『ヨハネ福音書の中に見る私たち』「2012年松原湖夏期聖会を前に」その①
全体主題『ヨハネ福音書の中に見る私たち』
21012年夏、松原湖バイブルキャンプで、5回の集会で、聖書を共に味読できる恵みの機会を感謝します。
私たちがヨハネ福音書を読むだけではないのです。
ヨハネ福音書の記者も、私たちのことを意識し念頭において福音書を書いているのです。
どんな根拠に基づき、そんな無茶なことを言うのでしょうか。本当にヨハネ福音書の中に私たちを見出だし得るのか。
もしそうであれば私たちから聖書ばかりでなく、聖書から私たちへの道が開かれている恵みの事実を確認できるはずです。
またニコデモが見当はずれの問答をなしている中で、
主イエスは、「御霊によって生まれた者」(6節)の存在の恵みを明らかになさっています。なぜその事実をヨハネは記述しているのでしょうか。
意図は明らか。ヨハネ14−16章に見る主イエスが約束された聖霊ご自身についての約束が成就、あのニコデモが「御霊によって生まれた者」とされている事実を伝えているのです。
伝えている目的も明らか。ヨハネの福音書を読む「私たち」が「御霊によって生まれた者」として恵みをしっかり自覚、パウロと共に恵みを無駄にせず、豊かに実を結ぶためです。
「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」(Ⅰコリント15章10節)。
今回5回の集いを通して、この恵みの事実を確認したいのです。
そうです。徹底した聖霊信仰、徹底した聖書信仰の道を歩むのです。
○1回 ヨハネ3:章1−16節
『ヨハネ3章16節は、誰が誰に話しているのか』
ヨハネ3:1−15のニコデモと主イエスの対話の記述の仕方に注意し、16節との関係を
思い巡らしたいのです。3章16節は、誰が誰に語ったことばとして記されているのか。
さらに3章6,8節に見る「御霊」の記述が、3章1−16節の箇所でいかに大切な鍵であるか14−16章の光りを通して確認し、「御霊によって生まれた者・私たち」理解の手引き。
○2回 ヨハネ1:14−18
「ヨハネ1章14節の『私たち』の中に、私たちも」 1章14節の「私たちの」と「私たちは」、16節の「私たちみな」に注意。
これらの「私たち」とは、著者と仲間の主イエスの弟子。
しかし同時に、ヨハネ福音書を最初に読んだ人々を指すことは、明らかです。
そればかりでなく、さらに、この「私たち」には、いつの時代、どこの場所でもヨハネの福音書を読む人々も含む書き方です。
そうです。今現に、松原湖バイブルキャンプ場で、このようにヨハネ福音書を共に読んでいる「私たち」も喜びの交わりに招かれ、呼び入れられているのです、ハレルヤ。
○3回 ヨハネ14章15−17節
「御霊によって生まれた私たち」①
『助け主・真理の御霊』
二本の柱
(1)聖霊ご自身は、生ける三位一体なる神・永遠の愛の交わりの三位の中の位格。
生ける三位一体なる神・永遠の愛の交わりこそ、人間・人格的存在の根拠。
(2)主イエスと聖霊ご自身は、不可分の密接な関係。
4回 ヨハネ15章26、27節、ガラテヤ5章22−26節
「御霊によって生まれた私たち」②
『この確かな約束に立って』
聖霊ご自身が主イエスを証なさるとの恵みの約束とその成就。
5回 ヨハネ16章13節−15節、33節
「御霊によって生まれた私たち」③
『真理の御霊が来ると』
(1) ヨハネ16章13−15節
(2) ヨハネ16章33節