「この地上で」『礼拝の生活』再考その71

1972年1月9日
『礼拝の生活』71号

(巻頭言)「青梅キリスト教会の歩み(2)−1972年の内的戦い―」 

 先週の『礼拝の生活』で考えたように、聖書の豊かさを真に味わいたい、またキリストの体なる教会の豊かさをさらに深く体験したいというのが、1971年に引き続き今年の課題でもあります。この聖書と教会の課題を、歴史的センスをもって受け止めていく具体的な現れが私たち青梅キリスト教会の歩みと見ることができます。

 青梅キリスト教会の歩みは、執事会、役員会、壮年会、教会婦人会、青年会、教会学校、中学生会、高校生会、家庭集会、奥多摩や小作での宣教、文書委員会、音楽委員会などの地道な歩みによって推し進められていく事実は、やはり先週『礼拝の生活』で検討してきた通りです。
 上記のそれぞれの会は、会とは名ばかりで、現実には数名の集まりだったり、中には、これから集まり自体が形成されねばならないものもあります。
 しかし青梅キリスト教会が、聖書と教会の深い豊かな意味を歴史的センスを持って追い求めていくとき、それらの小さな集まりは全体との調和を保ちながら、それぞれ大切な役割を与えられている事実を、新しい一年を通して、私たちは全体としても個人としてもはっきりと味わうようになると確信しています。
 
 しかし、青梅キリスト教会の歩みは、以上の外的な戦いと共に、内的な戦いの面がある側面を忘れないようにしなければなりません。つまり教会の行事や計画では表現できない、しかも教会の体質を全体としても決定し、また各個人の信仰の質を左右する信仰の戦いがあります。この内的戦いは、神の恵みにどのように答えて生きていくかと要約できます。神の恵みを受けつつ、この世にあって旅する民としての意識を持ち生きていけるかどうかです。このように一見単純に思われる課題の前に、私たちは直面しています。神の恵みを受けつつ、この地上で生かされている事実であり、課題です

「この地上で」を抜きに、青梅キリスト教会の歩み、その1972年の内的戦いを考えることはできません。
 私たちは、今この地上で}生かされている厳粛な事実。この厳粛な事実をありのままに受け取っていくことが、私たちの内的戦いの第一歩です。

「この地上で」ということを考えるとき、昨年の末に受け取った親友からの手紙を思い出します。
N兄は、1969年8月15日より、土建の請負業を始められました。日本クリスチャン・カッレジの1年生の時、寮の同じ部屋で生活を共にして以来十数年間、N兄との交わりを通して、常に大きな祝福を受け続けてきました。この地上で旅する民としての意識を共に与えられながら。
彼は以下のようなことを書いてきました。
「・・・最近になって、つくづく思いますことは、主の守りの確かさです。私は聖書に記されている聖言はすべて自分に適用されるものと信じますから、それを根拠に祈っています。
今年は特にエゼキエル書38章28節、39章7節を自分の身の上にもなさしめてくださいでした。そして実にそのようにして下さいました。・・・仕事のことで、他社の社長らからネタまれるほど順調に私の仕事は進んでいます。信仰のない彼らには、単に『運が良い』とか『ツキがある』とかたづけてしまいます。
しかし私にとっては祈りが聞かれている事実の実証に外なりません。信仰のない人々には、運がいいこと、ツイていること、運が悪いこと、ツキが無いこと、これらすべてのことが私たち信仰の目を与えられている者には、一つ一つが主の恵みであり、また苦しいことは、やがて後になって主の恵みをわからせるための前的、先的恵みだと思います・・・」。
 
N兄の手紙を通して特に教えられたことは、神の絶対的な恵みの事実を確信しながら、与えられた具体的な場、つまり「この地上で」生きることの大切さです。ここ以外に私たちの生きる道はないのですから。
 
「この地上で」生きることを、青梅キリスト教会の各自が自らの内的戦いとして戦い続けていくとき、私たちの今年の歩みの性格が決定されます。
私たちが生かされているあらゆる環境の中で、神の恵みを確信する。そして私たちの生活の中で、その実証を体験していくのです。
各自が、各自の生活の中で、「この地上で」の生活の意味を教えられつつ、全体の中に生かされている個人として戦い進む内的戦いです。

★「この地上で」の意味を、40年後の今、ますます深く受け止めています。
この数年、聖書の集中的、集約的祈りとして、
詩篇119篇64節を味わい、幾つもの教会で説き明かしています。
「【主】よ。地はあなたの恵みに満ちています。
 あなたのおきてを私に教えてください。」

 上記のN兄から、ブログについて励ましのメールを受け取りました。「喜びカタツムリの歩み」所々ですが、読みました。
・・・垢抜けしていて、すばらしい出来映えです。
美的感覚もすばらしく、明るくて、すっきりしていて、入り易いです。
普通、この類いのホームページは、ごてごてしていて、ただ文字の羅列という感じのものが多いのですが、
その点、読む人の立場で、読み易いように配慮されていて、大変いいと思いました。・・・」