流れの中で、流れに抗して「礼拝の生活」その再考75

1972年2月6日
「礼拝の生活」その再考75

(巻頭言)「流れの中で―新約教団の総会を前に―」
  

今年も、2月10日、11日、奥多摩バイブルキャンプ場で、日本新約教団の定期総会が開かれようとしています。
今、ここで、新約教団全体の一年間の歩みを思いめぐらすのは、意味のあることです。「礼拝の生活」31号の「新約教団総会を前に」、33号の「新約教団総会に出席して」、35号の「教団総会報告」などを、もう一度お読みになることをお勧めします。
 
昨年の総会は、教団の信仰告白について、靖国神社国家護持反対声明提出、教団負担金から教団献金への発展と開拓宣教への備えなど、記念すべき総会でした。
今年の総会は、それらの決定が、この一年間を通して、どのように現実化されてきたかの報告が、大きな意味を持つ集まりになります。 
昨年と今年の総会を一つの流れの中に見ていくとき、一つの点を特に考えさせられます。それは、大きく方向を見定めることと共に、その方向に向かって一歩一歩地味な歩みを続けること、この両方が私たちに求められている事実です。平凡な歩みの繰り返しの中で、見詰め続けるべき方向を見失ってはなりません。

同時に、対局的な見通しに自己満足してしまうことなく、具体的な小さな戦いに勝利し続けることが求められています。この両者の生きたバランスが大切です。
 
私たちの歩みが流れの中でなされていると同時に、流れに抗して進む面がある事実を考えるとき、総会は単に年中行事としてではなく、新しい意味をもって私たちに迫ってきます。神の国の展開の確かさと、そのための戦いの激しさを確認する機会として

1970年、1980年代の日々、日本新約教団に属し生きる者として思索し続けることを通して、「聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ずる」との信仰告白の内実が一歩一歩身に付いた恵みの事実を、今改めて感謝します。

 青梅キリスト教会において個と全体の生きた関係を求め続けたとように、ギヤの入れ替えをすることなく日本新約教団と青梅キリスト教会との間でも素朴に一途に、個と全体の生きた関係を求め続けたのです。そのようにして30代、40代の日々を重ね得たのです。
青梅で首里で。