『礼拝の生活』再考、その34

1971年2月14日
『礼拝の生活』33号
 
(巻頭言)「日本新約教団総会に出席して」
 
2月10日、11日、奥多摩キャンプ場で、日本新約教団の総会が持たれました。
総会の正式な報告は、次回の『新約時報』を通してなされることになっております。
ここでは、個人的な印象をお伝えし、特に教えられたことを共に考えながら、日本新約教団の交わりの中に生かされている青梅キリスト教会の歩みの目標をより明確に、より具体的に出来ればと願っています。
 
まず2月10日の夜は、テーマ「宣教の幻」を中心として、各教会の現状分析と展望が報告されました。各地域によって、また各教会の成長段階によって、それぞれ特徴ある戦いがなされている事実を知らされました。
またそうした戦いの中で、種々様々な形で、主の祝福を受けている様子が、次々と報告されていきました。現状分析と言う時、教会の姿を、どれだけ正確に私たちが見る事が出来るか大切な課題です。この意味で横浜の教会が、過去八年間のデーターを用い現在の状態を分析していったのは、私たちが何をどのようになすべきか重要な方向を示してくれました。
 
各教会の報告を具体的に伝えることは、報告の量からここでは不可能です。
しかし報告全体を通して教えられたことを是非お伝えしたいのです。
それは、私たちが、二つの大きな課題に直面している事実です。
 一つは、未だキリストの御名を受け入れていない人々に、福音を伝える福音宣教の課題です。日本新約教団に属するそれぞれの群が、各地域の与えられた立場において、宣教の戦いを苦しみながら展開している様を具体的に知らされました。単に現在のことばかりでなく、将来への展望も報告されました。
私たちの群が初期から一貫して歩み続けてきた、開拓伝道から教会形成へとの着実な歩みを再確認出来、とても感謝なことでした。福音宣教こそ日本新約教団全体に与えられている使命であり課題です。
 
しかし、もう一つの課題が、同時に、はっきりと浮び上ってきました。
それは、福音を生きる課題です。つまり、キリストの教会は本来いかにあるべきか。
キリストの体の一肢体であるキリスト者各自は、具体的な立場でいかに生きるかの課題です。まさに宗教改革の課題です。私たちの群が真剣に主に従おうとする時、以上の二つの課題の両方とも無視できません。

2月11日の午前中は、雨宮議長を通してエペソ書4章からの宣教がなされました。
日本新約教団が公同の教会である原点が、もう一度明らかにされ、非常に感謝でした。
 礼拝に引き続き議事に移りました。具体的な点は新約時報の正式報告を待ちます。しかし、記念すべき総会であったことは、今までの教団負担金ではなく、教団献金と名称が変更、日本新約教団全体が一致して宣教への態勢が整えられつつある事実一つを取りあげても明らかです。
 総会を通して、青梅キリスト教会の歩みについて特に教えられたことは、御言葉の徹底的な学びの必要と家庭集会をさらに多くの場所で開くことです。教会全体が、各家庭が、徹底的に御言葉を聞き従がうこと、その一事が強く求められています。

★この一文を再読して、「いちずさ・一途さ」が心に浮かびます。
聖書を読み、従い、伝える営みにいちずに、個人としても地域教会としても。その確認の場として、日本新約教団総会が機能していたのではないか。
 その線に従った青梅・小作における16年の私の小さなであり、その精神と生活の継承が沖縄での25年の営みであると覚えるのです。

 沖縄の金城重明先生は、私の聖書に対する「いちずさ」を深く理解し励まし続けくださるお一人です。沖縄から市川へも励ましの便りを頂きました。
 「宮村武夫先生
    君代様
  主の御祝福と平安を心からお祈りも申しあげます。
  小生の神学校の同級生でした小池創造牧師(日本キリスト教会)の著書2をご進呈申し上げます。・・・先生ご夫妻にもお読み頂ければ嬉しいです。
  先生のご健康が益々恵まれ、ご夫妻の尊いお働きが豊かに祝されますようお祈り申し上げます。
        金城重明」