名護チャペルと名桜大学

名護チャペルと名桜大学

★昨年2011年5月に、25年の沖縄での生活・牧会活動から関東へ居場所を移して以来、沖縄との絆は、少なくとも私自身の中では、より強まることはあっても、弱まったり、ましてはなくなったりすることなどありません。

 沖縄との絆と言えば、当然様々な方々時間や地理的条件に制約され同時にそれを貫き越える人格的交わりが基盤です。

 さらに石川福音教会や那覇聖書研究会、名護チャペルさらに沖縄宣教研究会などとの交わりも、大きな意味を持ちます。
 
名護チャペル
その中で、名護チャペルとの関係は、名護チャペルの協力宣教師として任職された特別な関係です。

 名護チャペルとの出会いと交わりの深まりは、みことばを中心に、比較的短期間に実現しました。。
英国の宣教団体の宣教師・牧師としての働きである、あの辺野古のある名護市のクリスチャン・リンク名護チャペル(田野秀康・道子牧師夫妻名桜大学正門前)で、2010年後半から、8回も宣教の機会が与えられました。7年間の開拓伝道後、田野宣教牧師ご夫妻が同年9月−11月休暇を取られたのです。
 
田野先生と君代は何と岩手県北上市にある高校の同窓です。
 田野ご夫妻お二人は、東京芸大卒の音楽家、ユニ−クな全人格的な宣教を展開。
あの出会いは、私たち四人の心と心を固く深く結びつけ、田野先生ご夫妻が休暇から帰国後も、12月、1月、2月もそれぞれ2回主日礼拝宣教を担当することになりました。
 ついには、2011年5月24日沖縄出発直前の5月22日、私は名護チャペルの協力宣教師として任職したのです。
司式は、日本聖公会沖縄教区谷昌二主教
。父が聖公会の会員であったこともあり大きな恵みでした。

沖縄における教会と大学 
聖書は、単に教会内だけではなく、全生活の全領域で道の光、足のともしび。主日礼拝に出席する者各自のどのような生活のどのような領域においても。
 その一つとして、徹底的な聖霊信仰・徹底的な聖書信仰の立場から、沖縄における教会と大学の関係を、25年間一貫して考えていました。
本来の神学とはどうあるべきかを思索しながら、また沖縄における宣教の神学を実践する手掛かりとして。

大学を聖書で読む
天地の創造者、全能の父なる神を私たちは信じ、告白しています。
聖書は、そのお方の作品である宇宙、特に人間について与えられた創造者(メーカー)からの説明書です。
この事実のゆえに、聖書を通し与えられている創造者である神のご計画(グラド・プラン)を軽視したり、まして無視して、宇宙、歴史、人間について、本当に理解することはできない。神の創造の御業である、ユニバース・宇宙。神の御業である万物の全領域を研究し、教育するユニバーシテイ・大学。本来の総合大学は当然神学部を、不可欠のものとして持つべきと、ハーバート大学と上智大学での経験から深く確信するようになっていました。

沖縄にはそれぞれの建学の精神をもって建てられた、二つの短大を含めた八つの大学。今後加えられるものを含め、各大学での研究と教育のため、沖縄の教会は、祈り続けて行く責任と特権があります。その使命を、名護チャペルは、目の前にキャンパスのある名桜大学に対して果たす喜びを注がれています。

小さな経験 
過って十数年にわたり、主にある兄弟・長田兄の技官室(電子情報)で、琉球大学聖書研究会を継続しました。一時は、かなりの学生が集うときもありました。
しかし全体としては、二、三名で聖書を読み、今の、そしてこれからの「情報」をめぐる一切のことがらを話し合い、祈りを継続したのです。
聖書で情報に関する事柄ついて考えることを大切にしたのです。この歩みの中で、さらにすべてのことにかかわる大切な二つの点を、深く教えられました。
一つは、継続する覚悟がないことは始めない
次に始めたことは、継続する。この二点。

天田繋先生作曲、日本二十六聖人『長崎殉教オラトリオ』の上演
2002年の受難週の3月28日(木)、29日(金)、シュガーホールで、天田繋先生作曲、日本二十六聖人『長崎殉教オラトリオ』の上演を実現できました。
2000年の日本伝道会議の恵みに、沖縄でどのように応答するかを目指すものでした。
その際、沖縄県立芸術大学との協力を基本方針として私なりに強く求めたのです。

このコンサートにかかわる県芸の教授、学生、卒業生のための祈りの責任を自覚しました。聖霊ご自身が、音楽の分野を含め、私たちの全人格、全機能を導いてくださる確信に立っての祈りです。
また本当の音楽を求める人は、音楽を体現する人間・私とは何かとの問いに直面するに違いないとの確信です。
本来の人間のあり方は、主イエスの救いによる本来の人間への回復によってのみ可能であり、人間らしい人間、私らしい私のうちから音楽が湧き溢れる恵みを覚えます。
聖霊ご自身の導きのうちに、その実現を求める祈りがコンサート実行委員会で、また実行委員会を通じて諸教会で積み重ねられることを期待し続けたのです。
大学のための祈りを通して、大学への宣教も着実に進展し、大学の神学も確立し展開すると琉球神学を夢見たのです。

こうした祈りの中から、今回の名護チャペルとの出会いが与えられ、さらに名桜大学への展望も与えられようとしていると理解します。

指針となる先達のことば
カルヴァンアウグスティヌスの書簡からの引用。
わたしは進歩しつつ書き
 書きつつ進歩する人のひとりであることを告白する

内村鑑三、「一日一生」 

A。シュラッター、「始めは小さく、計画は大きく」