山下萬里著、『死と生−教会生活と礼拝−』(ヨベル)について

★山下萬里著、『死と生−教会生活と礼拝−』(ヨベル)について依頼を受け、意を注ぎ味読する機会を持ち、下記の一文を紡ぎました。

 拙稿のスペ−スではとても盛り込めない幾つもの課題に直面しました。
 その中で一点だけに絞って報告します。旧約聖書についてです。本書に収められている8篇の説教の中で、旧約聖書をテキストとしているのは、
3番目の、「創造」創世記1章1−3節、31節だけです。
 ですからなにか旧約聖書が説教の対象として軽視されているかの誤った印象を与える可能性があります。
 しかしこの一遍の説教は、創世記1章1−3節、31節をテキストとしている事実からも明らかのように、進化論は科学でない、科学的な仮説(60頁)と見分ける覚めた目で創造のテーマに直面しておられます。その結果の記述は、公平で洞察に富み、読む者を共に考察する営みへと招いてくれます。招きに応じたいものです。

『山路は、確かに越えられ』
 宮村武夫
 山下万里先生に、一度も私はお会いしたことがありません。
それなのに、ご召天後8年に出版された本説教集を、今回深い心のうなずきをもって熟読いたしました。

 山下先生がひたすら伝え続けておられる聖書に同じく心捉えられ、キリストご自身に導かれている一後輩僕仲間(黙示録22章8、9節)として、先達の説教に対する一貫した献身的努力に敬意を払います。本書を構成する8篇の説教が、いずれも南沢集会・家庭集会でのものであると知り、本物の牧師ここにありと励ましを受けました。

 確かに山下万里先生にお会いしたことはありません。
しかし本書に接する前から、山下先生は、私にとって、誤解を恐れないで言えば、俗に言う気になる存在でした。
 
 一つにはこうです。1970年から1986年4月まで山下先生は、日本キリスト教団国分寺教会の牧師として牧会に当たっておられました。
 それは初めも終わりもまさにぴったり私の日本新約教団・青梅キリスト教会牧師時代と重なり合います。中央線国分寺と当時の青梅線青梅、また日本キリスト教団日本新約教団との関係から、勿論山下先生は、私の存在などご存知なかったに違いありません、しかし私の方は、何かとそれなりの情報が伝えられていました。
 
 そうしたなかで、山下先生の一つの文章に目が留まり、印象に強く残ったのです。
 山下先生が、西村清雄作詞の『山路越えて』を、「あれは勇ましい宣教の讃美だ』と受け止め、発言なさっていたのです。残念ながら、正確な記憶も薄れ、出典を調べることもできません。
 しかし、あの『山路越えて』に思い出のある私にとって、山下先生の評価はとても嬉しかった印象は鮮明なのです。
 1957年1月から、高校卒業を待てずに、万代先生の松山開拓伝道の手伝い、「宮村君、主イエス様のために、悪いこと以外何でもしよう」の伝道初陣の期間に、聞いて知っていました。
 松山から宇和島への伝道旅行の途中での経験から、作詞者の西村先生は、この讃美歌を作詞なさったと。
   「山路こえて ひとり行けど、
    主の手にすがる 身はやすし」
 山下万里先生が、1960年から1970年まで松山教会を牧会なさったことを後に知り、伊予松山での生活体験に裏打ちされた、「山路こえて」理解なんだと合点がいきました。 

 ところがです。2008年2月、同じ四国の讃岐は丸亀の丸亀聖書教会の主日礼拝後、
 当時94歳の芝房子さんが、驚いたことには、「あの時、西村先生は、宇和島の私の実家に向かわっておられたのです。」おっしゃるではありませんか。
そして次の年、同じく2月、「私の書いた小さな冊子です」と、ふじ色の冊子を手渡してくださいました。芝房子著、『小さな歌声で』(聖恵授産所、2008年)。56頁の美しいものです。
 そこには生き生きと記されています。土佐の旧家の一人の娘が横浜のフエリス女学院で学び、卒業後土佐にキリスト者となって戻ってから展開される三代、四代と貫く恵みの結晶が。

 山路は、確かに越えられた。西村清雄先生と共に、伊予松山から宇和島へと。
 そればかりではありません。確かに日本の教会史においての三代、四代、さらに五代、六代と世代を越えて。
芝房子さんも、小冊子『小さな歌声』を、もともとお孫さんのために書き出したのです。

 今また、山路は、確かに越えられているのです。山下万里先生と共に、松山から国分寺へ、国分寺から東所沢へと確かに。
 しかもそればかりでない。山下先生の召天・死後8年の年月を越えて本書『死と生』へと確かに。
 特に本書の7番目、死と生(1)と8番目、死と生(2)は、山下先生の白鳥の歌
「キリストによって新しくされた生命は続きます。その中で、地上の生活の終わりとしての体の死はあるのですが、それは命の終わりではありません。その体の死をも越えてなお命はあるのです」(235頁)。
 山路は、そうです、死は確かにキリストにあって越えられて、今後も前進あるのみ