徹底した聖書信仰

植物あっての植物学」―生けるキリストの証人、万代恒雄―

「植物あっての植物学」 ―生けるキリストの証人、万代恒雄―[1]序 今も手元にある、古び色変わりした小冊子、『のぞみ』。これは、1956年4月、日本アッセンブリ―小岩教会少年部が発行したものです。この50年何回も繰り返した引越し。太平洋を横断し…

忍耐と希望の道『礼拝の生活』再考61

1971年年10月17日 『礼拝の生活』61号(巻頭言)「信仰の第一歩―11月5日(金)を前に―」 キリスト者は信仰がとても重要だと考えます。 しかし信仰が大切だというのは、何もキリスト者に限ったことではありません。 「何の宗教も結局同じこと。何を信じようと…

『礼拝の生活を生き抜く』

『礼拝の生活を生き抜く』−1970年代と2010年代ーその一貫性と進展性− ローマへの手紙11:36−12:2 2011年7月24日(日) 青梅キリスト教会修養会Ⅱ [Ⅰ]序 (1)午前の伝道礼拝に引き続き、修養会Ⅰで、聖書を集中的にまた組織的に学びみことばを味わいました。…

『宣教・説教と組織神学』

★数年前、『牧会ジャーナル』誌上でお伝えした以下のこと、最近、再度強調せざるを得ない事態に直面しました。 要するに聖書全体の統一性の課題です。 ばらばらの文書の寄せ集めではなく、聖書全体は互いに有機的に関わる統一性をもつ、生ける神のことばとの…

名護チャペルと名桜大学

名護チャペルと名桜大学★昨年2011年5月に、25年の沖縄での生活・牧会活動から関東へ居場所を移して以来、沖縄との絆は、少なくとも私自身の中では、より強まることはあっても、弱まったり、ましてはなくなったりすることなどありません。 沖縄との絆と言えば…

「詩篇をもって祈ろう」『礼拝の生活』再考その54

1971年8月29日 『礼拝の生活』54号(巻頭言)「詩篇をもって祈ろう」 旧約聖書の丁度真中に、詩篇があります。それで、聖書を手にする最初の日から、詩篇は、私たちの目にとまりやすく、現実に読まれています。 また、青梅キリスト教会の毎主日礼拝では、い…

最後の敗者復活『礼拝の生活』再考その52

1971年8月8日 『礼拝の生活』52号(巻頭言)「ゆりのように花咲き」 表題の言葉は、ホセア書14章5節の聖句です。 「わたしはイスラエルには露のようになる。 彼はゆりのように花咲き、 ポプラのように根を張る。」 イスラエルの民が主なる神に立ち返り、罪を…

回顧と展望の原点を共有して

回顧と展望の原点を共有して 日本長老教会・玉川上水キリスト教会牧師 清水武夫 私は宮村武夫先生にはいろいろな形でお世話になりました。先生がアメリカでの学びを終えてお帰り になったときには、私は入れ替わるような形で、日本クリスチャン・カレッヂを…

(巻頭言)「現場、現実」 『礼拝の生活』再考、その47

1971年6月20日 『礼拝の生活』47号 (巻頭言)「現場、現実」 先日、市役所前の教育センター・福祉センターの建築現場を見てきました。 最近求道を始められた、三井建設のKさんが案内してくれたのです。地下から屋上まで、完成した建物では想像できない細か…

出 会 い も の が た り

出 会 い も の が た り 細 田 浩 一 聖書との出会い (一)聖書は、自分自身の生き方に自信があるとき、あるいは人生の絶頂期に読める書物ではない。人生の荒野を一人でトボトボと歩まなければならず、自分自身の力の限界を嫌というほど知り尽くしたような…

注解申命記、二つの備え

注解申命記、二つの備え [1]序 1986年4月家族で沖縄移住直後、申命記の注解(いのちのことば社、新聖書講解シリーズ)執筆の依頼を受け、1987年1月に出版して頂きました。当時でも珍しくなっていたねずちゃんの運動場つき住居など、制約の厳しい…

『礼拝の生活』再考、その46

1971年5月30日 『礼拝の生活』45号 (巻頭言)「『礼拝の生活』一年の歩み」 昨年1970年6月、『礼拝の生活』第一号が出されてから早くも一年が過ぎました。 何はともあれ一年の歩みが守られてきたのは、感謝なことです。今、一年の歩みを顧み、新しい出発の…

短く応答−短信2通−

★宣教準備で苦闘する中で父の祈り・愛読書に励まされ、恩師の労作出版の予告を喜ぶ働き盛りの牧師への応答。「予告を守る出版社、納期を死守する職人、毎主日礼拝に全生活をかけて備えた茂牧師、まさに私たち二人の良き師。勝牧師よ。」 ★空き地のタンポポを…

先達の手引きを感謝−ゲルハルダス・ヴォスの場合−

小さな私の生涯にも、その歩みの様々な段階で、手引きをして下さった先達がいます。 その一人が、ゲルハルダス・ヴォスです。 ゲルハルダス・ヴォスは、1862年3月14日、オランダでドイツ系の両親のもとに誕生、1949年8月13日、87歳でグランドラピッツにおいて…

今日一日、断じて言い訳しない

東京下町、東京スカイツリーだけでない。 勝鬨橋を覚え、聖歌733番4節を手を高く上げ、前後左右に振りながら讃美しつつ、今日も前進。 よみがえりたる 主をあおぎなば あだをも死をも など恐るべき かちどきあげて きみにしたがわん ピラトの庭の 主をお…

『礼拝の生活』再考、その37

1971年3月7日 『礼拝の生活』36号(巻頭言)「幼稚科下級」 教会学校の各分野は、それぞれ特徴のある歩みを続けています。 その中で、この一年特別な意味で私たちに祝福を与え続けていてくれるのは、幼稚科下級クラスです。 もみの木幼児園の園児(四、五歳…

『礼拝の生活』再考、その34

1971年2月14日 『礼拝の生活』33号 (巻頭言)「日本新約教団総会に出席して」 2月10日、11日、奥多摩キャンプ場で、日本新約教団の総会が持たれました。 総会の正式な報告は、次回の『新約時報』を通してなされることになっております。 ここでは、個人的な…

『礼拝の生活』再考、その31

1971年1月17日 『礼拝の生活』30号 (巻頭言)「歴史の面白さ、恐ろしさ」 神の言葉である聖書は、歴史の書でもあるとも言えます。 旧約聖書は、万物の創造、人間の創造に始まり、出エジプトの救いの事実に根ざし、与えられた契約に従って生きるべき神の民イ…

 山路は、確かに越えられ ―― 推薦の言葉にかえて ――

★山下萬里著、『死と生−教会生活と礼拝−』(ヨベル)について依頼を受け、意を注ぎ味読する機会を持ち、下記の一文を紡ぎました。 拙稿のスペ−スではとても盛り込めない幾つもの課題に直面しました。 その中で一点だけに絞って報告します。旧約聖書について…

『礼拝の生活』再考、その26

1970年12月6日 『礼拝の生活』25号(巻頭言)「三度12月19日、20日について」 12月19日、20日の集会の目的は、主なる神を賛美、礼拝することにあります。この意味では、決して特別集会ではありません。すべての集会が、根本において主なる神を賛美、礼拝する…

   『聖書解釈の喜び』

★住んだことがなくても強い絆で結ばれていると意識する場所の一つは、私にとって北海道です。 北海道を最初に意識したのは、高校時代の大学受験との関わりで、北海道大学で農業経済を専攻したいと考えていました。当時一般社会と呼ばれていた授業を担当して…

『私・ヨナ、創造者を礼拝する者』

2012年5月27日 聖望キリスト教会 主日礼拝 ヨナ書1章7−16節 『私・ヨナ、創造者を礼拝する者』御父、御子、御霊、生ける三位一体なる神の御名を讃美します。 [1]序 2012年のペンテコステ礼拝、確かに昨年も来年もペンテコステ礼拝があり、いつもの年と同…

宮村武夫著作2 説教・注解 申命記

★難産でした、宮村武夫著作2 説教・注解 申命記が、6月末、ヨベルから刊行予定です。 最後の作業のためお祈り頂ければ、うれしいです。回顧と展望の原点を共有して 清水武夫先生(日本長老教会・玉川上水キリスト教会牧師) 宮村先生は申命記の主題を回顧と…

『礼拝の生活』再考、その17

1970年9月27日発行 「礼拝の生活」16号〔巻頭言〕『展望と反省』 臨時教会総会において上半期の歩みの深い反省がなされ、また下半期の歩みの確実な展望が与えられ、的確な歩みをなし続ける備えをと心から願っております。 以下私たちの反省と展望の基盤をも…

『礼拝の生活』再考、その16

1970年9月20日 「礼拝の生活」15(巻頭言)「反省と展望」 夏から秋へ。教会の歩みが深まり行こうとしている今、近づく臨時教会総会(10月4日午後)を大切な機会として心の備えをしたいものです。臨時総会が、私たちの上半期の歩みの反省、また下半期の展望…

『ザアカイの記事に見る神様・私・隣人』

[1]序 (1)福音 Ⅱテモテ2章8節、「私(パウロ)の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」(2)福音書 参照「四福音書味読の手引き」 イエス・キリストのことば、業、人格…

『モーセの十戒に見る神様・私・隣人』

『モーセの十戒に見る神様・私・隣人』 出エジプト20章1−17節[1]序 (1)基盤 A.初めに神・三位一体の愛の神、創世記1章1節に見るように、 「初めに、神が天と地を創造した。」、先行する神の恵みの事実 B.恵みを無駄にせず恵みに応答、パウロが生活・生…

『ローマ人への手紙一、二、三』

『ローマ人への手紙一、二、三』 ロ−マ1章1−4節、11章36節−12章2節、16章1−2節 2012年2月19日 那覇聖書研究会 [Ⅰ]序 (1)主の御名を讃美いたします。 昨年5月、25年ぶり関東に戻りましたところ、「おかえりなさい」とのことばを自然な雰囲気で受けました…

『聖書は全て神の霊感によって』

『聖書は全て神の霊感によって』 Ⅱテモテ2章8−13節 2011年4月3日 那覇聖書研究会 [1]序 沖縄での25年間を回顧します時に、那覇聖書研究会の諸兄姉との主にある交わり、いかに尊いものであるかを再確認し、御名を崇めます。 私たちの交わりの基盤は、徹底…

『徹底した聖書信仰・徹底した聖霊信仰』

★2006年3月、思いがけない経緯から首里福音教会を離れ聖望キリスト教会に転会しました。その際、沖縄バプテスト連盟の那覇バプテスト教会は、私たち二人を客員として迎えてくれました。以前からの主にある交わりは、それ以来一段と深まり続けました。 昨年5…