『三代、四代の恵み —日本の教会に見る恵みの結晶 ——』

★四国讃岐は、丸亀聖書教会の淵上行道・芳子牧師ご夫妻は、私たちが宣教の場を失う修羅場通過の期間、主にある交わりの場と宣教の機会を提供してくださいました。
3年間毎年2月に丸亀聖書教会を訪問。ご夫妻と様々な状況・場面で、何時間も、何時間も恵みの時をともに過しました。
 それだけでなく、教会の兄姉とも交わりを重ねました。
その中でも、当時95歳前後であった芝房子姉との出会いに焦点をしぼり、報告いたします。

『三代、四代の恵み —— 日本の教会に見る恵みの結晶 ——』                                        Ⅱテモテ1章5節
1)2008年2月に最初の出会い  
 1957年1月から、高校卒業を待てずに、万代先生の松山開拓伝道の手伝い、「宮村君、主イエス様のために、悪いこと以外何でもしよう」と気合の入った伝道初陣の期間に、
讃美歌404番「山路こえて」作詞の由来について聞いて知っていました。
 松山から宇和島への伝道旅行の途中での経験から、作詞者の西村先生は、この讃美歌を作詞なさったと。
 「山路こえて ひとり行けど、
  主の手にすがる 身はやすし」
 ところがです。2008年2月、同じ四国の讃岐は丸亀聖書教会の主日礼拝後、当時94歳の芝房子さんが、驚いたことには、
「あの時、西村先生は、宇和島の私の実家に向かわっておられたのです。」おっしゃるではありませんか。
 こともなげに話される房子姉に接し、この方は歴史を生きておられる、生きた歴史そのもの人だと圧倒されました。

(2)2009年2月のこと
 2009年2月15日(日)、丸亀聖書教会の主日礼拝後、芝房子姉が、「私の書いた小さな冊子です」と、ふじ色の冊子を手渡してくださいました。
芝房子著、『小さな歌声で』(聖恵授産所、2008年)。56頁の美しいものです。
 2月16日(月)早朝、『小さな歌声』を読み始めるや否や、その内容に惹き付けられました。そこで、10時に始まるケアハウス・ベテルでの集会の前に、房子姉宛のかなり長い手紙を一気に書きました。
 
 ベテルの集会では、2年続けて童謡説教。しかも寅さんスタイルで。
淵上先生も、寅さんの映画が大好きとのことで、「沖縄の寅さんです」と思いを込めた紹介。
 集会後、芝姉に手渡した手紙は、冊子の中で、特に私の心に残った以下の二箇所を中心にしたものです。

3)房子姉の祖母と母
 「わかりにくい聖書も、神様が教えてくださるということの確かな証として、私の祖母のことを少し書いてみます」と、芝房子姉は、お孫さんにご自分の祖母のキリスト信仰への道を記き始めておられます。

 お婆様は、「土佐の人で異常ともいえるほど熱心に日本の神々を拝んでいる」(38頁)方だったのです。
 ところが、三女が「横浜のフエリス女学院に学び、卒業後土佐に戻ってきた時、キリスト教の信者になっていたのです。」
このため祖母は烈火のごとく怒り、「勘当だ、すぐ出て行け」と大変な剣幕。
 これに対して三女・お鹿さんは、
「クリスチャンになったから勘当だと言われれば仰せに従いますが、先にこの聖書を読んでみてください。その上でキリスト教は悪い宗教だと思われるなら、私は出ていきます」と、彼女らしい信仰の証を立てたのです。
 祖母の言動は、実に徹底しています。
「よろしい。必ず全部読みましょう。」と答えると、その言葉の通り、
「三日三晩かけて寝食を忘れ読んだそうです。……一心に読み、四日目にわが娘に頭を下げ、
『私が悪かった。このような神様がいらっしゃるとは夢にも思わなかった。よくぞこの聖書を私に教えてくれた。私もこの神様を信じたい。牧師さんを連れてきてほしい。』(39頁)と、猛烈なキリスト教信者としての一歩を踏み出したのです。

 聖書に堅く歩みを続ける中で、「一族が皆クリスチャンになったのです。」(40頁)
 そうした中で、祖母と母とのキリスト信仰について、房子姉は印象深く記しています。
「祖母は私の母が十四歳の時に聖書を胸に抱き熱い祈りのうちに五十歳の生涯を閉じました。
 亡くなる前、どんなことがあっても私の母を信者でない人に嫁がせないようにとの遺言を残していました。……これは神様の御摂理だったのでしょうが、祖母が死の最後まで祈りつづけた願い
は、確かに神様に聞き届けられ、九年後に成就されたのです。母が二三歳の時でした。」(40、42頁)

(4)三人姉妹の信仰
 母、さらに祖母と時間を貫く恵みの流れ。
 同時に、同時代を共に生きる三人姉妹の姿を生き生きと伝えてくださいます。
「私は三人姉妹の一番上でした。小さい時から毎晩寝る前には声に出してお祈りをしていました。私が七つ、妹が六つと四つの時だったと思います。ある晩、少し離れた火事がありました。……私たち三人はただ怖くて大声で泣いていました。泣きながら神様に、『どうか雨を降らしてください。』と一生懸命に祈りました。すると、本当に雨が降り出したのです。父は『子供の祈りはこんなにも確実に聞いてくださるものか』と感動したそうです。
(49頁)
 「妹はその生涯、強い信仰を与えられ、二四歳の時、二人の子供を残して天国へ旅立ちました。長い病気の間も深い信仰によって痛みに耐え、『神様が二人の子供に一番よいようにしてくださるから安心して天国へいける。』と申しておりました。『主を愛し奉る』を繰り返し、繰り返し唱えながら息を引き取りました。」(50頁)

 あのテモテの純粋な信仰は、「最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っている」(Ⅱテモテ1章5節)とパウロが明言するほどです。
 芝房子姉も、テモテと全く同様、祖母、母、そして自分自身と世代を貫く三代の恵みに生かされています。
 さらに芝姉のお子さんたちから孫の世代へと将来へ向けても三代の恵みです。現に、小冊子『小さな歌声』は、もともと孫に、「口で言って喧嘩になるより手紙でお説教しようと思い立ち」(52頁)書き始められたものです。

(5)宇都宮キリスト集会でも世代を貫く恵み
 2009年4月4日の主日礼拝において、ロンドンから一時帰国中の國吉家族の愛喜華さんが受洗しました。
 愛喜華さんの父方の祖父・祖母は、日本クリスチャン・カレッジの私と世代の卒業生です。牧師と牧師夫人として活躍したお二人とも、若くしてお二人とも召されました。 
 さらに曽祖父も牧師で、十代になったばかりの愛喜華さんは、4代目のキリスト者
 愛喜華さんの洗礼希望がロンドンから伝えられたとき、どのように洗礼準備を進めていくか、課題になりました。
 その時、私たちの孫のめぐみと私が続けている交換日記のことを思い出し、メール交換日記で準備を進めようと提案。
「面白そう」との愛喜華さんのことばで出発、私にとっても忘れ難い経験になりました。
山路こえて ひとり行けど、
  主の手にすがる 身はやすし」