「うちにある希望」『礼拝の生活』再考63
1971年11月14日
『礼拝の生活』64号
(巻頭言)「特別伝道集会を終えて―感謝と新しい課題―」
11月5日、6日、7日の特別集会が祝福の中に終りました。私たちの多くの欠乏にもかかわらず、主なる神御自身が私たちを導いてくださったことを深く実感させられました。本当に感謝でした。
集まりの目的であった、聖書に聞くこと、特に集中的に聖書に聞くことが果されたことは、何よりも感謝です。私たちが教会としての第一の使命を再確認する良い機会でした。聞く者として生きる教会、これが私たちの第一の使命です。
この点については、ルカの福音書10章25節以下の良きサマリヤ人の記事の直後に続く、マルタとマリヤの二人の姉妹についての記事を、もう一度味わう必要があります。
あの記事で、「主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた」マリヤについて、
マルタがイエスに、
「主よ、妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
と訴えます。
主イエスは、このマルタに対して、答えられます。
「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
私たちは、教会全体としても、個人としても、「主の足もとにすわって、みことばに聞き入る」者として、生きたいのです。私たち自身が、聖書を正しく、より深く、より豊かに聞き続けること、これが何よりも必要な「一つ」のことであり、すべての基盤であるように、特別伝道集会の基盤であることを教えられたのではないでしょうか。
祈祷者名簿に59名の人々があげられ、祈られてきました。その中から8名の方が出席されました。数字の上から、パーセントの上から種々なことが考えられます。
しかし、私たちが決して忘れてならないことは、ひとりびとりの方は全世界より尊い存在であって、数字やパーセントに解消できない事実です。冷静さと共に、主にあって人を見ることを深く学びたいものです。
今回新しく出席された方の中で目立つのは、5名の男性の出席です。私たちの小さな群れにとって、この事実は決して小さなことではありません。福音が、あらゆる表面的な差別(性別・職業・年齢など)を越えて、すべての人々に伝えられることは、私たちに与えられた大きな使命です。
多くの感謝と同時に、新しい課題も与えられました。
まず、ペテロの手紙第一3章15節を新しく考えさせられます。
「心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにもいつでも弁明できる用意をしていなさい」
私たちのうちにある希望について、求めてきた人々に対して、個人的に、充分に弁明できたであろうか。教会全体として、私たちひとりびとりとして。次節の「正しい生き方」と共に、「心の中でキリストを主としてあがめる」ことに、さらに徹底することこそ、私たちに与えられた常に変わらない、しかも新しい課題ではないかと痛感させられます。
高校生の出席者が少なかったことも、今後の課題です。私たちの身近な人々と共に、高校生への責任の重みを感じます。
「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません。」(Ⅰコリント12章3節)。
★あれから40年、伝道とは、「心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにもいつでも弁明できる用意をしていなさい」(ペテロの手紙第一3章15節)への応答に尽きるとの確信は、一段と深まったっています。
ただ進展もあります。昨年沖縄を去る前に、金城重明先生が励まして下さいました。
「リハビリの場が宮村先生の牧会の場です」と、少しづつ現実になっています、感謝。