専業主婦か宣教主婦か

専業主婦か宣教主婦か
昨年5月、25年間の沖縄での生活から関東に戻って以来、幾つもの新しい恵みの経験をしています。
犬棒神学では、「犬も歩けば棒に当たる。人間生きれば、恵みに当たる」が、大切なカルタの札です。

新しい恵みの経験の一つが、隔月拙宅で開かれるフィリオ会(世界宣教祈祷会)です。
海外でキリスト信仰に導かれたり信仰生活をした経験のある婦人方が、世界宣教のためひたすら祈る集いです。
 集いの場所を求めておられたのと私たちの転居が重なり、拙宅を祈祷会の場所として用いて頂いているのです。

 大きな恵みです。教えられ励まされています。
全く自発的に、落ち着いた的確な事実判断に基づく世界宣教の祈りが積まれているのです。そして毎回笑いが溢れているのです。

 7月23日(月)の祈祷会でも、何回か祈りの順番の輪が回り、心満たされホッとした中でのことでした。
 一人の方が、「私たちは専業主婦なのかしら、それとも宣教主婦なのかしら」との言葉。
実感のこもった語呂合わせに、女性6名と男性1名は、大笑い。
あうだ、こうだと言葉が飛び交う中で、何ごとにつけても発言せず黙っているのが難しい私も、「よい専業主婦なので、よい宣教主婦になれている」、と。なぜそうか説明する時間はなかったのですが。
 
 次回9月24日(月)午後2時からの世界宣教祈祷会が、今から楽しみです。