植物あっての植物学」―生けるキリストの証人、万代恒雄―

「植物あっての植物学」
―生けるキリストの証人、万代恒雄―

[1]序 今も手元にある、古び色変わりした小冊子、『のぞみ』。これは、1956年4月、日本アッセンブリ―小岩教会少年部が発行したものです。この50年何回も繰り返した引越し。太平洋を横断したり、沖縄に渡ったりしたにもかかわらず、今日まで最も身近に保持し続けてきたのです。
その小冊子巻頭言で、万代先生は、『救い』と題し、当時高校生であった私どもに「救われるという経験ほど実感のこもったものは」と語りかけています。
 
[2]「植物あっての植物学」 
火事の現場からの救出を例にあげ、「このような体験はあなたの一生涯、その記憶の中から消えません。またその助けてくれた人に対して当然、あなたは一生感謝するでしょうし、その事は忘れたくても忘れない」と私たちの日常生活で起こり得る出来事を通し分りやすく語っておられます。
 この日常生活において経験し得る救い・救出と比較して、「私たちがイエス・キ
リストによって救われるとき、これは、はるかに重大な意味があります。」と一転、「信仰の創始者であり、完成者であるイエス」(ヘブル12章2節)を見上げよと無比の一点を万代先生は指し示しています。
 
そして「年若い時に、神の尊い救いを味わった諸兄姉のこの体験が絶対一生涯消えないことを祈ります」と、50年余もなお高校生たちのその後の生涯に決定的な影響を及ぼす祈りを祈られています。
 
巻頭言の結びを、畳み込むように万代先生は一気に書きあげています。
 「まず救われてみることだ、
  信じてみることだ。
  植物があっての植物学である、
人間がいるからこそ人類学がある。
  人類学が人間を造り、
 植物学が植物を生み出したのではない。
  救いがあって初めて救いの定義が、
あなたの心の中に生み出されるのである。」

[3]生けるキリストの証人・万代恒雄 
「植物があっての植物学である」。これこそ、50余年前、27歳の万代先生が,17歳の高校生に明示した真理です。
同時に万代先生が生涯をかけて、いつでもどこでも、語り書き続けた恵みの事実なのです。 

(1)「生けるキリストの愛」
 万代先生とキリスト信仰二人旅を歩み続けた君恵先生。その君恵先生の筆により、何より先生の心を通して描き出された、『神と共に歩む』(日本地域社会研究所、2007年)。その各項目は、万代先生の生涯と信仰を活写しています。
 たとえば、同書の「生けるキリストの愛を体験して語りなさい」との項目で書かれた一文は、生けるキリストご自身こそ、まさに「植物あっての植物学」が指し示している実体であると浮き彫りにしています。
 この生けるキリストとの出会いと対話は、先生が心読し続けた聖書を通してなされるのです。聖霊ご自身の導きによる真読を通して。
 「聖書の中に出てくる神に用いられた人の話は大好きでした。特にペテロ献身のお話、あの漁師ペテロが神に仕えるようになるプロセスは、何度も何度も聖書をめくりながら新しい神の御意思の発見を求めていました」(同書82頁)。

(2)パウロに見るお方・キリスト信仰
生けるキリストを指し示す、「植物あっての植物学」消息は、まさに聖書そのものなかに息づく恵みの事実です。
たとえば、徹底的な教えの手紙である、ガラテヤ人への手紙。そこでパウロが展開しているすべての教えは、「生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方」(1章15節)、生けるお方・キリストとパウロとの出会いに基づくのです。確かに、主イエスは十字架で罪人のため身代わりとなり、のろいを身に受けて死なれました(3章13節)。そして罪と死に打ち勝ち復活して下さったのです。 

しかしそうであっても、この恵みの事実を、パウロは、ダマスコの途上で自分自身のための恵みの事実として全身全霊で受け入れる必要があったのです。
そして聖霊ご自身は、聖書を用い、時代と場所を越え、生けるキリストとの出会いを生み、恵みの成長を導かれるのです。そうです。万代先生が、「小さな教会の特別集会の夜」(前出書84頁)に体験し、青年伝道者万代として語り始め、全生涯において聖書に堅く立ち福音を宣べ伝えた。この聖書を源泉とする説教・宣教に、神の恵みにより応答する人々が各地で起こされ続けたのです。

〔4〕結び 
ところで万代先生は、「植物学」を否定したのでしょうか。
 そうではない。アンデレ宣教神学院の設立を、万代先生の目指した、「植物学」と見ます。特に恒雄先生と一貫した歩みをなしつつ、なお進展している栄嗣先生が中心となり発刊された、学院の研究誌 SIGNSに、それを見るのです。これもまた、十分に意を注ぐべき恵みの事実なのです。