『聖霊も私たちに』

2002年5月21日(月)午後2時
牧港中央バプテスト教会
沖縄聖書神学校
ペンテコステ祈祷会

聖霊も私たちに』
ヘブル10:15ー18

「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです。」
(ヨハネ15章26,27節)

[1]序
(1)昨年に引き続き、このように沖縄聖書神学校のペンテコステ祈祷会を持つことができ、心より感謝します。
 主なる神が、沖縄聖書神学校に校舎を与えてくださるとき、その中心となる場所は、礼拝堂・チャペルと確信する者の一人です。そのときを心に描きつつ、このときを過ごしたく願います。

(2)今首里福音教会の主日礼拝では、ヘブル人への手紙を味わっています。この午後、ヘブル人への手紙が聖霊ご自身について言及している意味深い箇所(2章4節、3章7,8節、6章4-6節、1章29節)の一つ、10章15節を中心に、15-18節に意を注ぎ、ペンテコステを記念し、祈りのときに備えたいのです。

[2]「聖霊も私たちに」10章15-18節
(1)15節では、エレミヤ31章31-34節の引用し、聖霊ご自身をその語り手としてしています。この事実と平行する、ヘブル人への手紙の著者による、二つの興味深い旧約の引用を見ます。
第一は、10章5節で、詩篇40篇6-8節を引用して、それを主イエスのことばとして受け止めています。

第二は、1章5節です。ここでは、詩篇2篇7節を引用し、それを父なる神のことばとして著者は明示しています。 
このように、1章1節の事実を知る著者は、同時に、聖書全体を、父、御子、御霊なる、三位一体の神のみことばとしてしっかり受け止め、指し示します。

(2)16節、人の心また思い、全人格に働いてくださる、主なる神の働き。ヨハネ14章-16章に約束されている、聖霊ご自身の御業です。

[3]「新しい契約」(8章13節)、17,18節 
その中心は、主イエスの贖いによる罪の赦しです。これこそアドナイ・イルエの恵(創世記22章14節)です。他のところに根拠を求める必要はないし、出来ないのです。

[4]結び
罪の赦しの恵。聖霊ご自身が、私たちの心に、生活・生涯に。そして沖縄聖書神学校の各自と群れ全体に。
罪の赦しを絵画のように、美しく印象的に描いている、ルカ15章22-24節に注意したいのです。主イエスのもとに人が来るとき、何が起こるか。共に食事をし、喜ぶ、参照ネヘミヤ8章1-12節。沖縄聖書神学校の校舎が与えられるとき、もう一つの中心は、食堂であることを願う者です。
喜びにあふれて自分の務めを行なうのです。

◆今回、ヘブル人への手紙に見る聖霊ご自身について思い巡らすに当たり、一つの助けがありました。A,B.シンプソン、『新約における聖霊』(いのちのことば社、1955年)です。この本、もう各頁の色も変わっています。戦後10年に印刷された本です。出版後50年の年月の重みを感じます。著者には、『旧約における聖霊』もあります
A,B.シンプソンと言えば、『聖歌』の中に、566,588,592,597,598,602,618番など、彼の作詞のものが数多く含まれています。それらは、彼がどのように聖書を読み、主イエスに従い歩んだかを、時代を越え、時代を貫いて私たちに示してくれます。
 
 「よし世のすべては、かわるとも
   変りなきイェスに さかえあれ
     さかえあれ さかえあれ
       変わりなきイェスに さかえあれ」(聖歌602番)