「詩篇をもって祈ろう」『礼拝の生活』再考その54

1971年8月29日
『礼拝の生活』54号

(巻頭言)「詩篇をもって祈ろう」 

旧約聖書の丁度真中に、詩篇があります。それで、聖書を手にする最初の日から、詩篇は、私たちの目にとまりやすく、現実に読まれています。
また、青梅キリスト教会の毎主日礼拝では、いずれかの詩篇一篇が選ばれ、司会者と会衆が声と心を合わせて交読がなされています。この面からも、私たちは詩篇を直接に読む機会に恵まれています。
 
 ではこの百五十篇の詩篇は、一体何なのでしょうか。
一言で言えば、唯一の生ける真の神の誉を、イスラエルの具体的な信仰生活の中で、賛美し続けたもの言えるでしょう。百五十篇の実に多種多様な詩篇の中心主題は明らかです。神の誉をたたえる一事にあります。
 しかし、重要な事は、具体的な信仰生活の体験を通して、その中で神の誉が讃えられてている点です。ここに、深い意味があります。つまり、詩篇は、いろいろな生活環境の中からの祈りなのです。
 単に祈る人の外的環境が種々異なるばかりではありません。祈る人の気持ちも様々です。恐れ、悲しみ、歓喜、苦悩、望みなど、考えられるあらゆる情緒における祈りが含まれています。

 ですから、イスラエルの民の歩み、初代教会、そして、長い教会の歴史を一貫して、公同の礼拝においても、個人的な礼拝においても、詩篇が歌われ、念じられ、祈られてきたのは当然とさえ言えます。

 詩篇を歌い、念じ、祈る人は、常に神の民の一員として、その営みを続けます。
神の救いの歴史の中に含まれ、恵みの中に生かされている一人として詩篇を読むのです。
いや詩篇を祈るのです。詩篇によって祈るのです。
神の御言葉によって召され、御言葉によって答えて生きる神の民によって、詩篇は祈られます。詩篇のこうした深い意味を、主日礼拝や個人の礼拝において具体的に味わい知ることは、聖霊によって生きる教会の歩みにとって重要な課題であると確信します(礼拝の生活 54号参照)。

 詩篇を唱え、念じ祈る時、主なる神が人の心に直接満たしてくださる喜び、楽しみを現実に体験していきたいものです。失望、嘆き、悲しみ、恐れ、疑い、悩みの中にある者の心を、突然、主の栄光が満たし給う。これは、詩篇の作者自身が体験している恵みの事実です。たとえば、詩篇13編を、今、読んでみてください。
 
 詩篇の作者が体験した驚くべき恵みを、同時に、長い歴史を通じて、詩篇を祈ってきた神の民たちも味わってきたのです。そして現に、聖霊ご自身によって生きる教会として歩もうとするなら、私たちが味わう恵みです。
「主をほめたたえよ
 われらの神をほめうたうことは
 よいことである。
 主は恵み深い。
 さんびはふさわしいことである”
 (詩篇147:1)
 
 最後に、幾つか、詩篇によって祈る場合の実際的な注意をお知らせします。
まず声を出して読むことをお勧めします。
私たちの生活環境は、そうすることをなかなかゆるさないのです。しかしいつも心がけていると思わぬ道が開かれます。

 また何より続けることが大切です。自分なりの日課を定める必要があります。
一日一篇とか、一日五篇1箇月で一通り、さらに同じ一日五篇でも一篇、三十一篇、六十一篇、九十一篇、百二十一篇と選ぶとか、工夫したいものです。
 
 詩篇を唱え、祈るとき、主なる神は直接私たちの心に喜びを満たされます。波立つ心に。

No Bible, No Breakfast 聖書読まずに、朝食とるな
 日本クリスチャン・カッレジの1年生のホーク学長の独特な授業での勧めでした。
1958年以来、私のキリスト信仰の歩み、その様々な時や場所で、変わることのない支えとなりました。一日五篇1箇月で一通りと言う歩調を、残念ながら守ることは出来ませんでしたが。しかし詩篇を日々読む、この恵みを50年来曲がりなりにも味わうことが許されたこと、大きな恵みです、
 ホーク学長への感謝を今にです。

 詩篇味読の思い出の一つ。
宇都宮キリスト集会の風間サク姉の最晩年に、沖縄からパソコンで大きな字に打った詩篇の聖句を時に応じてお送りしたことです。例えば、以下のものを。

詩篇の味わい
詩篇48篇10節
 「神よ。あなたの誉れはあなたの御名と同じく、
  地の果てにまで及んでいます。
  あなたの右の手は義に満ちています。」

詩篇48篇1節
 「主は大いなる方。大いにほめたたえられるべき方。
  その聖なる山、われらの神の都において。」

詩篇51篇10節
 「神よ。私にきよい心を造り、
  ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。」

詩篇67篇1節
 「どうか、神が私たちをあわれみ、
  祝福し、
  御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。」

詩篇84篇1節
 「万軍の主。
  あなたのお住まいは、
  なんと、慕わしいことでしょう。」

詩篇98編1節
 「新しい歌を主に歌え。
  主は、奇しいわざをなさった。
  その右の御手と、
  その聖なる御腕とが、
  主に勝利をもたらしたのだ。」

詩篇100篇1節
 「全地よ。
  主に向かって喜びの声をあげよ。」

詩篇100篇5節
 「主はいつくしみ深く
  その恵みはとしえまで、
  その真実は代々に至る。」

詩篇103篇12節
 「東が西から遠く離れているように。
  私たちのそむきの罪を私たちから遠く話される。」

詩篇107篇1節
 「主に感謝せよ。
  主はまことにいつくしみ深い。
  その恵みはとこしえまで。」

詩篇119篇105節
 「あなたのみことばは、
  私の足のともしび、
  私の道の光です。」

詩篇121篇1節
 「私は山に向かって目を上げる。
  私の助けは、
  どこから来るのだろうか。」

詩篇127篇1節
 「主が家を建てるのでなかれば、
  建てる者の働きはむなしい。
  主が町を守るのでなければ、
  守る者の見張りはむなしい。

詩篇133篇1節
 「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、
 なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」

139篇14節
 「私は感謝します。
  あなたは私に、奇しいことをなさって
  おそろしいほどです。
  私のたましいは、それをよく知っています。」

139篇23節
 「神よ。
  私を探り、
  私の心を知ってください。
  私を調べ、
  私の思い煩いを知ってください。」