「聖霊によって生きる教会」『礼拝の生活』再考その53

1971年8月22日
『礼拝の生活』53号
 
(巻頭言)「聖霊によって生きる教会」 

 今年の夏季聖会は、落ち着いた集会でした。
私たちの弱さが根底から示されると同時に、一番深い底にまで徹する神の恵みによって慰められました。悔改めのときであり、賛美のときであり、そして交わりの時でした。
 
今、私たちが聖霊によって歩む目標が、はっきりと示されたと深い印象を受けて帰ってきました。これからの一年間の課題を聖霊によって生きる教会と受けとめたのです。
 具体的には、個人としても、教会全体としても全人格的に主なる神に従って生きることです。
全人格的にと言うとき、普通考えられるように、少なくとも知、情、意を含みます。
知的に、感情的に、また意志的に、神を主として従い生きる課題です。
 知的と言えば、聖書を正しく、深く、そして豊かに学ぶことです。
私たちに語られている神の言葉として聞くことです。私たちが今まで心掛けてきたことを、さらに押し進めていくことです。神のみことばこそ、足のともしび、道の光なのですから。
 
感情的にとは、主なる神への賛美、神の恵みに対する応答と密接に関係していると考えられます。この点に関しては、毎朝詩篇の少なくとも一篇を声に出して読み続けることを、全教会の課題とできたらと願っています。
 
 意志的にとは、恐らく最も困難な課題です。
意志とは、「どうしても、これをしよう、またはしまいという積極的な心組み」と言われています。知らされた神の御心に積極的に自己を従わせて生きようと意を決することであり、その実践です。
一時的にではなく、連続的に聖霊によって生きる教会にとって決定的に重要な一面です。

40年後の今、この内容のすべてそのまま、ア−メンです、感謝。