『愛の業としての説教』『礼拝の生活』再考その94

1972年7月2日
『礼拝の生活』94号
 
(巻頭言)「イスラエルの歴史の学び―旧約聖書と私―」
 

青年会主催による「イスラエルの歴史」の学び、6月に続いて第二回目の集まりが、7月9日午後1時半から持たれようとしています。
第1回の集会に参加された方は限られていましたが、学びの目標やこれからの予定、さらには参加した各自にとって旧約聖書がどのような意味を持っているかなどを話し合いました。
 
以下に、どんなことを学ぶかを記しますので参考にしてください。そして集まりですが、必ず私たちの歩みにプラスになると確信します。
6月の集まりでは、二つの点を学びました。
(一)聖書の主題は何か、契約−神と人の関係−

神は父であり、人は子であるとの面と、神は主であり、人は僕であるとの面を学びました。この中心主題を見失うと、聖書全体の要が失われてばらばらになり、聖書の書かれた目的に従って、聖書を読み生きることはできなくなります。
まさに、主題を知ることは肝心・要です。

(二)旧約聖書全体の構造について

聖書の主題を知るばかりでなく、その主題がどのように展開されてきたかを知ることも大切です。
モーセ五書(創世記、出エジプト記レビ記民数記申命記)の重要性。神のみ旨がイスラエルの歩み(歴史)を通して示された意味、イスラエル預言者が常にイスラエルの歴史について考える基盤を学びました。
旧約聖書の構造から言えば、歴史書と言われる部分と預言者の内的関係についてです。さらに詩篇を中心とする詩書の重要性についても話し合いました。
神の恵みに、人々がどのように答えていくか。この点がいかに大切であるかを教えてくれるものとして詩書を理解すると、詩篇は、私たちにどのように主なる神を賛美すべきか、また祈るべきかを教えてくれる、かけがえのないものである事実を知らされます。
 
7月9日の集まりでは、モーセ五書、歴史書、詩書、預言書の各書の主題、内容について、もう一度簡単に見ていきます。
それを通して、旧約聖書には、一体どのようなことが書かれているのか知ることは、私たちが旧約聖書のそれぞれの部分を読み味わうために、とても役立ちます。
それから、集まりに参加している方々から、旧約聖書の中で、特に好きな書をあげ、その理由を話していただいて、旧約聖書の各書がどのように私たちの信仰生活に直接的に語りかけているかを確認したいと願っています。
 
8月以降には、まずイスラエルの歴史の中で、特に大切な期間や事柄を取り上げていきます。たとえば、族長時代、出エジプト、荒野、入国、士師時代、サムエル(王国と預言)、サウル、ダビデ、ソロモンの時代、南北王朝・捕囚、再建、中間時代と、イスラエルの歴史全体の見取り図を描いていきます。
それが簡単なものであっても、私たちの旧約聖書の味わいに実際的な助けとなるよう期待しています。
 
次に旧約聖書の中で特に大切と判断する事柄や教えを取りあげて、旧約全体からそれらの内容を調べていき、私たちが旧約聖書旧約聖書が語る意味で理解できるように努めたいと願っています。
例えば、創造、契約、選び、民、みことば、歴史などについてです。
イスラエルの歴史を通して与えられる神のみ旨の内容を味わい、旧約聖書と私の深い関係を再確認したいものです。

★2009年11月、宮村武夫著作1『愛の業としての説教』の巻頭言・「御手の中(あのお方が導かれるときの中、In His time)で」において、赤江弘之先生が以下のように明言してくださいました。
「一九五八年秋、カナダからのプライス、アメリカからのジーンズ両婦人宣教師による寄居キリスト福音教会の開拓伝道とともに、当時日本クリスチャン・カレッジ一年生であった宮村神学生は、毎週の講解説教を開始しました。この説教者としての一歩が全生涯を導き、すべての神学教育はより整えられた説教者を養成するためのものと受け止めて来られたのです。
また三つの神学校と一つの大学で教壇から語ったことすべては、教会の講壇から宣べ伝えた説教を基盤とする説教者のことばであり、今回の著作集は、まさにその集成であります」
 
1970年代初期の『礼拝の生活』の巻頭言を再考しながら、赤江先生が指摘くださった事実を改めて確認するのです。
私にとって,毎主日の説教にすべてが集約され、すべては毎週の説教から発している事実を認め、本日の主日礼拝で宣教に当たった各地の方々を覚え、感謝。