ステンダール先生から学んだこと その1

 1966年から1967年、ハーバートのステンダール先生のもとで学んだ際、び聖書テキストと読み手の間に横たわる、世紀の隔たりの事実を正面から直視することなく、その重みを十分には理解してない点で、オールド・リベラルも保守的な立場も、同じだとの先生の鋭い指摘を、私なりに理解しました。

 オールド・リベラルも保守的な立場も、そのいずれも、結局、宗教史学派の主張と実践以外の道を示し得ないとの迫りです。
その把握に立って、ステンダール先生の解釈学の重視が展開されて行きます。宗教史学派の主張と実践を乗り越える道として。
 
 このような真に緊張関係の中で、ステンダール先生がご指摘なさる、世紀の隔たりを克服する道として、私なりにG.Vosの聖書神学を受け止め、、聖書解釈学の掘り下げと説教の実践を、この50年重ねて来ました。
 
 その中心の一つは、歴史理解です。聖書の歴史背景を、単に聖書テキストが書かれた直接の背景に限定せず、創造から再創造まで全体を救済の敵視と見る。それ故パウロアブラハムと同時代に生きる意識を持ち、そのように旧約テキストを解釈していると受け止め得るのです。

 上記の意味で、
①ステンダール先生の世紀の隔たりの指摘の鋭さを実感しないでG.Vosの聖書神学だけを支持する立場、
②釈義と解釈(学)の関係と違いを突き詰めない立場、
③宗教史学派の枠に安住する立場も、
そのいずれの立場にもも全面的には組することができず歩んで来ました。
 
 そうです、徹底的聖霊(ご自身)信仰と徹底的聖書信仰の道です。
 この根底に、若き日心に刻みつけられた、渡邊公平先生を通してのの、三位一体(論)的認識論がある事実を、深く自覚します。
 ここに立ち、クリスチャントゥデイの場で、聖書をメガネに万物を理解し、記述する営みに、説教者としての自覚と覚悟、そして確信をもって従事しています。