘブル10:15ー18「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。あなたがた…
『礼拝の生活を生き抜く』−1970年代と2010年代ーその一貫性と進展性− ローマへの手紙11:36−12:2 2011年7月24日(日) 青梅キリスト教会修養会Ⅱ [Ⅰ]序 (1)午前の伝道礼拝に引き続き、修養会Ⅰで、聖書を集中的にまた組織的に学びみことばを味わいました。…
1971年10月3日 『礼拝の生活』59号(巻頭言)「点から線へ」 私たち青梅キリスト教会は、今、大切な過渡期にあります。 青梅キリスト教会が、現在、自立、自給、自伝の教会として存在するようになった背後には、二十年間の祈りと戦いの歴史があります。 私た…
2012年7月、沖縄へのメール ★Mご夫妻とは、沖縄滞在25年間を通じ親しい交わりを頂きました。 ご夫妻宅で開かれた『十字架の言』(高橋三郎先生)の読書会の一回一回、忘れがたい恵みでした。沖縄を離れて、主にある交わりは、ますます深められています。 19…
★女性物理学講師とメールと電話を通して交流を続けています。 物理学の研究と教育に励む人間・私についての聖書的な自覚が、共通の課題になりつつあります。私としては、「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」との信仰告白をより深く告白できる端緒にな…
1971年9月26日 『礼拝の生活』58号(巻頭言)「あること」と「すること」 10月3日の臨時教会総会を前に、教会について、またキリスト者各個人について、もう一度考えさせられていることがあります。 それは、教会として「あること」と教会として「すること」…
★数年前、『牧会ジャーナル』誌上でお伝えした以下のこと、最近、再度強調せざるを得ない事態に直面しました。 要するに聖書全体の統一性の課題です。 ばらばらの文書の寄せ集めではなく、聖書全体は互いに有機的に関わる統一性をもつ、生ける神のことばとの…
Sご夫妻 頌主 メール受け取りました。感謝します。「・・・ような気がします。」という表現気になります。 宣教・説教において、『・・・思います」という表現、その背後にある聖書に対する姿勢との戦いは、私個人にとってばかりでなく、聖書解釈、論文指導、説…
1971年9月19日 (巻頭言)『礼拝の生活』57「第一回合同青年会の集いを終えて」1971年9月14日、15日の両日、奥多摩バイブルキャンプ場で、横浜と青梅の合同の集いが持たれました。 使徒のメッセージに見る聖霊の力との主題のもとに、30余名の青年たちが集い…
2012年7月22日 聖望キリスト教会 主日礼拝 ヨナ書1章17−2章10節(2) 『主は、・・・ヨナは、・・・』(2)今、ここに現臨なさる、御父、御子、御霊、生ける三位一体の神の御名を讃美します。 [1]序 (1)ヨナ書1章17節から2章10節の2回目として、今朝…
名護チャペルと名桜大学★昨年2011年5月に、25年の沖縄での生活・牧会活動から関東へ居場所を移して以来、沖縄との絆は、少なくとも私自身の中では、より強まることはあっても、弱まったり、ましてはなくなったりすることなどありません。 沖縄との絆と言えば…
1章の聖書各書③ ヨハネの手紙第三 2012年年7月22日(日)午後 聖望キリスト教会 聖書味読・身読会[1] 序 (1)手紙の発信人と手紙の受取人 「長老から、愛するガイオへ」(同1節) ヨハネの手紙第二同様、発信人と受信人を明記しています。○まずアウトラ…
1971年9月12日 『礼拝の生活』56号 (巻頭言)「秋の課題(2)」 私たちの秋の歩みにとって、11月5日(金)、6日(土)、7日(日)の特別集会がいかに大きな課題であるかは、前号で見てきた通りです。 しかし特別集会だけが私たちの課題であるのでは、勿論…
第11回市川うちな−んちゅの部屋祈祷会 沖縄、琉球神学 | 編集 第11回市川うちな−んちゅの部屋祈祷会日時 2012年7月21日(土)午後2時 場所 〒272 -0034千葉県市川市市川3 -37 -11A 市川うちな−んちゅの部屋 祈祷課題 基本課題 基地返還後の沖縄の展望のため …
1971年9月5日 『礼拝の生活』55号「秋の課題(1)」 台風の影響のためでもあるのでしょうか。 すっかり涼しくなりました。数週間前の暑さが、まるでうそのようです。身も心も落ち着いた今、秋から充実した歩みを始める時です。 そこで、9月からの課題を11月…
2012年5月9日(月)、吉枝隆邦君が、武蔵野線東所沢駅の改札へ、私のずっと先を行く姿を目にしたのです。日本センド派遣会理事会出席のためセンドセンターへ向かう際です。吉枝君は、いつも私の先を行く。それが私は嬉しい。 1957年4月、高校同期の吉枝君は、…
1971年8月29日 『礼拝の生活』54号(巻頭言)「詩篇をもって祈ろう」 旧約聖書の丁度真中に、詩篇があります。それで、聖書を手にする最初の日から、詩篇は、私たちの目にとまりやすく、現実に読まれています。 また、青梅キリスト教会の毎主日礼拝では、い…
昨夜遅く、竹下力兄が、「喜びカタツムリの便り」12号の一斉発信をして下さった。 一応車は運転はするが、整備は何一つ出来ず、一切専門家にに頼り切っていた沖縄時代。市川でのパソコン使用にも同じ情けなさ、毎月発信ごとに竹下兄にすっかり。ただ発信の時…