『モーセの十戒に見る神様・私・隣人』

モーセ十戒に見る神様・私・隣人』
出エジプト20章1−17節

[1]序
(1)基盤 
A.初めに神・三位一体の愛の神、創世記1章1節に見るように、
「初めに、神が天と地を創造した。」、先行する神の恵みの事実
B.恵みを無駄にせず恵みに応答、パウロが生活・生涯をとして実証するように。
A,Bが堅く結ぶ呼応関係、これこそ聖書を一貫する主題、柱。

(2)モ−セの十戒の前後関係
 19章あっての20章、19章4節と19章5,6節の結びつき。
 19章16節に基づく山岳宗教ではなく、→20章1節「それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。」日本語においても、「こと」と「ことば」は、本来一致。

[2]モ−セの十戒、何が、どのように、十戒の内容と構造
(1)構造、ハイデベルグ信仰問答94答え
 十戒は、二つの板に分けてある。参照マタイ22章36−40節。
 第一は、四つの戒め、神に対してどのように行為すべきか提示。
 第二は、六つの戒め、隣人に対して、何を負うているか提示。

(2)モ−セの十戒の目的、ハイデベルグ信仰問答115答え
①自分の全生涯の間、自分の罪深い状態を、時とともに、ますます、多く認め、いよいよ熱心に、罪のゆるしとキリストにおける義を、求めるようになるため。
②たゆまず励み、時とともに、神のみ姿に似るようにかえられ、ついには、この世の後に、完成の目的に、到達し得るように、御霊の恩恵を求めるため。

[3]モ−セの十戒、二つの戒めの場合。

(1)十戒の要といての12節。
 「父母を敬え」の掘り下げる必要。正しく、深く、豊かに。
父母を通して、神に対する関係と隣人に対する関係の両方を味得。
エペソ6章1節の前に、5章22−33節。結婚、家庭の有神論的理解・生活・生涯における経験として受け止め。

(2)16節の場合。
①聖書の神様は真実なお方、うそ・いつわりと全く無縁。
②21世紀の日本福音キリスト教会連合の宣教方針との問いに対して、
「うそをつかない」と宮村、沖縄地区代表として、全国総会で提唱。
③著作Ⅰ『愛の業としての説教』、「聖霊論の展開」参照
 あることをないかのごとく、
 ないことをあるかのごとく・・・聖霊ご自身の導きを受けつつ事実判断、記録。

[4]集中と展開
(1)集中 神の愛と神の命令・戒め・真理の不可分の結びつき
①「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」
出エジプト20章6節)

②「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」(ヨハネ14章15節)
「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」
ヨハネ14章21節)

③パパニコルからの継承
「愛をもって真理を語り」(エペソ4章15節) 

(2)展開 20章24節「土の祭壇」を中心の歩みの展開
「わたしのために土の祭壇を造り、その上で、・・・わたしの名を覚えさせるすべての所で、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福しよう。」
エジプトの固定した、特権階級と結びつき祭儀。
鋭い対比
ポ−タブル「土の祭壇」。生活・生涯の只中での礼拝。礼拝と生活ではなく、礼拝の生活。
−「牧会」の本来の、深い、豊かな理解と実践を求めて−牧会は、牧会者である牧師だけがするとの狭い、一面的な理解と主張が幅を利かせている現状に違和感を覚え続ける。これに対比して、私なりの理解と主張の要点を中嶋聡兄が、『愛の業としての説教』の帯に書いた推薦文で提示。
「宮村先生は首里福音教会牧師時代、私たち教会員に、『持ち場立場でのそれぞれの活動が牧会である』と言われました。みことばに堅く立ち、それぞれの現場を大切にし、現実現場に即してものを考えようとする姿勢です。ご自身の持ち場・沖縄を人一倍愛しつつ、曖昧な妥協を嫌い、先入観にとらわれずに社会や歴史を判断する強さをお持ちです。そんな先生の著作集に心から期待しています。」