注解申命記、二つの備え

注解申命記、二つの備え
[1]序 
1986年4月家族で沖縄移住直後、申命記の注解(いのちのことば社、新聖書講解シリーズ)執筆の依頼を受け、1987年1月に出版して頂きました。当時でも珍しくなっていたねずちゃんの運動場つき住居など、制約の厳しい状況下での営みであり、忘れ難い思い出なのです。
そのような事態のもとでも、比較的短期間に書き上げ得たのは、二つの備えがあったからと判断します。青梅キリスト教会の歩みの中で、また1963年9月から1967年6月の留学時代に、思いを越えた備えをなしていたのです。

[2]モーセ五書を一章づつ、繰り返し 
1970年4月都下の青梅キリスト教会で牧会を開始したとき、二つの新しい試みを始めました。
 埼玉県の寄居キリスト福音教会では、毎月、『月報』を出し続けていました。しかし青梅キリスト教会では、毎週、『礼拝の生活』を。主日礼拝を中心に週単位の歩みが、地域教会におけるいのちのリズムの基盤と理解したからです。
 もう一つは、毎週の祈祷会・聖書研究会で創世記から申命記までモーセ五書を一章づつ読み続ける原則の確立です。
旧約聖書から分離して、新約聖書は、真に理解できない。そして旧約聖書の全体的構造を考察するなら、モーセ五書が基盤・基礎である事実は明白。それゆえ、キリスト者・教会が聖書に聴従しつつ前進し続けようとするなら、モーセ五書に徹底的に踏みとどまり、深く豊かにそのメッセージを味読することは絶対必要ではないか。
 来る月も、来る年も毎週モーセ五書から一章づつ読み続け、申命記34章を読み終えたなら、その翌週は、創世記1章に戻るのです。1970年4月から1986年3月まで、この基本線に従いモーセ五書を群れとしても個人としても味読し続けたのです。
 この期間、「私女中」と、独特の自己紹介をなさる一姉妹が、各集会で私が話した内容をほとんど文字どおりに書き留め、次の週に清書したものを手渡してくれたのです。十数年間書き続けられた、かなりな枚数を、私は青梅から沖縄まで持ち運んでいました。
 循環的な通読により蓄えられたモーセ五書全体の有機的な結びつきに対する確信と共に、
一姉妹と私の合作とも言うべき資料は、執筆のため少なからぬ助けとなりました。

[3]M.G.クライン教授からの学恩 
1963年9月から1966年6月まで学んだ、学生数150人前後の比較的小規模なゴードン神学院では、当時新約部門は、G.バーカー(後にフラー神学校のデーイン・学監)、W.レイン(ワード注解シリーズでヘブル担当)、R.マイケル(同シリーズⅠペテロ担当)の三羽烏三者三様の生き生きとした実に魅力的な授業を展開していました。さらに今思えば夢のようです。各教授が己の存在を注ぎ込む個人指導も受けることが許されたのですから。
 しかし旧約担当は、ケア教授が学監職で多忙、もう一人の教授がイスラエル研修後、他大学に移るなどで、手薄の感を否めませんでした。
 ところが1964年、M.G.クライン教授がウエストミンスター神学校から迎えられると事態は大きく変わりました。
 移籍が急であったためか、クライン家族は、初め既婚者寮に住まわれ、三人の男の子が私たち学生家族と一緒にスポーツをするなど家族ぐるみで親しい交流を重ねました。
 クライン教授が最初に担当した詩篇の授業は、ヘブル語を学んでいる者とそうでない者両方を一つのクラスで教えながら、レポートは二つのグループそれぞれの特徴と限界に応じて書かす、創意に満ちたもので、何事にも主体的な言動を発揮するクライン流でした。
 授業の試験の後で、「タケオ、答案に書いたようなことをどこで学んできたのか」と個人的に質問を受けました。私が、「渡邉公平教授から」と答えると、[コーヘイからか]と納得の様子。渡邉先生が最初にウエストミンスター神学校で学んだ戦前最後の日々、そして日米開戦後交換船で帰国、そうした時代背景のなかで両先生はともに学んだのです。
 クライン先生の専門は、ヒッタイト宗主権条約と申命記の実証的な比較。両者の類似と区別を提示し、申命記モーセ著作説に立ち、深く豊かな解釈・読み取りを展開する。私の申命記理解に決定的な影響を与え続けているのです。
 さらに生涯決して忘れることの出来ない、聖書の根本的な読み方そのものをクライン先生から叩き込まれました。
 聖書を中央に置き、右に古代オリエントの資料を、左にG.ヴォスの聖書神学を中心とする著作を開いて、聖書を徹底的に読み進めて行く。この基本姿勢を私たちに一同に説き続けてくださったのです。熱っぽくしかも明晰に。
 何よりも心に残る一事。それは、聖書の上は勿論、横に立ったり斜に構えるのではなく、聖書の下に、そう、徹底的に聖書の下に立ち続ける、アンダー(下に)スタンド(立つ)、
それでこそ理解、理解への道だとクライン先生は学生各自に語りかけ、私の心に杭を深く打ち込んだのです。同時に、神と人の関係は、父と子、主と僕の両面があるとの教授の提示は、後の聖書の契約構造把握の私なりの展開にとって、貴重な種の役割を果たしてくれました。
 クライン先生の明確な確信に満ちた授業でのことばは、私の知・情・意を通じて心の奥に刻み込まれ、申命記執筆をはじめ、聖書を読み聖書から語るときに影響を与え続けている事実を、思い知るのです。

[4]集中と展開 
申命記の小さな著作を執筆しながら、「あのモーセの時点においてと同じく、神の恵みと神の民の罪の現実に直面しつつ過去を回顧し、なおも神の恵みに立って将来を展望し続けることを求められ」(拙書、『申命記いのちのことば社、283頁)ていると確認しました。
(1)集中 
過去を回顧し、将来を展望する。
申命記』出版の直後、合同して大規模なゴードン・コンウエル神学校となった母校を訪問する機会があり、折りよくクライン先生にお会いできました。参考書として先生の著書名を記している私の注解書の箇所を指差すことができたのは、先生からの学恩に対する、余りに小さな、それでも私にできた精一杯の感謝の表現でした。

(2)展開 
申命記を通しての回顧と展望の主題は、地域教会の主日礼拝を中心に過ぎ去った一週間を回顧し、来らんとする一週間を展望するキリスト者・教会の基本的あり方であると受け止め、語り続けてきました。
 今回の新しい形式の本著作が、読者であるあなたが過去を回顧し、将来を展望しつつ歴史形成の営みを継続し続けるため、少しでも役立つことでもあれば、クライン先生からの学恩対する、今度こそ小さくない感謝のしるしと覚え、喜びます。