『礼拝の生活』再考、その16

1970年9月20日
「礼拝の生活」15

(巻頭言)「反省と展望」 
夏から秋へ。教会の歩みが深まり行こうとしている今、近づく臨時教会総会(10月4日午後)を大切な機会として心の備えをしたいものです。臨時総会が、私たちの上半期の歩みの反省、また下半期の展望の機会として用いられるように期待し願っています。
 教会の歩みを考える時、形に現れた形式や統計的な数字にのみ心が奪われないように注意したいのです。しかし形式や統計を無視する必要もありません。種々の形に現れてきている事柄や統計的な数学を通して、より客観的に自らのあり方を反省し、また未来への洞察を与えられるならば実に幸いです。
 私たちは定期集会や教会会計について出来るだけ現実的に分析し、感謝と悔改めの心をもって未来へ立ち向かうべきです。
四月以来の新しい試みである「礼拝の生活」、中学生集会についてもう一度全体で考えましょう。執事会、青年会、教会学校教師会についても。
さらに、母子室、輪転機、ファイル・キャビネット等の教会設備について、与えられているものを充分に活用しているかを反省したいと思います。
 上半期を反省しながら、下半期も確実な歩みを続けたいのです。12月19日、20日の市民会館での集会のために、大胆なしかも繊細な計画を進めましょう。音楽委員会の歩み、来年度からの教会婦人会、高校生のための具体的な準備、宗教法人化の課題などについて。

★「反省と展望」との表題に、時間の経過を実感します。
1970年代から1980年代の旧約聖書の継続的な読み進めを背景に、
1980年代の後半に、申命記の主題を「回顧と展望」と把握、明確に提示するようになりました。個人的な申命記の味わい、教会の集会での継続的な学び、説教、講解などの営みを通して「反省と展望」から「回顧と展望」への道を導かれたと感謝しています。
 今一つの節目を経過しようとしています。
宮村武夫著作2『礼拝に生きる民』説教・註解 申命記(ヨベル)が6月末に刊行されようとしています。まさに「反省と展望」から「回顧と展望」への道の只中から、同時に青梅から首里への移動の中で生み出されたものです。

しかし営みの根底には、恩師渡部公平先生からの学恩が先立っていた事実を、上記の著作の「回顧と展望の原点を共有して」と題する巻頭言で、畏友清水武夫先生が明示してくださっています。
「宮村先生は申命記の主題を回顧と展望としてとらえておられます。私自身も、折に触れて、自らの思索と歩みを回顧し展望してきました。……形而上的・心理的なことと認識的・倫理的なことの区別と関係という、渡邊公平先生から学んだ弁証学の基盤にあることです。これは個人的な歩みの回顧と展望の原点であるだけでなく、神が創造の御業において造り出されたこの歴史的な世界のうちにあって、この世界の歴史を回顧し展望するための原点でもありますし、神の創造の御業と贖いの御業を貫くみこころを、歴史的に回顧し展望するための原点でもあります。
宮村武夫先生がこのことを共有してくださっているということをあかししてくださったときに、私は自分がこの著作集の中の『申命記』に寄稿させていただいたことのより深い意味を汲み取らせていただきました。」

「反省」と「回顧」の相違・関係を考えると、もう一つの課題に直面します。
それは、回顧に深くかかわる記憶です。
聖霊ご自身と人間の記憶の関係は、日本クリスチャン・カッレジ1年生の時以来、私を引きつけている課題です。その上で、「回顧と展望」との把握のためには、聖霊ご自身についての理解の深まりを待つ必要があったと受け止めています。