『聖書は全て神の霊感によって』

『聖書は全て神の霊感によって』
                       Ⅱテモテ2章8−13節
                           2011年4月3日
                          那覇聖書研究会
[1]序
 沖縄での25年間を回顧します時に、那覇聖書研究会の諸兄姉との主にある交わり、いかに尊いものであるかを再確認し、御名を崇めます。
私たちの交わりの基盤は、徹底した聖霊信仰・徹底した聖書信仰です。
聖霊と聖書に導かれつつ、つねに改革され続ける歩みです。
徹底した聖書信仰を教える、大切な基本的聖書箇所の一つとして、

 Ⅱテモテ2章8−13節を確認したいのです。
「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。』(Ⅱテモテ3章14−17節)。

[2]聖霊ご自身の導きによる聖書の成立 
 ヘブル人への手紙1 章1、2 節で、聖書自身が宣言・明言しています。
「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。」
聖書は、長い期間(アブラハムから新約聖書の時代まででも、約2000年、参照マタイ1章1節)に渡り、様々な人々を通し、多様な文学類型により記されて来ました。
そうです、古代中近東世界を背景に形成されたイスラエルの民、信仰共同体としての彼らの宗散史を通して、旧約聖書は生い立ち、成立して来ました。
また、新約聖書は、ヘレニズム世界を背景に形成された、新しいイスラエル・教会、礼拝共同体としての彼らの生活を通して書き記されたのです。ここに見るのは、全能の神(一度に凡てを成し得たもう御方) が事実お取りなさったのは、「一度に凡てではなく」の原則。

(1)聖書はすべて、神の霊感によるもので
聖書は、聖霊ご自身の導き(霊感)によって、生ける神に聴き従い続けた聖書記者の日々の生活と生涯を通して書き記された事実を、聖書の霊感と教会は言い表してきました。
①第一義的に、神が、著者として、聖書を口から吹き出された、聖書の著者は神である事実の宣言です。
②神が聖書の第一義的著者であると同時に、第二義的に各聖書記者がそれぞれに尊く用いられています。たとえば、
神の霊感によって書かれたエレミヤ書。この場合、聖霊ご自身の導きのもと、エレミヤの生涯と密接な関係を保ちつつ記されたのです。聖霊ご自身、聖書、聖書記者の生涯の深い関係に十分意を注ぐべきなのです。

(2)聖書はすべて、神の霊感によるもので
 単に聖書記者また思想だけでなく、書き記された本文にまで神の霊感は及び、これを十全言語霊感と呼びます。
マタイ5章18節、「まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。」

[3]聖霊ご自身の導きにより、聖書を味読し続けるキリスト者・教会 
 生ける神が、多くの人々の生涯を通して書き記すことをよしとされた聖書。この聖書を読む者に、生ける神が人格的に語り掛け,呼び掛けに応答し人格的交わりを持ち生きることを求めておられる。新旧聖書がどのように書き記されたのかを知ることは、今、ここで、聖霊ご自身の導き(聖霊の啓明)を求めつつ、みことばを味わい生きようとしている、聖望キリスト教会の私たちに、この上ない助けとなります。聖書記者の生活と生涯を通して聖書を書き記すように導かれた神は、同じく私たちの日々の生活と生涯を貫いて、聖書を味わい従う道を導いて下さいます。聖書記者は誤りなく、私たちは誤りうる区別を注意。
 聖書は一度に読み悟られるものではない。そうです。聖書を読む場合でも、「一度に凡てではなく」。生ける神は、私たちの生き方と密着した関係で聖書を読み味わうことを求めておられるのです。聖書を読み味わうことと生き方とは、決して切り離すことはできない。聖書を読むようにしか、私たちは生きることができない。私たちが現に生きているようにしか、聖書を読むことが出来ない。それ故、聖書を読むときだけ、聖霊ご自身の導きを求めるのではなく、全生活の全領域、全生涯に渡って聖霊ご自身の導きを求めつつ、特別に、聖書を読み味わう際、私たちは神の助けに意識的にまた集中的に寄り頼むのです。

[4]集中と展開

(1)集中
聖書の権威と確かさ
マルコ13章31節、「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」
(2)展開
 聖書は、天と地の創造者の全創造物を対象とした、同時に真の救済者の救いのご計画全体を対象とする神のみことば。
 詩篇119篇105節、「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道」
「キリストがすべてであり、すべてのうちにおられる」(コサイ3章11節)恵みの事実を、聖霊ご自身と聖書に導かれ確認しつつの生活・生涯。

内村鑑三、「聖書全部真言論」『聖書之研究』220号(1918年11月10日)。全集24巻
 この徹底した聖書信仰についての宣言が、1918年の時点でいかに大切であったかと同時に、現在も同じく要であると強調でき、感謝。