回顧と展望年単位でも『礼拝の生活』その70

1972年1月2日
『礼拝の生活』70号
(巻頭言)「青梅キリスト教会の歩み1972年の戦いを前に―」
 
 聖書の豊かさを真に味わいたい、またキリストの体なる教会の豊かさをさらに深く体験したいとの1971年の目標は(『礼拝の生活』27号)、基本的には、今年の課題でもあります。聖書と教会の意味を、どれ程深く豊かに味わい体験していくかは、現代日本のキリストの教会に与えられた大きな特権であり、責任です。この聖書と教会という課題を、歴史的センスを持ち受けとめていくことこそ、1971年から1972年に継続し、展開していくべき私たち青梅キリスト教会の指針です。
 
 以上の基本線に沿って、今年の教会の具体的歩みの一つ一つを考えていくべきです。
 まず執事会については、今年のステップは、祈りと学びです。
執事会が教会に仕え、キリストの僕たちのために取り成す者の集まりとして、真に霊的指導力が与えられるように、これが今年の具体的願いです。それぞれ幸いな社会的責任を与えられて忙しい執事、また執事補が一体となって祈り合い、学び合って自ら成長しつつ、教会全体のために奉仕し続けることは、実にやりがいのある課題であす。1月19日から、毎月第三水曜日午前6時から7時まで執事祈祷会を計画しています。教会全体がさらに執事会のために祈り支えていきたいものです。
 
 役員会の今年の具体的な課題は、事務能力の増加と記録の整理です。これはキリストの教会が歴史的センスをもって与えられた使命を歴史の流れの中で自覚的に実行していくためには不可欠な課題です。役員が忙しいスケジュールの中で集まったとき、何を集中的に考え、相談し、決定していくべきか選択する力や集中する力を役員会は求められています。    
 そして、決定したことを、どのように実行していくかを検討する土台として記録の整理は、歴史の流れの中に生きる教会、さらには歴史を形成していく教会として、小さな群であってもそれなりに身につけていくべき課題です。
 歴史的センスを持ち、しかも単なる伝統主義に落ち入らないことこそ、教会のように、役員会の新しい年の課題なのです。
 
 壮年会がどのように形成されていくかは、執事会の充実と平行していく課題です。何よりも、私たちの意識の中に、壮年会の必要性がはっきりと自覚していくことが今年の課題です。本当に必要なものであるかどうかを見分けながら、思いめぐらしていく、これが私たちの祈りの一面であり、物事が具体化されていく道です。困難な課題と考えられる壮年会もこうした基本的なステップを通して導かれるのです。
 
 教会婦人会は、昨年一年間に大きな実を結び続けてきました。最も地味な面の奉仕の体制をいかに整えていくかが今年の新しい課題です。しかし、教会婦人会を形成するメンバーの日常生活を通して、すでに現実なものとされている教会婦人会の本来の姿は、ことさら何かを計画しなくとも、極自然に仕える者として教会全体の中で実を結びつつあるのですから、その恵みを感謝しつつさらに成長を願います。
 
 青年会の課題は、青年男子への宣教です。この課題は、恐らく、小作地方の宣教と密接な関係を持つと考えられます。どこでどのように、青年男子と接触するかが、何よりも第一のステップです。しかも青年男子の必要を理解した上で、福音宣教の内容が正しく深め、豊かに展開していくことが要求されています。幾人かの青年男子の求道者が明確な信仰告白へと導かれていくと同時に、キリスト者としての自覚的な生活において、戦いつつ成長していくことこそ、今年の青年会の根本的な課題でしょう。
 
 教会学校については、新しい教師が与えられ、一人びとりが成長していくと平凡な課題が、今年何よりも求められています。男子の生徒が増加している喜ばしい傾向と共に、新しい男子の教会学校の教師が与えられるようにと願わざるをえません。
これは青年会の成長と密接に関係しています。つまり教会の一部での成長は、教会全体に直接また間接どれ程大きな影響を与えられるか、私たちの想像をはるかに超えたものです。
 
 中学生会も昨年着実な歩みをしてきました。特に、季節ごとの特別な集まりは、夏のキャンプを含めて、中学生集会にとって大切な意味を持っています。今中学生会に求められているのは、何よりも中学生各自が個人的に信仰告白に導かれていくことです。中学生会としてのグループの自覚が、成長しつつあることは幸いなことです。しかし、やはり、メンバー各自の個人的な信仰告白と信仰生活の現実を抜きにしては、何事も考えられません。
 
 高校生会については、今年の復活祭に一人の姉妹が受洗することを決心され、その準備を続けていることは感謝です。また、この一年間に二十名近くの高校生と連絡がとれたことも決して小さなことではありません。しかし、現実的に高校生会は、名前はあっても実がないと言われてもしかたがありません。高校生会としての歩みがなされていくために、5、6月頃に高校生の特別集会を持つことと夏のキャンプは、大切なステップとなるでしょう。
 家庭集会も地道な歩みを続けています。家庭集会とは何かと性格をはっきりさせながら今年中に、7、8ヶ所の家庭集会が持てるようになることは、キリストにある生き方の課題を求め続ける私たちにとって、やはり大切なことです。さらに地道な努力を続け、成長させ給う神の恵みを賛美したいものです。
 
 奥多摩については、昨年の困難な歩みを土台に、月に一度の大人のための集まり、伝道集会、定期的な集まりのための場所など、教会学校の定着と共に、さらに一歩前進できるかどうか重要な年になりそうです。
 
小作地方についても、ラップ先生の家が見つかり、先生があの地区で生活し続けること自体、大きな前進であると認める必要があります。何かをなすことよりも、そこに生きていること自体が、キリスト者にとって大きな意味があるのですから。そして、いかなる方法でか、小作地方に集りが開始され、特に、中学生、高校生、さらには青年たちの間に福音が押し進められていくように、青梅キリスト教会全体として、背後から支えて行きましょう。小作地方と奥多摩の働きは、深い結びつきを持ちながら、私たちに福音宣教への参与を呼びかけています。
 文書委員会も、一年間の歩みを通して、その使命の無限な広がりに驚かされつつ、やはり、地道な歩みを続けています。今年の課題の重要なものの一つは、テープの利用でしょう。広い意味での文書の働きは無限です。
 
 音楽委員会も、定期的ではありませんでしたが、とにかく賛美練習が可能になったことは、やはり収穫でした。今年の課題としては中学生の聖歌隊の形成が考えられます。
 
 最後に、教会全体の中心目標としては、外部への宣教活動と共に、キリストにある者の生き方の一面としての家庭観の確立があげられます。
 私たちの今年の歩みも、決して楽なものではありえません。外部からの圧迫も力を増してくるでしょう。そうした中で、信頼すべき方に信頼し、戦うべきものに対して戦い、旅する神の民としての歩みをなし続けたいものです。神の都を見上げつつ。

★回顧と展開
主日礼拝から主日礼拝への1週間ごとの回顧と展望を繰り返しながら、
同時に1年から1年ヘと年単位でも回顧と展望もなしている事実、感謝です。
申命記を通して教えられた恵みの実践です。