−伊江島中高生キャンプの歩みー

★沖縄での25年を回顧する営みにより、沖縄宣教の現在と今後になお参与することが許されたら、そんなささやかな願いを抱いています。
 沖縄での25年にとり伊江島中高キャンプは、重い意味を持ち続けました。
 二重の点から、
①沖縄の課題は離島、これは終始一貫した確信でした。
②中高生への宣教、これは生涯の重荷です。

 10余年前、以下の報告を無教会の雑誌にいたしました。
沖縄での25年をとして、無教会の方々との交わりは深まり続けました。
さらに深まりつつあります、感謝。

沖縄の十五年
伊江島中高生キャンプの歩みー

1]序 
 1986年4月から沖縄で歩みを重ねる中、恵みの一つは、伊江島中高生キャンプです。  沖縄本島北部本部半島北西、東シナ海に浮かぶ伊江島で、中高生のバイブル・キャンプを積み重ねて、十年を経過しております。現在でも、所有する土地も建物もなく、村営のキャンプ場にテントを張り、小さな営みを続けています。

[2]何を、どのように 
 こうした実情の中で、それなりの志を持ち、方法を確立しつつあります。伊江島キャンプで何をどのようにしているのか、その一部を報告いたします。
 伊江島キャンプの出発点において、その時まで数年共働の営みを続けていた、数名の牧師が学びの機会を持ちました。そこで教えられ、確認したことが二つあります。
 教会におけるキャンプの位置付け
 個人の人生における、中高生キャンプの位置付け
 短期間であっても、春、夏のキャンプは、単に教会のプログラムの一部ではない。本来の教会の在り方である全人格、全生活的な交わりの場としてバイブル・キャンプがあると心に刻むようになりました。
 夏のキャンプでは、文字通り自然の中での活動を中心にしながら、聖書を学ぶプログラムを計画。これに対し春のキャンプは、社会の現場で各自の職業を通して歩みをなしている方々の証をプログラムの中心です。
 たとえば、畳店自営のT兄は、「キリスト者職人としての喜びと祝福」との主題で、興味深い体験を話してくださり、中高生は感銘を受けました。またキリスト教精神に立つ病院院長であるY兄は、「病院で働く人々−こんな仕事も病院でー」の主題で、医師と看護婦以外の職種についても、中高生の目を開いてくださいました。さらにキリスト者の弁護士として活躍しているH兄は、「神の律法、日本の法律−面白いよ司法の仕事−」との主題で、弁護士になるまで、また弁護士としての経験をわかりやすく話し、中高生の心に尊い種を蒔いてくださいました。

[3]なぜ伊江島 
 沖縄の中でも、何かと不便な離島でバイブル・キャンプを開く目的の一つは、聖書が教える地理的センスを身につけたいためです。内村内村鑑三の初期の著作、「日本の天職」や「地理学考」などに見る、日本の地理的位置を聖書で見る地理的センスです。富国強兵、脱亜入欧の道とは別の、もう一つの流れを、伊江島・パトモスから見定めたいとの願いです。この辺の思いを、ある年のキャンプ案内では、以下のように伝えています。
 「・・・沖縄では本島以外にも有人の島が46島もありますが、毎年、春と夏にキャンプを行っている伊江島は、人口5、600人。沖縄の有人の島としては、本島を除くと5番目に人口が多い島です。この島で夜、アブラハムのように星を眺めると、沖縄だけでなく、世界中の小さな島々がきらきらと輝いて見えてくるから不思議です。
 神様が目を注いでおられる世界中の島々を伊江島から眺めるキャンプに皆さんも参加してみませんか」
 毎回のキャンプで、島の中央に位置するタッチュー(城山)の頂上に登り、文字通り360度目前に開かれる伊江島全体を見ながら、コロサイ3章11節、「そこには、もはや、ギリシャ人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な者の身分の区別はありません、キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられます。」を読みます。どの視点で、どのような視野が展開するか、伊江島の地にあって確認する一時です。
 
[4]結び 
 幾つもの不足が目立つような営みですが、 今年も春のキャンプを、4月2日(火)、3日(水)に予定しています。講師は、理学療法士として、年配の方々と接することの多いM兄です。M兄は、何回もキャンプにスタッフとして参加して来た、中高生と年齢差があまり感じられない方です。
 一昨年、沖縄でサミットが行われ、参加国の旗が至るところはためいている中で、伊江島のキャプ場では、伊江島中高生キャンプの旗が掲げられました。今年も、この旗を揚げながら、小さいな営みを継続しようとしております。