『女性物理学講師の牧会』

『女性物理学講師の牧会』
 携帯電話やメ−ルを対話を重ね祈りを合わせてきた、沖縄の女性物理学講師から、
7月29日{日}夜、以下のようなすっきりしたメールが届きました。

「宮村先生
卒論の巻頭言について,再考いたしました。
初心に立ち返って,今の心境をつづります。

6月25日に,お電話で頂いた課題であります。
その間,記憶にまつわる内容のメールを,二つ送信いたしました。考えることで,頭と心の整理がついてきたようです。

先日のお電話では,過去の自分について再考することで,今の自分が見えてくるとのご指摘でありました。

物理学とは,自然界のしくみを知ろうとする学問である。
創造主なる神が,宇宙をかたちづくり,それを保っておられる。
神様が,自然の中に隠しておられる法則を見出していく,その楽しみと喜びを,砂浜で探しをするときの思いにたとえた。

直後の大学院時代,私が携わった研究課題は,専門化された領域において,定量することが目的の実験研究であった。
正確性や緻密な手作業が要求される実験内容であり,正直,扱っている現象それ自体に強く興味をひかれる類のものではなかった。
結果的に,知的好奇心や探究心が薄れていったと自覚している。

しかし,その一方で,細かい作業を行なう実験技術は鍛えられ,手先は器用になった観があるのも事実である。

大学教員にとって,研究における業績は重要な意味を持つ。過去において,教会の諸集会への参加,姉妹会における奉仕や伝道活動を優先させた。
結局,本来,やりたかったはずの研究活動を犠牲にしてしまった。
別の要因もあって,研究活動を思うように展開することもままならず悲痛な思いをずっと抱えていた。

研究室で過ごす時間が増えた今日この頃,対照的に構内を散歩しながら,花や樹木,小鳥達のさえずりを楽しむことが少なくなった。
考え事をしながら移動しているだけで,どうも周囲の風景が見えていない。それが今の私の現実である。

海のものとも山のものともつかぬ研究が,望みのようである。
幸い,近年,そのような課題に取り組む機会が与えられた。
当初は,試行錯誤の連続になることが予測されるが,
心が元気になれそうである。

神様と対話をしながら,大学院時代に培った実験技術を生かして実験研究に取り組む所存である。

以上
NK」

 このメールに対して、さっそく沖縄へ向けた私のメールは、手短。
「N姉
頌主
 メール受け取りました。感謝します。

 曇り空から、ぱっと晴天なったすっきりした
印象を受けました。
今までの経過が用いられてのことであると
理解します。
 
私なりにブログを通して応答させて頂きます。
時間的など制約の中ですが。

ところで私の方ですが、今までは、原稿を書けば終わり。
後の編集も販売も一切ことば社が汗をかいてくれていた事実を改めて教えられています。

 刊行に難ぎしているだけでないのです。
刊行されたものが、願ったように売れない実情です。
 今までの原稿書きなどちょろい仕事だと遅まきながら学び、書けばいいだけのブログに励んでいます。

夏の日々、祝福が豊かにありますように。

 忍耐と希望(ローマ8章25節)
 宮村武夫・君代」

 打てば響くような応答が、沖縄から。
「宮村先生
ご返信,ありがとうございました。

私のほうも,昨夜は書きながら,何か吹っ切れたような感覚を覚えました。

長年の自責の念から解放されたのかもしれません。
すべては主の御手の中にあり,益とされることを信じ,
初心に立ち返って研究に励みます。

著作集,ブログのうえに,祝福が豊かにありますように。
暑い日が続きます。どうぞご自愛下さい。
NK」

 このやり取りを繰り返す中で、同じ沖縄の中嶋聡医師との交わりを思い起こし、以下の文を再確認しました。宮村武夫著作集出版記念会で、挨拶したものです。

★著作集刊行の目的の一つ・私案
「牧会」の本来の、深い、豊かな理解と実践を求めて−

[1]序 
 牧会は、牧会者である牧師だけがするとの狭い、一面的な理解と主張が幅を利かせている現状に違和感を覚え続けてきたのです。
 これに対比して、私なりの理解と主張の要点を中嶋聡兄が、『愛の業としての説教』の帯に書いた推薦文で提示。

[2]聖書に根拠
 創世記2章15節 本来の人間
「神である【主】は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」
参照創世記3章18,19節 現実の人間
「3:18 土地は、あなたのために、
  いばらとあざみを生えさせ、
  あなたは、野の草を食べなければならない。

3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、
  ついに、あなたは土に帰る。
  あなたはそこから取られたのだから。
  あなたはちりだから、
  ちりに帰らなければならない。」

マタイ11章28−30節
「11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

 11章28節だけでなく、29,30節も。正しく、深く豊かに理解し実践。
28節が特定の人だけに限らず、すべての人に開かれているように、29,30節も同様。

[3]中嶋聡兄の場合
宮村先生は首里福音教会牧師時代、私たち教会員に、『持ち場立場でのそれぞれの活動が牧会である』と言われました。みことばに堅く立ち、それぞれの現場を大切にし、現実現場に即してものを考えようとする姿勢です。
 ご自身の持ち場・沖縄を人一倍愛しつつ、曖昧な妥協を嫌い、先入観にとらわれずに社会や歴史を判断する強さをお持ちです。そんな先生の著作集に心から期待しています。」

 中嶋兄は、なかまクリニック院長、宮村の主治医。また宮村の牧師であった教会の教会員であり役員、何よりも神の御前における、人間と人間の20年以上にわたる交流。

[4]集中と展開
牧師の役割の一つ、しかも重要な一つは、教会員各自が牧会できるような説教を、主日礼拝を中心に語り続け、結実を見ること
 その営みと、著作集の刊行が絡み合えれば幸い。アーメン★

 NK姉も、大学における物理学の研究と教育の場・姉妹の牧会の場で、聖霊ご自身の導きと聖書をメガネにして自然界のしくみを深く豊かに直視続け、若い世代とのN先生らしい全人格的関わりがなされるように。
 
そのためにブログと著作を含め私の交流が用いられるように願い祈るのです。