榊原康夫先生「旧約聖書」『礼拝の生活』再考64

2012年11月21日
(巻頭言)「礼拝の生活」65号

旧約聖書 
11月25日(月)午後7時より、市ヶ谷の私学会館で、日本福音主義神学会の公開講演が開かれました。
榊原康夫先生が、「あなたにとって旧約聖書のとは何か?」(副題キリスト教会と旧約聖書)という興味深い、重要な講演をなさいました。
 
講演では、まず、初代教会以来、旧約聖書をあたかも六法全書的に受け取ろうとするユダヤ主義的流れと、旧約聖書そのものを否定しようとするグノーシス的流れの両極端の攻撃を受けて、教会が苦闘してきた事実が指摘されました。
そこから、宗教改革、近代の批評的研究、さらには日本の教会の歴史を背景として、今、私たちの教会において、旧約聖書が実際にどのように取り扱われているか、あまりにも軽視されているのではないかと鋭い問が出されました。
 
全くその通りだと痛感しました。旧約聖書が読まれ、味わわれ、宣教されていなければ、新約聖書もまた、本当に読まれ、味わわれ、理解されたとは言えません。
旧約聖書から離れて新約聖書は考えられません。
 
現在、青梅キリスト教会では、早天礼拝、聖書研究会で、旧約聖書を極力読み続けようとしています。現実的には、教会員全員がそれらの集会に出席できるわけではありません。それで、『礼拝の生活』を通しても何とかして、教会全体が旧約聖書に深く親しみ、聖書全体の中心メッセージを聖書全体の流れの中で正しく、深く、豊かに聞き従って生き続けるようにと願っています。各自の生活の中心で旧約聖書を読み味わい、教会全体が聖書全体に堅く立つことができますように。

榊原康夫先生が、40年前、青梅キリスト教会の歩みに、旧約聖書の重要性の楔を打ち込んでいて下る事実をもう一度確認、改めて感謝します。

私が榊原康夫先生のお名前を初めて知ったのは、1958年日本クリスチャン・カッレジ1年生の夏休みのことです。 
当時4年生であった岩永隆至先生の紹介で、神学雑誌『リフォームド』誌のバックナンバーを、夏休みの前に全部購入し、夏休みの期間中松山での開拓伝道のお手伝いをしている合間に読み進めたのです。神戸改革派新学校の先生方の論考が大部分を占める中で、サムエル・ボイル先生の文章の翻訳者として、榊原康夫先生が記されていました。それが、間接的ではあっても、榊原先生との出会いでした。

たとえば詩篇23篇6節の前半、
「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
 恵みとが、私を追って来るでしょう。」の解説として、
羊飼いの犬が羊の群れの周りを、決して離れることなくぐるぐる追ってくるように、
「いつくしみと恵みとが」私たちの生活・生涯の周りを守られるとの訳文を、
半世紀後の今も懐かしく覚えています。

 榊原康夫先生は説教牧会者、私にとっては、いつもそうです、感謝。