キリストのからだ・教会

今直面している私の課題『礼拝の生活』再考、その85

1972年4月23日 『礼拝の生活』再考,85号(巻頭言)「洗礼の意味―葬式と誕生日―」 来週の主日午後、洗礼式が予定されています。 この一週間、教会全体で洗礼の意味を深く思いめぐらし、受洗される兄弟姉妹と共に心の備えをいたします。 洗礼の意味について考…

回顧と展望『礼拝の生活』再考その83

1972年4月9日発行 『礼拝の生活』83号 (巻頭言)「教会総会を終えて−イ−スタ−の一日−」 4月2日イースター。永山公園で早天礼拝。それは賛美と聖書の味わいのときでした。今年は、小学生や中学生の姿が目立ち、参加者は今までで一番多かったというのが一致…

伊那聖書教会訪問の喜び

伊那聖書教会訪問の喜び 今回、伊那市を短期間訪問した中で、やはり9月9日(日)の主日の恵みを忘れることができません。 日本同盟基督教団伊那聖書教会の主日礼拝に出席しました。 週報を見せて頂くと、大杉牧師の当日の説教が書き記されています。 前の週…

「にわとりは」『礼拝の生活』再考その81

1972年3月19日 『礼拝の生活』81号(巻頭言)「教会学校のあゆみ」 これからの数週間、青梅キリスト教会・教会学校の歩みにとり、大切な行事が続きます。 まず3月19日午後1時半からは定例の教会学校教師会。連絡、報告、反省、予定の確認などががなされます…

  「手 の 業」

「手 の 業」 沖縄の自然の中で、染と織物の営みをM姉さは、本土からの移住後、三十年以上に渡り続けておられます。 ご夫妻で高橋三郎先生の指導を長年受けられ、沖縄の無教会の群れで大切な役割を果し続け、私たちの25年の沖縄滞在中も、沖縄を離れた今も…

「教会の小ささと大きさ」『礼拝の生活』再考その79

1972年3月5日 『礼拝の生活』79号 (巻頭言)「教会の小ささと大きさ」 私たち青梅キリスト教会は決して大きな教会ではありません。会員数二十数名です。 各集会の出席者数にしても、主日礼拝においてさえ客員や求道者のかなりの数を含めても三十名にならな…

教会と地域の関係『礼拝の生活』再考その77

1972年2月20日発行 『礼拝の生活』77(巻頭言)「新約教団総会と奥多摩集会―教会と地域について―」2月10、11日には、新約教団の総会、また2月12日、13日には、奥多摩町で特別集会がありました。それぞれの報告やあかしは、今後の『礼拝の生活』で紹介したく…

「教会と建物」『礼拝の生活』再考その76

1972年2月13日 『礼拝の生活』再考その76(巻頭言)「教会と建物」 青梅キリスト教会とは、東青梅6−10−14に立っている建物ではない事実を、すでに何回も私たちは学んできました。 キリスト教会とは、キリストに招かれ呼び出された神の民の集まりです。キリス…

流れの中で、流れに抗して「礼拝の生活」その再考75

1972年2月6日 「礼拝の生活」その再考75(巻頭言)「流れの中で―新約教団の総会を前に―」 今年も、2月10日、11日、奥多摩バイブルキャンプ場で、日本新約教団の定期総会が開かれようとしています。 今、ここで、新約教団全体の一年間の歩みを思いめぐらすの…

「奥多摩町で夜の集会」「礼拝の生活」再考その74

1972年1月30日 「礼拝の生活」74(巻頭言)「奥多摩町で夜の集会」 昨年以来奥多摩町で、日曜の午後に集会が持たれて来ました。 担当執事の木村執事、犬塚修神学生(東京キリスト教短期大学)を中心に、子供のための集会が守られ、また地道な家庭訪問がなさ…

二つの課題『礼拝の生活』再考その73

1972年1月23日 『礼拝の生活』73号 (巻頭言)「二つの課題―真の教会として生きるために―」 現代日本に、世の光・地の塩として生かされている教会が、常に直面している二つの課題があります。 第一の課題は、教会の存在の基盤である聖書が根本的に問う主題が…

神の恵みを無駄にしない恵み『礼拝の生活』再考その72

1972年1月16日 『礼拝の生活』72号(巻頭言)「キリスト者のあかし」 1月9日の午後のあかしと交わりの集会、とても意味深いときでした。 参加した各自が昨年一年間の主にある歩みを通して、特に教えられ、学ばされた恵みを報告、生きて導き給う主なる神を心…

『愛の小海か、小海の愛か−佐久・神学の里への道−』

『愛の小海か、小海の愛か−佐久・神学の里への道−』小海キリスト教会の主日礼拝 Ⅰヨハネ4章19−21節[1]序 2012年8月15日、小海キリスト教会と同じ長野県南佐久郡小海町の松原湖バイブルキャンプで、8月12日小海キリスト教会の主日礼拝を再考でき、感謝しま…

「この地上で」『礼拝の生活』再考その71

1972年1月9日 『礼拝の生活』71号(巻頭言)「青梅キリスト教会の歩み(2)−1972年の内的戦い―」 先週の『礼拝の生活』で考えたように、聖書の豊かさを真に味わいたい、またキリストの体なる教会の豊かさをさらに深く体験したいというのが、1971年に引き続…

回顧と展望年単位でも『礼拝の生活』その70

1972年1月2日 『礼拝の生活』70号 (巻頭言)「青梅キリスト教会の歩み1972年の戦いを前に―」 聖書の豊かさを真に味わいたい、またキリストの体なる教会の豊かさをさらに深く体験したいとの1971年の目標は(『礼拝の生活』27号)、基本的には、今年の課題で…

「教会の一致をめぐって−課題は歴史的自覚−」

★「福音主義とは何か」シリーズの2回目に書いたものは、 「教会の一致をめぐって−課題は歴史的自覚−」です。 第1回目が聖書についてであり、第二回目が教会についてなのです。「教会の一致をめぐって−課題は歴史的自覚−」 教会の一致という課題に、原理的に…

「全体と個人について」『礼拝の生活』再考その68

1971年12月19日 (巻頭言)『礼拝の生活』68号「全体と個人について」 今、私たちは幼稚科下級の三歳の子どもから、シメオン、アンナの会のひとりびとりまで、教会全体が同じ主日礼拝の場に集い、唯一の生ける、真の神を声と心を合わせて賛美しています。 普…

『死者の中からのキリストの復活−その恵みの深さと広さ−』

2012年4月24日 宇都宮キリスト集会イースター礼拝『死者の中からのキリストの復活−その恵みの深さと広さ−』 Ⅱテモテ2章8−13節[1]序 (1)主イエスの復活とパウロの生涯、使徒の働き9章1−9節。 ロ−マ1章1−4節、ローマ人への手紙全体の基盤。 (2)ダマス…

冬の期間が必要『礼拝の生活』再考その67

1971年12月12日 『礼拝の生活』67(巻頭言)「冬の期間をいかに生きるか」 今日、私たちの日常生活の中から、新鮮な季節感が次第に失われつつあることは、誰も否定できない事実です。 たとえば私たちの食生活一つとってみても、一昔前には考えられないような…

聖歌隊と会衆讃美『礼拝の生活』再考65

1971年11月28日 『礼拝の生活』66号(巻頭言)「クリスマス讃美礼拝」 クリスマス賛美礼拝は、今年も、青梅市民会館の会議室で持たれます。 12月19日(日)午前9時半から11時半まで、日時と場所は早くから決められていました。 昨年の賛美礼拝の経験が大いに…

「愛の根拠と力」『礼拝の生活』再考62

1971年10月31日 『礼拝の生活』63号(巻頭言)「愛の根拠と力―11月7日(日)を前に―」 信仰、希望に続いて、聖書が宣言している「愛」の事実に聞き入りたいと願っています。 しかし、「愛」という言葉を口に出したり耳にしたりするのが、誠に空しく感じられる…

『止めを刺す』

『止めを刺す』 今、日々私の意識している、万代恒雄語録の一つ、 それは、『止めを刺す』なのです。 「宮村君、君は人がよくて甘いから止めを刺すときに、手が緩むんだ」と個人伝道の際、 信仰の決断への導きの時、一歩引きがちの私の実情を万代先生は、見…

専業主婦か宣教主婦か

専業主婦か宣教主婦か 昨年5月、25年間の沖縄での生活から関東に戻って以来、幾つもの新しい恵みの経験をしています。 犬棒神学では、「犬も歩けば棒に当たる。人間生きれば、恵みに当たる」が、大切なカルタの札です。新しい恵みの経験の一つが、隔月拙宅で…

意識的、集中的に『礼拝の生活』再考60

1971年10月10日 『礼拝の生活』60号(巻頭言)「特別伝道集会の目的」 11月5日(金)、6日(土)、7日(日)毎夕七時からの特別伝道集会のために、祈りつつ準備がなされています。ここで、この特別集会の目的をもう一度再確認することは、決して無駄ではな…

『礼拝の生活を生き抜く』

『礼拝の生活を生き抜く』−1970年代と2010年代ーその一貫性と進展性− ローマへの手紙11:36−12:2 2011年7月24日(日) 青梅キリスト教会修養会Ⅱ [Ⅰ]序 (1)午前の伝道礼拝に引き続き、修養会Ⅰで、聖書を集中的にまた組織的に学びみことばを味わいました。…

「ぶどうの木コイノニア」『礼拝の生活』再考59

1971年10月3日 『礼拝の生活』59号(巻頭言)「点から線へ」 私たち青梅キリスト教会は、今、大切な過渡期にあります。 青梅キリスト教会が、現在、自立、自給、自伝の教会として存在するようになった背後には、二十年間の祈りと戦いの歴史があります。 私た…

「あること」と「すること」『礼拝の生活』再読58

1971年9月26日 『礼拝の生活』58号(巻頭言)「あること」と「すること」 10月3日の臨時教会総会を前に、教会について、またキリスト者各個人について、もう一度考えさせられていることがあります。 それは、教会として「あること」と教会として「すること」…

「秋の課題(2)」『礼拝の生活』56

1971年9月12日 『礼拝の生活』56号 (巻頭言)「秋の課題(2)」 私たちの秋の歩みにとって、11月5日(金)、6日(土)、7日(日)の特別集会がいかに大きな課題であるかは、前号で見てきた通りです。 しかし特別集会だけが私たちの課題であるのでは、勿論…

「秋の課題(1)」『礼拝の生活』再考55

1971年9月5日 『礼拝の生活』55号「秋の課題(1)」 台風の影響のためでもあるのでしょうか。 すっかり涼しくなりました。数週間前の暑さが、まるでうそのようです。身も心も落ち着いた今、秋から充実した歩みを始める時です。 そこで、9月からの課題を11月…

「聖霊によって生きる教会」『礼拝の生活』再考その53

1971年8月22日 『礼拝の生活』53号 (巻頭言)「聖霊によって生きる教会」 今年の夏季聖会は、落ち着いた集会でした。 私たちの弱さが根底から示されると同時に、一番深い底にまで徹する神の恵みによって慰められました。悔改めのときであり、賛美のときであ…