2015年5月14日(木)③「浅沼ご家族とともに」ー私たちとともなる被爆者キリストーその1ー

2015年5月14日(木)③「浅沼ご家族とともに」―私たちとともなる被爆者キリスト―
2011年7月25日
宮村 武夫 

〔1〕序
 脳梗塞の後、ちょっと歩くのは不便なのです。しかし飛ぶのは全然問題ありません。ポ−ンと飛ぶのです、話が。
レジメを皆さまお持ちでしょうか、レジメに従いお話しさせていただきます。

 「浅沼ご家族とともに」、これはかなり個人的な主題です。
このような主題で話をするのは、私も余り経験がないことです。
「浅沼ご家族とともに」の主題での集会は、2010年1月18日(月)に最初計画されていました。
なぜこの題を選んだのか。話は簡単です。私ここに持っていますA4で86ページの記述、これは浅沼寛司さんが洗礼を受ける際、自分の経験を書いた証です。
私は1962年に牧師になり、それ以来かなりに年数が経過し、それなりの数の方々の洗礼に関わってきました。私が関わった人々の証の中で、間違いなく一番長い―長ければいいというものではありませんけれども−。
浅沼さんの証が青梅から届いた時、私の第一印象は、詳しく書いたと言うより、「思い切ってしつこく書いた証だな」でした。私は自分ではあっさりしていると自覚しています。しかし妻君代に言わせるとしつこいそうです。確かに時々しつこいものがたまらなく好きになります。そこで浅沼さんの証を黙って見過ごすことが出来ない。それに対して応答したい。
 浅沼さんが書いた文章に誰が応答するだろうか。第一これを読むのも大変、しかしこれは黙って見過せない。そんな自問を繰り返している時に、鮫島夫人から月曜日の集いで何か話すように連絡を受けました。なにはともあれ証に応答する。応答するとは浅沼家族に対する応答だ。浅沼家族に対する応答であれば、「ともに」を抜きに考えられない。
 今日のお話の中で、何か皆さんにお伝え出来ることがあるとすれば、それは「ともに」をめぐってです。
「ともに」、そうです。聖書は「神は我らとともに」が中心です。聖書の神さまは「ともに」の神さです。聖書の神さまは私たちを創造なさられたとき、「ともに生きる者として創られた」のです
私たちがともに生きる者となるために、「神さまは私たちとともに生きてくださる」、この事実こそ、人間存在の源泉です。

2010年1月18日(月)の集いためつけた主題に、一年数か月後の2011年7月25日現在、なお一層の重みを覚え、直面しています。
  皆さんはいかがですか。私は江戸系いろはカルタが好きです。たとえば、「犬も歩けば棒に当たる」。この言葉を25年前、青梅から沖縄へ移住した当時、しばしば考えました。その頃でも青梅では犬を離し飼いにしてはいませんでした。しかし車社会の沖縄で車に乗っていると、犬が歩いているのを見かけたのです、一匹で。その姿を見過ごせなくて、何回も同じ質問を、車の隣の席に座る君代にしつこくしました。

「あの犬、何か目的あって何処かへ行くのだろうか、それともただ何となく歩いているのだろうか」。何回その話をしたことか。
ところが解答があったのです。沖縄の離島で飼われていたワンちゃんが、近くの別の離島に住むワンちゃん・マリリンに会う目的で、短い距離にしても海を泳いで渡って行くとの報道。ですから犬は目的を持って歩く。それから歩いている犬を見る目が少し変わりました。
 
その後、「犬も歩けば棒に当たる」は、沖縄聖書神学校の学生たちとの対話の中で、新しい展開をしました。
「犬も歩けば棒に当たる、人間歩けば恵みに当たる」。
目的があって歩む人も、ただ歩いているに過ぎなく見える人も、犬が棒に当たるように、私たちは恵みに当たるのです。そういう意味で偶然はありえない、偶然はない。だから私たちは犬のように歩いているに過ぎない、存在させられて生きているに過ぎない。そうなのです。それで良いのです。

しかしそうではありますけれども、その現実の中で、驚くほどの棒に当たる、恵みに当たり生かされる事実を経験します。
 そうです。昨年2010年1月18日から延期になって、今日2011年7月25日までの期間、私は犬のように歩いていたのです、そして恵みに神の恵みに当たったのです。同様に浅沼ご家族もまた恵みの棒に当たったのです。犬と一緒にしたら失礼ですけど、歩んでいると恵みに当たる事実を何とか明らかにしたいわけです。
「ともに生きる」とは、犬棒神学。私たちは歩いていればいい、生きていればいいのだ、かならず恵みに当たる。生きているのが、生かされているのが楽しいのです。

 では私は、どのような棒に当たったのか。
2009年12月18日にかなり大きな棒に当たったのです。−私は脳梗塞を発症したのです−
その日、私はいろいろなことで疲れ横になっていました。君代が帰宅したので起き上がろうとしたとき、左足がガクン。私は一晩眠れば治ると威張っていたのです。ところが君代はすかしたり、おどかしたり、とにかく一緒に病院に行こうと言い張るのです。そうです。同じ病を経験した母親の様子を君代は覚えていたのです。
救急病院に行き検査すると、脳梗塞発症が判明。二人にとり、家族にとって、また私を取り巻く人々の何人かが、「先生、病気になって良かったね」と心から言ってくださる事態が生じる、それが一歩でした。
 私たちのフォ−・アフタ−。ビフォ−は脳梗塞発症前、アフタ−は脳梗塞後。ビフォ−・アフタ−と言い合うほど私たちの生涯にとり深い意味を持つ発症でした。
 リハビリを中心とする3ヶ月入院、もうなんと楽しかったことか!入院中のある時から、夜となく昼となく、私のうちに一つの事態が生じたのです。からだの奥から静かな笑いが満ちてくるのです。箸がころんでも笑う年頃の娘のあり様で、「ウフフ、ウフフ」なのです。脳梗塞のため、どこか頭のネジが緩んでしまったのではないかと君代が案ずるほど。
そのような日々の中で、詩篇126編、その1〜3節を読んでいるとき、「これだ!」と心に受けとめたのです。
「主がシオンの捕われ人を帰されたとき、
私たちは夢を見ている者のようであった。
そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、
私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。
そのとき、国々の間で、人々は言った。
『主は彼らのために大いなることをなされた。』
主は私たちのために大いなることをなされ、
私たちは喜んだ。」

リハビリの一つは、言語治療です。舌の動きに集中しながら発声訓練。「舌、舌」と生涯でこれ程「舌」を意識した日々はありません。「私たちの舌は喜びの叫びで満たされた」とは文字通りの実感なのです。
誤解を恐れないで言えば、脳梗塞発症とリハビリの経験、小さな小さなスケールではあっても、バビロン捕囚からの解き放ちであり、その後落ち着いた状態であっても、解き放ちの喜びを日々の生活の基底に覚えるのです。
解き放たれる喜び、解き放たれて生きる喜びは、自分では考えることが出来ないような存在の奥底からの喜びなのです。
 一つとても心配したことがあります。夜、寝ている間に、看護士さんが時間になると病室の皆がちゃんとしているか確認するため病室を巡回するのです。巡回の看護士さんの足音が分かっていても、「ウフフ、ウフフ」の笑いを抑えられない。
「宮村さん、いよいよおかしい」と思われないかと案じ、笑いをこらえようと思えば思うほど「ウフフ、ウフフ」。

 本来でしたら、今日このように一緒に集まっている集いは、去年の1月18日に終っていたはずだったのです。それが私の脳梗塞発症のため2011年7月25日の今日になったのです。
 本当に私は基本的にはしつこく、基本的には罪深くて、基本的にはああだとかこうだと言いたがります。しかし同時に不思議な喜び、これも事実でして・・・。
 ですから「なぜ脳梗塞になるのか」とか「リハビリはどんな意味があるのか」といろんなことが言えるでしょう。しかし私にとってリハビリはもう完成しているのです。リハビリの一番の目的はもうすでに与えられています。この喜び、脳梗塞発症とリハビリを通しての存在の喜びは、単なる言葉の問題ではなく、事実です。去年2010年1月18日には、こんな確信を持って話せなかったに違いないのです。
 ですから、やはり一つの棒、恵みの棒に当たったと申し上げてよろしいのです。