5月15日に,メールを

沖縄宣教研究所を通して交わりを与えられている、カトリックのうちなーんちゅYK兄からメールを受け取りました。
「いつも「沖縄」のためにお祈りいただき、感謝。
復帰で何が変わったのか。
沖縄は、日本はどこへ行くのか。
そしてオイラは?
自問の日。」

 このメールを受け取り、1986年4月から2011年5月まで25年の沖縄滞在について考える課題を改めて覚えます。
 その場合、二つの足掛かりがあります。
 一つは、2000年の第四回日本伝道会議宣言文です。
その起草のために沖縄の教会から選ばれ委員会に加わり、それなりの役割を果たすことが許されました。
 役割を果す過程で、沖縄市で長年宣教牧会に当たる、高原ホーリネス教会の荷川取順一牧師から、「第四回日本伝道会議宣言文草案」の感想と要望を受け取りました。
あの時の制約の中でも、荷川取先生との主にある信頼の中から書かれた文章は、私にとり事実判断と価値判断の両面において助けとなりました。
 しかしあの文章全体を通し、私の沖縄での25年、さらには沖縄の歴史と現実を直視する課題が宿題として残されています。

 もう一つの大切な足掛かりは、沖縄宣教研究所の交わりです。
1998年沖縄伝道・宣教会議が開かれた際、文書委員会に属し協力し、かなりの激論を経験しました。
 この会議から沖縄宣教研究所が誕生、その歩みが進められる中で交わりに参加し続け、さらに昨年5月沖縄を離れても、研究会の一員であり続けています。

 以上の二つの足掛かりに助けられながら、小さな営みをなす事ができれば幸いです。
うちなーんちゅYK兄への応答の意味でも。