『礼拝の生活』再考、その12

1970年8月23日
「礼拝の生活」第11号

聖霊によって祈り」

 今年の夏季聖会も大きな祝福の中に終わり、実に感謝でした。
 主題の「唯一の君」(ユダ4)の下に、私たちの群全体の歩みが、御言葉の光によって、もう一度深く検討されました。
具体的には、「聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦う」(ユダ3)、「自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ」(ユダ20)などの聖句に、はっきりと教えられている事柄に聞き従うことでした。つまり、日本新約教団の存在が、単に過去10年の歴史を背景に見られるだけでなく、聖書が宣言し教会が告白してきた信仰告白の歴史の流れの中で、牧師会を中心に再検討されてきた一年間を背景とした聖会でした。今、私たちの立つべき土台が、はっきりと示されていることを、強く感じます。
 
さらに私たちの新しい一年間の歩みの方向も、はっきりと示されています。ユダの手紙20節で、「自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ」に続いて、「聖霊によって祈り」と勧告がなされていることに、特に注意を払う必要があります。ここでは単に祈りと言われているだけでなく、「聖霊によって」祈るように勧告されているのは何を意味するのか、これから一年間考え続けたいのです。
次に、聖霊によって「祈り」と言われている点です。これは確かに聖霊について学ぶ以上のことです。
 来年の聖会の主題は、聖霊についてでしょう。この一年私たちの歩みが、「聖霊によって祈り」に基づいたものでありますように。

日本新約教団の目差したもの。その基盤は、奥多摩キャンプ場で宿泊しながら、若い牧師たちが聖書を共に学び、共に祈った牧師会の交わりであったとは、共通の理解であったと判断します。単に若い牧師たちの間だけでなく、忍耐をもって彼らを支え続けて下さった兄姉方の理解でもあったと私は見ます。
 すべては、僕仲間(黙示録22:8,9)の生活・生涯の営みを通してです。