『礼拝の生活』再考、その10

1970年8月2日
『礼拝の生活』第9号

「大学生キャンプに出席して」 
奥多摩バイブルキャンプ場での大学キャンプ(7月20〜25日)、祝福の中に終りました。各地から集まってきた約30人の大学生が、講師の舟喜信先生を通してのメッセージを中心に、有意義な、しかも楽しい一週間を送りました。
 私の責任は、午前のクラスのひとつ「聖書と現代」を受け持つことでした。このキャンプを通し、私個人としても大きな励まし、同時に挑戦を受けました。
 
励ましは、それぞれの専門を異にする大学生たちと語り合ったり、スポーツを通して交わりながら、キリスト者として生かされていることの豊かさを改めて実感させられたことです。たとえば、「聖書と現代」のクラスは、建築を専攻する者、英文学を専攻し将来教師として生きる希望を持つ者、音楽を学ぶ者、精密工学に打ち込んでいる者、図書館の司書として働こうと願っている者、化学を専攻する者など、実に様々な分野でキリスト者として生きようとしている青年男女が出席されていました。彼らの顔を一人びとり見ているだけでも、深く感激せざるを得ませんでした。一人びとりが、それぞれの分野でどのように苦しみながら、しかもキリストによって生かされ、キリストのために生きる者として個人的な戦いを戦おうと決心しているかを知ることが出来ました。そして各自が、個人として戦うことを決心するとき、それは単に個人的で孤独な戦いであるばかりでなく、何よりもキリストの生ける体なる教会の一員としての戦いであり、生きた体の一肢体として全体のために生きる決心であることを、本当にはっきりとキャンプに参加した全員が各自の方法で、深い励ましと慰めを与えられたことを確信しています。
 
また挑戦は、一人びとりの大学生が、どのような現実の中で戦っているのかを少しでも直接的に知らされたことによるものです。キリストの体なる教会の宣教は、このような現実の中に生きている人々に向かって宣言され続けるものであることを、一瞬と言えども忘れてはならないのだと、当然なことを新しく教えられました。
 生まれて初めて、年寄り扱いをされてショックを受けたりもしました。しかしそれでも、今年の大学生キャンプは、忘れることの出来ない恵の時でした。来年は、青梅キリスト教会から、金村姉と川口姉以外の参加者が起こされるように願っています。」

★ あの時の講師舟喜信先生との生涯にわたる、主にある交わりを懐かしさと感謝に満たされながら思い起こします。
最初の出会いは、1958年日本クリスチャン・カッレジ1年生の時です。
ホイトンでの学びを終えて帰国なさった、29歳の舟喜先生が最初に教えたクラスの一つで、
19歳の私は1年間旧約通論を学びました。何かにつけ新鮮さが満ちていた印象が今も記憶に残ります。教える方も、教わる方も1年目の稀有な恵みの組み合わせと理解しています。
 
ところが深い心の絆と同時に、その後舟喜信先生と公の場で異なる意見を明言し合う場面が何回かありました。
たとえば日本福音キリスト教会連合における各個教会と連合の関係、教会連合とJEAの関係を巡ってなど。
しかし私の一番激しい発言は、2000年の日本伝道会議の際でした。
沖縄の教会との橋渡しを期待される私が、極端に響く意見を発言する事態になりました。

こうしたことのある中でも、舟喜先生の私たちへのご配慮は変わらず、特に同じく教え子であった妻君代への終始変わらない同情は、慰めでした。
最晩年の先生と、沖縄からなかなか連絡がとれませんでした。そうした中で、旅行中に末弟三郎牧師のところから、末松牧師ご夫妻のところにおられる舟喜信先生と電話がつながり、最後の話しができ、何の心残りを持つことなく、今に1958年以来のご指導に感謝しているのです。1970年の夏もご一緒だったのだと思いを新たに。