W.T.ランドール宣教師ご夫妻からバトンタッチ

W.T.ランドール宣教師ご夫妻からバトンタッチ

 2009年3月22日、私ども二人は、普天間バプテスト教会主日礼拝に出席しました。
敬愛するW.T.ランドール先生の沖縄における最後の宣教。
  エレミヤ18章1−10節(新共同訳)
  『火の中を通してみないと』
 
 
 実に心の奥底に届く、宣教でした。
 
 ランドール宣教師ご夫妻は、ベトナム戦争の時期、沖縄の米軍基地に反対したとして、宣教団から離れざるを得なくなりました。
そうした中でも、ご夫妻と沖縄のキリスト者・教会のある方々と絆は固く、主に大学での働きを積極的に続けながら、普天間教会での牧会を支えて来られたのです
  
 私の沖縄着任後1986年年4月から、首里朝祷会で、ランドール先生を含め数名の牧師・宣教師が毎週土曜日か月曜日にみことばをともに味わう朝祷会に参加したのです。なかなか出席者が増加せず苦労しました。しかし月に一度は、数名の牧師・宣教師それぞれの説教を、必ず聴き、また自分自身も説教をする交わりを通して、相互信頼は確かなものになりました。

 その後20年余、ランドール先生との主にある交わりを通し静かな励ましを受け続けました。特に私がかなり激しい躁鬱(そううつ)の中で、首里福音教会の牧会、沖縄聖書神学校での授業、それなりの執筆活動を続けているのを知っておられて、住居が近いこともあって、郵便局などでお会いする必ず、「宮村先生、元気」、「宮村先生、大丈夫」と、短い言葉で話しかけてくださいました。
 それは、一日の終わりに、「今日は、ランドール先生とお会いした」と改めて覚えて、
心温まるしみじみとしたことばなのです。

『火の中を通してみないと』
 私たちの沖縄での経験は、勿論、ランドール先生方の『火の中を通してみないと』に比較できるようなものではありません。
 
 しかし私たちの身丈にあった限りの『火の中を通してみないと』ではありました。
特に2006年3月を中心とする三年余の修羅場。
それは、小学下級生の孫のめぐみが「おじいちゃんたち、だれからお金をもらうの」と小さい胸を痛めることも含むものでした。
 福音宣教の機会を妨げられただけではない。
1986年4月以降、首里福音教会を中心に語った宣教の記録が抹殺・消去される事態なのでした。

 1986年4月の宮村家族の着任に備えて、会堂建設の計画と協力依頼が教会外へ送付された際、最初の応答者として献金を送金して下さったのは、無教会の高橋三郎先生でした。
 2006年4月以来、その首里福音教会の講壇から私は説教することができないばかりか、会堂を訪問することもできません。
 
 こうした野垂れ死の覚悟の事態の中で、広い所への導きの約束は、文字どおり現実となっていきました。

聖書 詩篇118篇5節
  「苦しみのうちから、私は主を呼び求めた。
  【主】は、私に答えて、私を広い所に置かれた。」

聖書 詩篇18篇18、19節
    「彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。
    だが、【主】は私のささえであった。
主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。
    主が私を喜びとされたから。」

詩篇31篇8節
    「あなたは私を敵の手に渡さず、
     私の足を広い所に立たせてくださいました。」

 ランドールご夫妻とのお別れにあたり、心からのはなむけとして、宮村武夫著作集刊行の賛同人の一人となっていただきたいと申し出ました。
ランドール先生はとても喜んでくださり、賛同人の一人になってくださいました。
 金城重明先生とランドール先生お二人が、賛同人になってくださっている事実、私にととって嬉しい感謝のことです。
  
 金城重明先生、池永倫明先生、W.T.ランドール先生からバットンタッチを受けた者の意識をもって、沖縄での25年を過ごしました。
 同じ意識で、沖縄を離れ沖縄へ向けての喜びカタツムリの歩みを一歩一歩と夏から秋を見通しています、感謝。