『礼拝の生活』再考、その37

1971年3月7日
『礼拝の生活』36号

(巻頭言)「幼稚科下級」 
教会学校の各分野は、それぞれ特徴のある歩みを続けています。
その中で、この一年特別な意味で私たちに祝福を与え続けていてくれるのは、幼稚科下級クラスです。
 もみの木幼児園の園児(四、五歳)の中に入っていけないもっと小さな子供たちのために、幼稚科下級(二、三歳の子供を対象)を別に分けた時、三、四人の子供がいるばかりでした。しかし今は、十数人の二、三歳の子供が、毎日曜に出席しています。そして数ヶ月ががりで暗誦聖句を覚えたり、賛美を歌ったり、祈りの時を持っています。
子供たちは、教会学校が本当に楽しみのようです。
 
幼稚科下級は、単に教会学校の内部で大きな励ましを私たちに与えてくれているばかりでなく、教会学校と幼児園の関係についても光を与えてくれています。
幼児園に入園しその結果、教会学校に出席するばかりでなく、教会学校に出席するようになり、教会学校の延長として幼児園に入園するケースが多くなるのです。そうです、教会学校の目的と深い関係で幼児園の入園が決定されていく道が、新しく開かれてきたことを意味します。
 
さらに教育の根本に、唯一の生ける、真の神を信ずる信仰の基盤が、単に形式的にではなく、生きた現実に根ざしていく必要が満たされる道をも、この幼稚科下級は開いていく使命を与えられていると判断します。四月から、また数名の子供たちによって、新しい年の幼稚科下級が整えられようとしています。教会全体がこのために常に祈り続け、協力し続けたいと願います。

★40年後の今、確信は両方向へ広がります。
二、三歳児と言わず、当歳児でも、いや胎児でもみことばを語るのに、早すぎることはない。みことばとともに生きて働く聖霊ご自身の働きの事実の故に。

 同時に、どんな年齢を重ねた方でも、その方がどのような状態であろうと、俗に言う、「棺桶に片足を突っ込んだ状態であっても」、みことばを語るのに遅すぎることはない。そうです。みことばとともに生きて働く聖霊ご自身の働きの事実の故に。
 底に徹した、徹底的聖霊信仰です。

この確信の一端を、「聖霊論の展開」(宮村武夫著作177頁以下)に記しました。
祈ります。この視点に立ち、組織神学いや有機神学を紡ぎ刻む、若き僕仲間と出会いバトンタッチをしっかりとなすことを、アーメン。