『礼拝の生活』再考、その11

1970年8月9日
『礼拝の生活』第10号

「来年の高校生、中学生のキャンプのために」 
奥多摩バイブルキャンプ場の高校生、中学生キャンプが終りました。二十数名の高校生、四十名の中学生が各地から集まってきました。彼らは講師、カウンセラーの指導の下に、一週間の共同生活を送ったのです。
プログラムは、午前中の聖書の学び、午後の各種のレクリエーション、夜の講義を中心とした集会を含みます。さらに個人的な話し合いも、大切な時間です。参加した高校生、中学生にとって、忘れることのできない意味深い一週間となったと確信します。
 バイブルキャンプの働きのために大切な点は、バイブルキャンプに対する各教会の積極的な関心と協力です。バイブルキャンプを単に夏の一行事と見るのではなく、教会全体の歩みの中で、はっきりと位置づける必要があります。
 
では、青梅キリスト教会として何をなすべきでしょうか。少なくとも次の三つのことが考えられます。
?9月から再開される毎週土曜日午後の中学生集会の充実と、新しいメンバーが増し加えられるように祈り、協力する。
?来年4月から、高校生会が開かれるように祈り、考え準備する。
?ラップ宣教師担当英語クラスのために、さらに先生の今後の働きのために教会全体が祈り、協力する。
 これらを通して私たちは、今の時点で、来年の中学・高校生キャンプのために、準備を開始することができます。
 教会が、歴史の中で創造的な働きをなそうと真剣に考える時、高校生や中学生への宣教を無視できません。そうです。来年のキャンプのため準備を今始めねばなりません。

★高校生時代に、キリスト信仰に導かれた私にとって高校生への関心を持ちつけることは、ごく自然なことです。
青梅時代の奥多摩中学・高校生キャンプへの思いは、沖縄における伊江島中高生キャンプへと継承進展しました。

もう一つの波紋は、母校をはじめ特定の高校のための継続的祈りです。
これは、高校時代からのキリストにある友・吉枝隆邦君の働きを通して静かに浸透しています。以前吉枝君が書いてくれた以下の報告に垣間見るように。

「卒業した高校のために祈ろう」                     吉枝 隆邦
「僕と宮村武夫君とは開成高校での同期生です。1956年4月、高校3年だったときからの主にある友です。
彼は僕が高校生伝道に召されていることをよく理解してくれて、いろいろなアドバイスをくれました。高校生伝道の全国展開を望むなら、日本中のクリスチャンに「あなたの卒業した高校のために毎日祈ってください」とお願いしたら効果的だと思う、と教えてくれました。現在はHi-B.A.(ハイ・ビー・エー:高校生聖書伝道協会)でもこの提案を真剣に受け取って、広く多くの人に呼びかけています。

2002年に僕たちの同期生が発案して、高校卒業45年の記念沖縄旅行が実施されました。彼はクリスチャンではないのですが、旅行の計画の中に同期生宮村君が牧師をしていた首里福音教会に寄って彼の話を聞く、というのがありました。それは2002年11月に実行されました。僕はその7月に脳梗塞で倒れて入院中だったので参加できませんでしたが、病院の中から参加者全員に宛てたファックスを送りました。宮村君はそれをコピーしてみんなに配ってくれたそうです。高校卒業以来の証の機会になりました。高校生の時にはいくら伝道してもろくに話を聞かなかった連中が、人生の夕暮れ近くなって、静かに神の言葉を聞くということが起こったのです。

祈り始めると同じことが起こると約束するわけではありません。何かがいつ頃起こるのかもわかりません。でも祈り続ければ、主はきっと何かをしてくださるに違いないと信じています。一人で祈るばかりでなく、同窓生が一緒に祈ったらすばらしいと、母校のための祈祷会を始めるように提唱したのも宮村君でした。以前学校内で聖書研究会が行われていたので(卒業後僕が母校に毎週通って5年半指導しました)キリスト者開成会があってすぐに10人ほどが集まりました。
最初は母校の近くにある喫茶ルノアールで会議室を借りてしましたが、部屋の借り賃のほかに何か一つ注文しなくてはならないし同時に夕食もしたいし、いろいろ費用がかかるし面倒でもあるので、そこで数回やった後は母校から遠くない僕の家でやることにしました。集まる人たちは僕の家に負担になるのではないかと心配してくれましたが、妻もこのような集まりに家が使われることを喜んで、毎回夕食作りの奉仕をしてくれます。それだけでなく一緒に集会にも出て祈ることによって、自分の母校都立三田高校のためにも何かをしようという思いが与えられて、三田高校のための祈祷会も数回開かれました。一度は参加者の提案を受けて、三田高校門前でのトラクト配布も実行したほどです。そのときには僕も杖をつきながら配布に協力しました。

さらに開成会会報に毎回証を載せるように努力した結果、前には知らなかった3年先輩のクリスチャンが連絡をくれて二人加わりました。その方たちは今では祈祷会の常連です。
茶店でやっていた頃クリスチャン新聞の記者が来て、その経験談をクリスチャン新聞に記事にして広く呼びかけたこともあります。その記者はある会合でクリスチャンの同窓生と知り合って、二人で自分たちの母校のための祈祷会を始めたそうです。
Hi-B.A.の卒業生(Hi-B.A.で救われたり育てられたりして、高校を卒業した人)のかなりの人が母校のために祈り続けることを約束してくれたので、賛同者・実行者は意外に増えてきたと思います。でもまだまだ数字としてはわずかなものに過ぎません。あなたも卒業した高校のために祈り続ける仲間になってくださいませんか。同時に、ほかのクリスチャンに母校のための祈りを呼びかける推進者になってくれませんか。それが主の福音のため、高校生のためになって、将来の日本を変える一番確かな道ですから。」

 沖縄の各高校のために、少なくとも二,三人の継続的な祈りの手のリンクを。
これは、沖縄での25年での見果てぬ夢の一つでした。
しかし今でも諦めたわけではない。どのような形かで、沖縄の各高校のための祈りのリンクが張られ活用されるために労する方々が起こされるように祈ります。