聖歌隊と会衆讃美『礼拝の生活』再考65

1971年11月28日
『礼拝の生活』66号

(巻頭言)「クリスマス讃美礼拝」  

 クリスマス賛美礼拝は、今年も、青梅市民会館の会議室で持たれます。
12月19日(日)午前9時半から11時半まで、日時と場所は早くから決められていました。
昨年の賛美礼拝の経験が大いに役立ちます。

しかし、同時に、昨年と大きく違う点もあります。昨年は、聖歌隊を中心にして、長い期間の訓練が続けられました。二日間の集会に参加された方は、それ程多くはありませんでした。しかし賛美は、とても見事なものでした。
 今年は、教会学校をはじめ、教会全体が賛美するプログラムです。特に賜物を与えられている方々が、かなりの期間、訓練を続けた後の賛美の持つ美しさには、はるかに及ばないかもしれません。しかしそれなりに、大きな意味を持つ賛美礼拝であると確信します。
 
 主なる神を賛美するのは、すべてのキリスト者に与えられている大きな特権であり、義務・義なる務めでもあります。
子供も大人も、男も女も、歌の上手な人も下手な人も、すべての人が声と心を合せて、父・子・聖霊なる神を賛美するのです。教会全体が賛美の霊に満たされていく時、その中から自然に、技術的にも優れた讃美歌が献げられるようになるでしょう。それは簡単な道ではないにしても、私たちは、少なくとも第一歩を踏み出そうとしているのです。信仰の第一歩を。
 
残された数週間が、よい準備の時となるように願っています。
 「あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです」(ローマ15:6)

聖歌隊と会衆讃美の関係、主日礼拝にとって重要な課題であると40年前直面していた事実を思い起こします。

 その後二人の専門家から大切な示唆を与えられました。
お一人は、神学教育の現場で親しい交わりを頂いた、天田繋先生です。
天田先生の会衆聖歌隊の提唱と実践は、聖歌隊と会衆讃美のそれぞれの役割と特徴を十分に認めながら、その限界を見逃さず、両者を統合することで二者の限界を乗り越えようとするものです。神学的基盤に立つ注目すべきものと感謝しました。

 もう一人は、沖縄の田野秀康牧師。先生の牧会の実践を通しての教えです。
あの辺野古のある名護市のクリスチャン・リンク名護チャペルで、ユニ−クな全人格的な宣教を展開している田野秀康牧師ご夫妻お二人は、東京芸大卒の音楽家です。
主日礼拝前の焼く時間の讃美指導は、私の目には、まさに牧会の展開に見えました。
人数が、30名以下と言うことがあったとしても、会衆讃美がここまで充実するものなのだとは励まされました。

 お二人に加え、新船橋キリスト教会の下川羊和牧師との交わりが今年に入って深められ、主日礼拝における讃美について、今後教えられること、今から楽しみです。