2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

『礼拝の生活』再考、その15

1970年9月13日 『礼拝の生活』14号 (巻頭言)『夏から秋へ』 教会の歩みの深まりが、平凡な戦いを通して実現されていくということを、もう少し、考えてみたいと思います。 まず、「平凡な」戦いという面を思いめぐらす必要があります。教会全体としてもキリ…

『ザアカイの記事に見る神様・私・隣人』

[1]序 (1)福音 Ⅱテモテ2章8節、「私(パウロ)の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」(2)福音書 参照「四福音書味読の手引き」 イエス・キリストのことば、業、人格…

5月15日に,メールを

沖縄宣教研究所を通して交わりを与えられている、カトリックのうちなーんちゅYK兄からメールを受け取りました。 「いつも「沖縄」のためにお祈りいただき、感謝。 復帰で何が変わったのか。 沖縄は、日本はどこへ行くのか。 そしてオイラは? 自問の日。」…

『モーセの十戒に見る神様・私・隣人』

『モーセの十戒に見る神様・私・隣人』 出エジプト20章1−17節[1]序 (1)基盤 A.初めに神・三位一体の愛の神、創世記1章1節に見るように、 「初めに、神が天と地を創造した。」、先行する神の恵みの事実 B.恵みを無駄にせず恵みに応答、パウロが生活・生…

『礼拝の生活』再考、その14

1970年9月6日発行 「礼拝の生活」第13号(巻頭言)「夏から秋へ」 「季節の移り変わりは、私たちの生活全般に、微妙な影響を与えます。 同様に、キリストの生ける体である教会も、季節の移り変わりを敏感に感じながら、歩みを続け成長していきます。 夏。そ…

『礼拝の生活』再考、その12

1970年8月23日 「礼拝の生活」第11号 「聖霊によって祈り」 今年の夏季聖会も大きな祝福の中に終わり、実に感謝でした。 主題の「唯一の君」(ユダ4)の下に、私たちの群全体の歩みが、御言葉の光によって、もう一度深く検討されました。 具体的には、「聖徒…

『礼拝の生活』再考、その13

1970年8月30日 『礼拝の生活』 第12号(巻頭言)「夏季学校が終って」「夏季学校も無事終わりました。8月22日、23日の二日間、心配された天候も守られ、何よりでした。 主題「天地の造り主」(詩篇121篇)に従いなされた聖書の学びは、奥多摩バイブルキャン…

『礼拝の生活』再考、その11

1970年8月9日 『礼拝の生活』第10号「来年の高校生、中学生のキャンプのために」 奥多摩バイブルキャンプ場の高校生、中学生キャンプが終りました。二十数名の高校生、四十名の中学生が各地から集まってきました。彼らは講師、カウンセラーの指導の下に、一…

第9回市川うちな−んちゅの部屋祈祷会

第9回市川うちな−んちゅの部屋祈祷会 日時 2012年5月26日(土)午後2時 場所 〒272 -0034千葉県市川市市川3 -37 -11A 市川うちな−んちゅの部屋 祈祷課題 基本課題 基地返還後の沖縄の展望のため 具体的課題①2012年無教会全国大会、 11月3日(土)、4日(日)…

『礼拝の生活』再考、その10

1970年8月2日 『礼拝の生活』第9号「大学生キャンプに出席して」 「奥多摩バイブルキャンプ場での大学キャンプ(7月20〜25日)、祝福の中に終りました。各地から集まってきた約30人の大学生が、講師の舟喜信先生を通してのメッセージを中心に、有意義な、し…

『ローマ人への手紙一、二、三』

『ローマ人への手紙一、二、三』 ロ−マ1章1−4節、11章36節−12章2節、16章1−2節 2012年2月19日 那覇聖書研究会 [Ⅰ]序 (1)主の御名を讃美いたします。 昨年5月、25年ぶり関東に戻りましたところ、「おかえりなさい」とのことばを自然な雰囲気で受けました…

『聖書は全て神の霊感によって』

『聖書は全て神の霊感によって』 Ⅱテモテ2章8−13節 2011年4月3日 那覇聖書研究会 [1]序 沖縄での25年間を回顧します時に、那覇聖書研究会の諸兄姉との主にある交わり、いかに尊いものであるかを再確認し、御名を崇めます。 私たちの交わりの基盤は、徹底…

『徹底した聖書信仰・徹底した聖霊信仰』

★2006年3月、思いがけない経緯から首里福音教会を離れ聖望キリスト教会に転会しました。その際、沖縄バプテスト連盟の那覇バプテスト教会は、私たち二人を客員として迎えてくれました。以前からの主にある交わりは、それ以来一段と深まり続けました。 昨年5…

ヨハネの黙示録の視点・どこから見るかと視野・何が見えるか

(1)二つの見方 ヨハネの黙示録について,読み手の間に正反対の受け止め方があります。 ①一方では,ヨハネの黙示録に見る独特の表現,いわゆる黙示録文学的表現に違和感を持ち、難解な書として、敬遠してしまう場合。 ②もう一つの受け止め方があります。 …

『礼拝の生活』再考、その9

1970年7月26日発行 『礼拝の生活』第8号(巻頭言)「成長させてくださる神」 「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それて、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。」(Ⅰコリン…

『センド・派遣をめぐって』

『センド・派遣をめぐって』 ヨハネ20章19−23節 1.序 本プログ投稿を含め総主事として、日本センド派遣会の働きを続ける中で、時々質問されることがあります。 日本センド派遣会の「センド」とは、どういう意味かと。 それで一応、「センド」は、「Send・派…

『礼拝の生活』再考、その8

1970年7月19日、『礼拝の生活』第7号(巻頭言)「信じ、考え、生きる」 「先週の主日午後、青年会の集会がありました。 内村鑑三の「後世への最大の遺物」をテキストにした読書会でした。 参加者各自の著者に対する感想を聞きながら、幾つかのことを改めて教…

なお成長し広がる伊江島中高キャンプ

伊江島中高キャンプがもはや毎年春、夏に開かれなくなってから、すでに数年立ちます。 ですからキャンプに関わりを持っていた教会や人々の間でさえ、キャンプの記憶が次第に薄れていくのが実情でしょう。 しかし伊江島中高キャンプの存在は消滅したわけでは…

『礼拝の生活』再考、その7

1970年7月12日、『礼拝の生活』第6号巻頭言『多くの小集会を』 「現在、私たちは、主日礼拝を中心に幾つか定期集会を守っております。定期集会、特に毎主日の公同礼拝がいかに大切なものであるかは、改めて強調するまでもない。主日礼拝は私たちの礼拝の生…

『礼拝の生活』再考、その6

1970年7月5日、『礼拝の生活』第5号「夏季聖会を前に」 今年も夏季聖会の案内が送られてきました。とても良く出てきた、美しい案内です。楽しみながら読まれたことと想像します。 夏季聖会が、一歩一歩充実していく様子を肌で感じることができて、本当に感謝…

−伊江島中高生キャンプの歩みー

★沖縄での25年を回顧する営みにより、沖縄宣教の現在と今後になお参与することが許されたら、そんなささやかな願いを抱いています。 沖縄での25年にとり伊江島中高キャンプは、重い意味を持ち続けました。 二重の点から、 ①沖縄の課題は離島、これは終始一貫…

『礼拝の生活』再考、その5

1970年6月28号 『礼拝の生活』第4号「『と』と『の』は違う?」 『礼拝の生活』の第4号を出すことが許され、感謝しております。 ところで、「礼拝の生活」という名前、普通の感覚では「礼拝と生活」の方が、より自然に響いてきます。いずれにしても、「礼拝…

『三代、四代の恵み —日本の教会に見る恵みの結晶 ——』

★四国讃岐は、丸亀聖書教会の淵上行道・芳子牧師ご夫妻は、私たちが宣教の場を失う修羅場通過の期間、主にある交わりの場と宣教の機会を提供してくださいました。 3年間毎年2月に丸亀聖書教会を訪問。ご夫妻と様々な状況・場面で、何時間も、何時間も恵みの…

『礼拝の生活』再考、その4

1970年6月21号 『礼拝の生活』第3号「青梅キリスト教会―私有化との戦い―」 私たちが教会の本質である的地域性に目覚めさせられる時、1970年青梅の地で、「キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒として召された」(Ⅰコリント1:2)人々が、礼拝の生活を生…

『礼拝の生活』再考、その3

1970年6月14日 『礼拝の生活』第2号「青梅キリスト教会―教会の地域性について―」 「青梅キリスト教会」という名は、その意味を気にすること自体が不自然な程ほど、私たちの日常生活の中にしっかりととけ込んでいます。 しかし少し考えてみると、この平凡な名…

四福音書味読の手引き

★このようにブログへの投稿。 思いを越えたことです。 しかし50年にわたる同志湊先生の以下の勧めへの一つの応答かなと 理解し始めています。 「これからも日本の青年たちのために、洞窟の中で神学を語るのではなく、 世の真っただ中に毅然として共に立ち、…

『礼拝の生活』再考、その②

1970年6月7日発行、『礼拝の生活』第1号「礼拝次第の報告―その豊かな意味の一端―」 「前奏から始まって後奏にいたるまで、礼拝次第は、讃美(詩篇・賛美歌)と御言葉(聖書・宣教)と祈り(言葉・献金)によって満たされ、全体として公同礼拝を形成していま…

1604年から

5月27日のペンテコステに、カナダの聖公会で、聖望キリスト教会出身のウォーレン志保子按手式を受けるべく、最後の大切な準備を重ねています。 私も推薦状を書く栄誉を与えられました。 ところが推薦状提出した後に、改めてサインした合意書の送付を求められ…

『礼拝の生活』再考、その①

1970年4月から1986年3月まで、青梅キリスト教会牧師としての歩みを重ねました。 この青梅・小作時代は、私の30代の丸まる10年と40代の前半を含む期間、3歳年下の君代にとっても、おおむね同じでした。 さらに四人の子供たちにとっても、それぞれにとり意味…

この日、この場の桜見物

昨4月30日、妻君代は、郷里岩手県北上に、30年ぶりに桜見物に出かけて来ました。朝早く新幹線で北上に向かい夜9時前後に帰宅する、少し強行軍の一人旅でした。しかも、このところ君代は、まだ原因がはっきりしないからだの痛みが続いているのです。 めずらし…