2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧

取材拒否を受ける恵み

取材拒否を受ける恵み クリスチャントゥデイの編集長としての歩みを始めて驚いた意外な経験は、取材拒否を受けることです。 これは、取材に当たる記者の場合、より直接な葛藤です。他の報道機関で働いたことのある方々も、取材拒否など初めての経験だと戸惑…

母校からの雑誌記事

Amy Poehler Named Woman of the Year Arts Amy Poehler Amy Poehler, Hasty Pudding Theatricals, Hasty Pudding woman of the year Parks and Recreation star and Boston-area native Amy Poehler will receive the Hasty Pudding Club’s 2015 Woman of t…

詩篇に見る、聖書の祈り」61 

詩篇に見る、聖書の祈り」61 https://www.youtube.com/watch?v=qgHQqCf0Dxs 「私の神、主よ」

聖書をメガネに 記憶と記録(その3)

聖書をメガネに 記憶と記録(その3)ヨハネの福音書14章26節を出発点に、生涯を貫く課題である記憶と記録について、今日まで私なりに思索してきました。1963年から1966年まで、ゴードン神学院で学んでいた間に、当時ニューヨークのユニオン神学…

「詩篇に見る、聖書の祈り」その60   

「詩篇に見る、聖書の祈り」その60 https://www.youtube.com/watch?v=ay1YZFVujBY 民の良き羊飼い(詩篇28;9)

「詩篇に見る、聖書の祈り」 その59−2

「詩篇に見る、聖書の祈り」 その59−2 https://www.youtube.com/watch?v=IOuG--Wb1mQ 「歌をもって、主に感謝」(詩篇27:8)

沖縄とカナダの二つの視点

沖縄とカナダの二つの視点 カナダとアメリカの関係と沖縄と本土の関係の類似に気付き、注目する中で、沖縄出身でカナダ神学校で学んでいた、T兄に書いた手紙です。T兄は、今や、沖縄の代表的な牧師の一人です。この2月にも、再会が楽しみです。 クリスチャン…

「詩篇に見る、聖書の祈り」その59

「詩篇に見る、聖書の祈り」その59 https://www.youtube.com/watch?v=PoA8hOUs1fk 確信と喜び(詩篇28:7)

キリスト者開成会か開成キリスト者

キリスト者開成会か開成キリスト者1970年4月から1986年3月までの、青梅キリスト教会牧師時代の恵みの一つは、開成高校出身のキリスト者のささやかな集いを、拙宅で持てたことです。 確かにその集いは継続しなかったのですが、波紋のための小石の役割をなしま…

キリストと開成ー沢崎堅造の場合ー

キリストと開成ー沢崎堅造の場合ー 1月12日、上野は谷中、お墓の中ではなく、お墓の間の吉枝宅で、今年最初のペン剣祈祷会が開かれます。 1987年・沖縄へ移住して最初の新年、吉枝君に以下の手紙を書き、やはりクリスチャン新聞のコラム「きせつの窓」に掲載…

日本女子大学の教え子からの賀状の一行、めちゃ・・・

日本女子大学の教え子からの賀状の一行、めちゃ・・・ 年賀状に目を通しながら、幾つもの印象的な言葉に励まされました。 その中でも、日本女子大学の教え子・SJさんの一行のことばに、心底励まされました。 「クリスチャントゥデイでのご活躍、まさに天職と…

第2期「テオピロ神学リンク」受講生募集

第2期「テオピロ神学リンク」受講生募集 あれもこれも出来るわけでないが、何にも出来ないわけでもない。そう判断して、テオピロ神学リンク第2期を、以下の意図と見通しで始めることにし、受講生を募集します。概要説明神学とは テオピロ神学の根底には、神…

聖書の切れ味 113

真に信頼すべき唯一のお方 「私はあ主を待ち望みます」 (詩篇130:5 新改訳) 「わたしは主に望みをおき」 (詩篇130:5 新共同訳) 「主はわたしの望み」 (詩篇130:5 フランシスコ会訳)

インターネット新聞と個人

インターネット新聞と個人 クリスチャントゥデイに掲載の、「2015年 新年のご挨拶」を、年頭に感謝に満たされ読みながら、Ⅰヨハネ4:20の後半を思い起こしていました。 「目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません」。 目…

詩篇に見る、聖書の祈り」 その58

「詩篇に見る、聖書の祈り」 その58 https://www.youtube.com/watch?v=h-uzAIt4Rfo 祈りのための祈り(詩篇28:2)

天国で完成する、ピアノ

1969年4月、東京キリスト教短期大学で、1年生教師として、1年生のクラスの新約通論の授業を担当しました。 そのクラスの一人が、パリ旅行から戻りメイルを下さいました。 [・・・また、パリでは姉の友人であるピアニスト、フジコ・ヘミングさんのご自宅に招…

詩篇に見る、聖書の祈り」 その57

詩篇に見る、聖書の祈り」 その57 https://www.youtube.com/watch?v=LIEmPl_k-Ig 「激しい祈り」(詩篇28:1)

山下萬里著、『死と生−教会生活と礼拝−』(ヨベル)について、今朝の対話

「山下萬里著、『死と生−教会生活と礼拝−』(ヨベル)について」を読まれた、主にある兄弟からの応答のコメントと私からの応答。兄弟から私へ 主の平和。山下先生へ思いをお証しくださいまして感謝します。 私も山下先生に直接お会いしたことはありませんが…

聖書の切れ味 112

聖書の神様は、うそをつかないお方「正義と公義、恵みとあわれみ」 (ホセア2:21 新改訳) 「正義と公平を与え、慈しみ憐れむ」 (ホセア2:21 新共同訳) 「正義と公平をもって、 慈しみ憐れみをもって」 (ホセア2:21 フランシスコ会訳)

「私の万代恒雄」 その7                     「宮村君,君には元手がかかっているんだ

「私の万代恒雄」 その7 「宮村君,君には元手がかかっているんだ 万代恒雄先生の言葉を、50年以上経過した今も、ふと思い出さすことがあります。 その一つは「宮村君,君には元手がかかっているんだ」です。 このことについて、沖縄時代キリスト新聞に以下…

山下萬里著、『死と生−教会生活と礼拝−』(ヨベル)について

★山下萬里著、『死と生−教会生活と礼拝−』(ヨベル)について依頼を受け、意を注ぎ味読する機会を持ち、下記の一文を紡ぎました。 拙稿のスペ−スではとても盛り込めない幾つもの課題に直面しました。 その中で一点だけに絞って報告します。旧約聖書について…

《 講 演 》「聖書をメガネに、童謡やいろはガルタを見れば」   その3

[4] 結び 私にとって聖書をメガネとして見る(読む)と言う時、二つの課題があります。 (1)聖書をメガネにするとは、自分の視力・認識に問題があると認めることです。自分の罪の問題に直面して初めて、聖書をメガネにする必要を覚えます。(2)もう一つ…

《 講 演 》「聖書をメガネに、童謡やいろはガルタを見れば」   その2

[3] 童謡やいろはガルタを聖書をメガネに見れば 沖縄で聖書を読み、聖書で沖縄を読む20数年。その中で躁鬱と脳梗塞を経験したのです。 その上、思いがけない事態に直面しました。私たちなりに心血を注いだ地域教会、そこへ他の方々の忠告や戸惑いを無視して…

《 講 演 》「聖書をメガネに、童謡やいろはガルタを見れば」   その1

《 講 演 》 「聖書をメガネに、童謡やいろはガルタを見れば」 2014年3月31日 青梅月曜聖書を読む会 宮村武夫 [1] 序 おはようございます。懐かしい方々のお顔を見ることができうれしいです。 1970年4月1日から1986年3月31日まで、私は青梅キリスト教会…

聖書の切れ味 111

聖書に見る、「天」「天は神の栄光を語り告げ、 大空は御手の業を告げ知らせる」 (詩篇19:1 新改訳) 「天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す」 (詩篇19:1 新共同訳) 「天は神の栄光を語り、 大空はみ手の業を告げる」 (詩篇19:1 フランシスコ…

畏友順天堂大学樋野先生からの便り

初春のお喜びを申し上げます。 昨年中は、いろいろとお世話になり 心よりお礼申し上げます。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 平成27年 元旦 樋野興夫第92回「がん哲学学校」 2015年の始まり〜「家庭哲学」:温かい手・温かい心・温かい笑顔〜 201…

聖書の切れ味 110

聖書に見る、「天」の意味「天の神」 (詩篇136:26 新改訳) 「天にいます神」 ((詩篇136:26 新共同訳) 「天の神」 (詩篇136:26 フランシスコ会訳)

岩手北上の佐々木牧師の「命をかける価値」に応答して

佐々木ご夫妻頌主 メール感謝します。以前書いたものです。『あなたの慈しみは命にもまさる恵み、 わたしの唇はあなたをほめたたえます。』(詩篇63篇4節)。 1997年4月29日、畏友天田繋作曲、 日本二十六聖人『長崎殉教オラトリオ』全十景が、 1597年の長崎…

信州佐久、絆の重ね

信州佐久 T先生は、長男忍望を愛農高校へ送った際、その高校の校長先生。その事実が、忍望を愛農へ送った理由の大きなひとつでした。 忍望が愛農へ行くと報告した際、K神学校の先任同僚のO先生は、「全国の落ちこぼれの学校か」と、他の方々は思っていても…

ステンダール先生から学んだこと その1

1966年から1967年、ハーバートのステンダール先生のもとで学んだ際、び聖書テキストと読み手の間に横たわる、世紀の隔たりの事実を正面から直視することなく、その重みを十分には理解してない点で、オールド・リベラルも保守的な立場も、同じだとの先生の鋭…