キリストのからだ・

沖縄時代医療従事者との交流の恵み、再考

沖縄時代医療従事者との交流の恵み、再考★今、からだの神学、主イエスの復活と私たちの「からだの贖われること」(ローマ8:23)の熟考を、課題の一つとして与えられています。 この時、沖縄時代に医療従事者との交流を与えられていたのは、今日のための…

2015年6月18日(木)③6月14日(日)午後、二つの講演会 その3

2015年6月18日(木)③6月14日(日)午後、二つの講演会 その3高橋三郎先生のお名前を最初に知ったのは、1958年代、日本クリスチャン・カッレジの上級生になってからです。西荻の書店キリスト教書店・待晨堂で手にした、先生の著作、『ドイツから見る日本…

2015年5月19日(火)③浅沼ご家族とともに」―私たちとともなる被爆者キリスト―その4−

2015年5月19日(火)③浅沼ご家族とともに」―私たちとともなる被爆者キリスト―その4− 2011年7月25日 宮村 武夫〔4〕集中と展開 (1)集中、「ともに」 「私たちとともなる被爆者キリスト」は、私たちの将来・未来に対して確信を与えてくださるばかりではな…

2015年5月17日(日)③「浅沼ご家族とともに」―私たちとともなる被爆者キリスト―その3−

2015年5月17日(日)③「浅沼ご家族とともに」―私たちとともなる被爆者キリスト―その3− 2011年7月25日 宮村 武夫 〔3〕『私の精神史』への応答の二つの柱 これからの話をしたいために、今まで寄り道してきました。 浅沼寛司さんの証・『私の精神史』を、正直…

2015年5月15日(金)③「浅沼ご家族とともに」―私たちとともなる被爆者キリスト―その2−

2015年5月15日(金)③「浅沼ご家族とともに」―私たちとともなる被爆者キリスト―その2− 2011年7月25日 宮村 武夫 [2]被爆者キリストへのささやかな応答 2010年3月11日の出来事は、誤解を恐れずに言えば、日本全体の脳梗塞的事柄、いやはるかにそれ以上の無…

2015年5月14日(木)③「浅沼ご家族とともに」ー私たちとともなる被爆者キリストーその1ー

2015年5月14日(木)③「浅沼ご家族とともに」―私たちとともなる被爆者キリスト― 2011年7月25日 宮村 武夫 〔1〕序 脳梗塞の後、ちょっと歩くのは不便なのです。しかし飛ぶのは全然問題ありません。ポ−ンと飛ぶのです、話が。 レジメを皆さまお持ちでしょう…

『丸太の笑いから喜びカタツムリの歩みへ』

『丸太の笑いから喜びカタツムリの歩みへ』 「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。 しかし今は、あなたのことばを守ります。」「苦しみにあったことは、私にとってしあわせでした。 私はそれであなたのおきてを学びました。 あなたの御口のおし…

『礼拝の生活』再考、その8

1970年7月19日、『礼拝の生活』第7号(巻頭言)「信じ、考え、生きる」 「先週の主日午後、青年会の集会がありました。 内村鑑三の「後世への最大の遺物」をテキストにした読書会でした。 参加者各自の著者に対する感想を聞きながら、幾つかのことを改めて教…

『礼拝の生活』再考、その7

1970年7月12日、『礼拝の生活』第6号巻頭言『多くの小集会を』 「現在、私たちは、主日礼拝を中心に幾つか定期集会を守っております。定期集会、特に毎主日の公同礼拝がいかに大切なものであるかは、改めて強調するまでもない。主日礼拝は私たちの礼拝の生…

『礼拝の生活』再考、その6

1970年7月5日、『礼拝の生活』第5号「夏季聖会を前に」 今年も夏季聖会の案内が送られてきました。とても良く出てきた、美しい案内です。楽しみながら読まれたことと想像します。 夏季聖会が、一歩一歩充実していく様子を肌で感じることができて、本当に感謝…

『礼拝の生活』再考、その5

1970年6月28号 『礼拝の生活』第4号「『と』と『の』は違う?」 『礼拝の生活』の第4号を出すことが許され、感謝しております。 ところで、「礼拝の生活」という名前、普通の感覚では「礼拝と生活」の方が、より自然に響いてきます。いずれにしても、「礼拝…

『礼拝の生活』再考、その4

1970年6月21号 『礼拝の生活』第3号「青梅キリスト教会―私有化との戦い―」 私たちが教会の本質である的地域性に目覚めさせられる時、1970年青梅の地で、「キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒として召された」(Ⅰコリント1:2)人々が、礼拝の生活を生…