意識的、集中的に『礼拝の生活』再考60

1971年10月10日
『礼拝の生活』60号

(巻頭言)「特別伝道集会の目的」 
 
 11月5日(金)、6日(土)、7日(日)毎夕七時からの特別伝道集会のために、祈りつつ準備がなされています。ここで、この特別集会の目的をもう一度再確認することは、決して無駄ではないのです。はっきりと目的を見つめなければ、着実な忍耐のいる準備は不可能ですから。
 
 では特別伝道集会が開かれる目的は何なのでしょうか。実に単純です。聖書の言葉を聞くためです。特別伝道集会は、聖書の言葉を聞く集りなのです。しかし聖書の言葉を聞くのは教会のすべての集りの目的であって、何もこの特別伝道集会に限ったことではありません。
 
 それなのに、なぜ「特別」、あるいは「伝道」と特に強調するのでしょうか。
これまた、非常に単純な理由からです。
「特別」とは、忙しい毎日を送っている私たちが、この忙しさの中で、この機会を通して集中的に聖書に聞くためです。
 「いつまでも残るもの」として、聖書が宣言している信仰、希望、愛について、三日間集中的に聖書から聞くこと、これは、今までに聖書を読み続けながら、また何回も教会に出席しながら、信仰の決断のできずにいた人々にとって、特に意味深い機会であると確信します。

 また「伝道」と強調するのは、今まで聖書を一度も読んだことのない方、教会に一度も出席したことのない方の幾人かが唯一の、生ける、真の神の栄光を顕し、永遠に神を喜ぶ人生を送る決心をされる機会となるようにと願うからです。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」(ヘブル12章2節)

一方において、普段、いつも、日常的に、マンネリを恐れずに継続的に営む、この大切さ。
 他方、意識的に、集中的な営み。
この両者にいずれも同時に大切にすることを、この40年学びました。また伝えてきました。