「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 その7 細田浩兄の場合、細田浩 『出会いものがたり』①

「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 その7 細田浩兄の場合、細田浩 『出会いものがたり』①

竹森満佐一先生との日本クリスチャンカレッジ一年生の秋の出会いが、その後の私の主にある歩みで、他の方々との交わりに波紋のように広がったのは、森姉だけではありません。幾人もの方々がいます。その一人について、
 山梨県甲府市細田浩兄が、主にある出会いの広がりの恵みについて書いて下さっています(宮村武夫著作2『礼拝に生きる民 説教申命記』、巻末エッセイ「出会いものがたり」204−216頁)。

『出会いものがたり」
    日本福音キリスト教会連合 昭和町キリスト教会会員細田
Ⅰ聖書との出会い
(一)聖書は、自分自身の生き方に自信があるとき、あるいは人生の絶頂期に読める書物ではない。人生の荒野を一人でトボトボと歩まなければならず、自分自身の力の限界を嫌というほど知り尽くしたような状態において初めて手を伸ばす書物だと思う。私の場合は、一九七一年(昭和四六年)、司法試験の第二    出 会 い も の が た り
次試験を通過できず、再度チャレンジすべきかどうか人生の選択に迷っているときであった。その年の夏アルバイトをしているさなか、文化放送の「世の光」のメッセージを耳にし、「よし、聖書をしっかり読んで自分の生き方を極めてやろう」と決心したところから始まったのである。

(二)当時は、東京の府中市に下宿があったので、府中市立図書館備え付けの聖書を読み始めた。しかし、聖書は、旧約聖書が一五六八頁、新約聖書が五〇三頁(新改訳聖書)という相当にボリュームがある書物であるのに加え、キリスト教の特殊な用語やイスラエルの二〇〇〇年前の歴史を前提とした書物であることから、一人で読んでもとても歯がたたない本であることがわかってきた。そのとき、聖書を読むことを放棄するか、それとも諦めないで読み続けるのか選択を迫られた。しかし、同じ日本人で聖書を読み続けている人達がキリスト教会内には相当いるようだし、とりたてて私と能力が違うようではないようだから、教会の門を叩いて教えを請うことにした。それが府中市の多摩墓地東側にあった多摩教会という小さな教会であった。

(三)多摩教会には坂井栄一という若い牧師がいた。私は、聖書を独学していたときの疑問を山ほど抱えていたから、牧師から聖書のメッセージをしていただいた直後に、次々と質問の矢を放ったが、坂井牧師はそれに対し丁寧に忍耐をもって応えてくれた。聖書の内容を理解するには、ただ牧師の説教をありがたく聞いているだけでなく、問答形式でわからない部分を問い質すことが早道であることがわかってきた。それに加えて、聖書の読み方は、法律の学び方と共通している点が多いと思う。昔、私が基本書として読んでいた我妻栄東大教授が『民法案内』という本の中で、「自分は法律のある箇所がわかるまで前に進まない」という文章があったことを記憶している。聖書の読み方にしても、聖書全体を速く読んで何を言っているのかを知る必要もあるが、聖書六六巻を一巻ずつ丁寧に読むことが必要だと思う。そして、法律家こそがそのような作業をするのが最も得意とする人間である。良質な講解説教集によって、聖書一巻ごとに、約三〇年聖書を読んできた。聖書は、コツコツと生涯をかけて読む書物だと思う。

(四)私が約三〇年間聖書を読み続けてきたのは、この書物が生涯かけてもすべてを解読しきることのできない神の存在と働きに関する記述であり、蟻のような小さな人間にとってはすべてを極め尽くすことができないからである。その意味では聖書を極め尽くすという当初の気負いは誤りであったことがわかってきた。しかし、そうではあっても聖書を読み続けていくと、自分自身の家庭と教会生活及び弁護士の仕事の上に恵みと励ましが与えられるのである。詩篇一一九篇一三〇節には、「聖書の御言葉の戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます」と書いてあるがそのとおりである。聖書には、アブラハム、イサク、ヤコブモーセダビデ、ペテロ、パウロなど極めて個性的に豊かな大勢の人物が登場するが、いずれも現在に生きる私たちに対し、自分の犯した人生の失敗について具体的に語り掛け、「君たちはそのような失敗はするなよ」と叫んでいるようである。勿論このような聖書に登場する人物も、神による罪の赦しを前提として語っているのであろうし、聖書を読むわれわれも、主イエス・キリストによる罪の赦しがあるからこそ、正面を見据えて聖書を読むことができるのである。私は、現在の書物を読むよりも、二〇〇〇年以上も前の聖書に登場する人物と語り合う方が、はるかに教えられることが多いのである。