「秋の課題(2)」『礼拝の生活』56

1971年9月12日
『礼拝の生活』56号
 
巻頭言)「秋の課題(2)」 

私たちの秋の歩みにとって、11月5日(金)、6日(土)、7日(日)の特別集会がいかに大きな課題であるかは、前号で見てきた通りです。
 
しかし特別集会だけが私たちの課題であるのでは、勿論ありません。すべての問題がそうであるように、私たちの秋の課題も、平凡な戦い、日常生活の中での静かなしかもそれなりに厳しい戦いなのです。
 
戦いである以上、まず自らの姿を知ることが何より大切です。この秋の期間、私たちひとりびとりが、イエス・キリストを信ずるとは何か、キリストを信じて生きるとは何か、神の恵みの中に生かされるとは何かを、じっくり考えたいのです。
そして単に個人として自分の姿を知るだけでなく、キリストの教会の一員としての自らの姿をも知りたいのです。キリストにある神の民として生かされる姿、神の恵みの中に、世の光・地の塩として生かされている姿、青梅キリスト教会はいかに生きるべきか、本当にじっくり考えたいものです。これこそ秋の課題です。
 
個人として、また教会全体として自らの姿を知るとき、私たちは常に冷静に自らの弱さや欠点を見出すことができます。失望にいたるためではなく、真に弱さを知って弱き者を通して栄光を表わされる主なる神を仰ぎ望むために。
これこそ秋の課題です。私たちは、現実に生き、戦う青梅キリスト教会の一肢体として、全体に心をくばりつつ、成長させてくださる神に信頼し続けるのです。
全体に心をくばるとは、小さなことを含みます。教会の集会に初めて出席した方に対する深い関心と具体的な交わり。
そうです。言葉をかけあうこと、そんな小さなことが課題です。

小さな、日本新約教団に属する青梅キリスト教会の一員として、個人としても群れとしても、キリスト教会とは何か、いかに生きるべきなのかを求めつつ歩み続けることが許された恵み、改めて感謝します。