クリスチャン新聞の根田祥一 氏と私・ 宮村武夫のやり取り

クリスチャン新聞の根田祥一 氏と私・ 宮村武夫のやり取り
深川生まれや宮村泰二の長男であることが、クリスチャントゥデイに関わる、小さくない要素かも。
★このやり取りを、日本同盟基督教団日本福音連盟また日本基督教団に属する方々の中から、どのように判断されるか、個人としての覚悟をもって公言なさる方が出現するのが大切と私は見通しています。

★父パウロ泰二とパウロ
毎年6月の第一主日の夜に開いている、両親を記念してのパウロ会・家族会を、末弟三郎が牧会している足立キリスト教会をお借りして開いています。感謝。
 時に応じて、次の世代のために、父母のことを話し書くようにしています。パウロ泰二の召天は、1978年6月4日でした
父が10歳の少年の時に
父は、関東大震災の時、深川新大橋から祖母の実家の関係で、栃木県佐野市疎開、10歳の少年はその地にあった聖公会教会学校に出席したのです。
 その結果は、直接直ぐに実を結ばないように見えました。
しかし後年私が高校時代キリスト信仰に導かれ、長男であるにも関わらず家業を継がず日本クリスチャンカレッジに進学した際、親族がいぶかる中で、父は私の行為に一切反対しないばかりか、留学を含め経済的支援をしてくれました。
 
 さらにその後20年近く年月を経過して、聖救主教会の故鈴木勉司祭から受洗したのです。パウロ泰二の誕生です。鈴木司祭は、私の開成の先輩で、生前親しい信仰の交わりを頂きました。
  父の聖救主教会との出会いも、父らしいものでした。父は、だれかれとなく誘って、深川から浅草でご馳走するのが好きでした。その浅草の串カツ屋のママとの話が弾み、「私の弟は、下町から開成へ」、「うちの息子も同じ」。「その弟が私が通っている冬木町の教会の司祭」、「うちの息子も、青梅の教会の牧師」。かくして、父は、鈴木司祭の姉上に導かれ、聖救主教会へ、感謝。
 疎開先の10歳の少年の心にまかれた種は、確かにむなしく地に落ちたのではない。父の召天を契機にキリスト信仰が確立した末弟は、足立キリスト教会を牧会しています。

★父と成沢炭鉱
父と成沢炭鉱のことを断片的に考えます。
現在は、いわき市の一部いわき市好間町大利成沢にあった、成沢炭鉱。
戦時中、母典子は、私と次弟義男を連れて、東京深川からそこに疎開しました。
 戦後復員してきた父泰二が直接炭鉱の経営に当たるようになると、黒いダイヤと呼ばれ掘れば売れる時代の流れの中で、中小も小の小に過ぎない成沢炭鉱も急速に活気を帯びるようになり、大勢の人々が集まりました。
 30代半ばの父の生活と生き方は、長男の私の目から見ても潔いもので、それは後年のキリスト信仰の有り方にも通ずると私は理解しています。
 私は小学校4年生の時に東京に戻り、江戸川区小岩の祖母と一緒に生活するようになりました。その時は全く理解していなかったのですが、私の将来のため両親が備えをなしてくれていたのです。両親が東京へ引き上げてくるまで、休みごとに成沢で過ごしました。
 
成沢炭鉱、いわき市福島県は、私の人格形成にとり、大きな影響を与えています(「神を愛し人を愛し土を愛す」宮村武夫著作 1 『愛の業としての説教』、宮村武夫著作1,268−270頁)。 

★この父、この友  
 1958年4月、日本クリスチャンカレッジに入学、寮の同屋は4名。現在まで、親しい交流を重ねれいるF兄から、昨日メールを頂き、喜び。
 F兄は、ず−うと後年になって私が初めて認めることが出来た父の父らしさを、初対面から見抜き、好いて下さっていたのです。
「お元気でご活躍のご様子なによりです。
8/30のユーチューブ拝見?しました。
久しぶりにお父さんのこと思い出しました。
JCC時代よく御馳走になりましたね。
すき焼きを御馳走になりに行ったあるとき、電話を受けておられたお父さんが「…相手を信用しないお方とはお取り引きできません…」と、きっぱりとした口調で話されていたことを覚えています。
お働きが祝されますように。
2014.8.30 FN」
 あの当時、父は、江東区大島7丁目の広々とした石炭の貯炭場の一角に、母のアイデアを多く生かした自宅を新しく建て、私たちの家族は、小岩から引っ越していたのです」。

★同様に、クリスチャントゥデイに対する否定的な言動の根拠も、なんだらかんだら正当的に見える言い訳ではなく、本人も気づかない劣等感や利害関係に基づくとの見方も、一概には否定できないのではないか。

★上記の文章をクリスチャン新聞の根田氏に差し上げたところ、返答があり、その後、以下のようなやりとりがなされました。
 クリスチャン新聞とクリスチャントゥデイの関係について、大切な洞察を与えられるものと判断しますので、提示いたします。

根田 祥一
クリスチャントゥデイに対する「否定的な言動」というふうに宮村先生には映っているようですが、そうではなく、クリスチャントゥデイが間違いなく異端である証拠・証言の情報に基づいた「指摘・批判」です。客観的な情報に基づいて冷静な判断をするのがジャーナリズムの責務だと思います。特に異端・カルトは全力を尽くして自分たちの正体を隠しますから、その実態を見抜くには、入ってくる情報を最初からバイアスをかけて取捨選択してしまうことなく、一つひとつ冷静に精査していくことが求められます。私がクリスチャン新聞に書いてきたことは、すべて客観的な証拠・証言に基づく「事実」です。クリスチャントゥデイ側は「根田の捏造」と決めつけていますが、そのバイアスのフィルターを通して読むのではなく、ひとりの言論人として吟味していただきたいと思います。

宮村 武夫
コメント受け取りました。
クリスチャントゥデイが間違いなく異端である証拠・証言」の内容とは、何ですか。
差し上げたと同じ文は、非公開グループ、「クリスチャントゥデイを議論しよう」に提示しています。根田兄からのコメントを、そのグループに紹介したいです。ご了解ください。

 クリスチャン新聞には、留学から帰って直ぐ、1969年に連載記事を書く機会を与えられました。ことば社から、1970年以来幾つものものを刊行させて頂きました。いわば書き手として育てて頂いたと言って過言ではありません。
 そのような私にとり、伝わってくることば社の様子の一面は、淋しいです。
忍耐と希望(ローマ8:25)
宮村武夫・君代

根田 祥一
クリスチャントゥデイが間違いなく異端である証拠・証言は、これまでクリスチャン新聞に書いた記事をご覧ください。でも、クリスチャントゥデイ側の捏造批判記事はバイアスがかかっていますから、そちらだけ読んでわかったつもりにならないで、きちんとクリスチャン新聞のクリスチャントゥデイ批判報道と、クリスチャントゥデイのクリスチャン新聞批判の両方をご自分の目で読み比べて、どちらが本当のことを書いているかご自分の頭でよく考えてください。クリスチャントゥデイの矢田さんや高柳さんから言われたことの受け売りではダメですよ。

宮村 武夫
自分の目と心で読み、自分の頭でじっくり考え、自分の言葉で刻む。これは、まさに、自他ともに認める、私が60年一貫しいて求めてきた道です。

★永田竹司先生が書かれているように、
「全体を振り返り、宮村論文には一つの特徴があると思う。消極的な表現を使えば、論文の言語世界を共有しない人のための第三者的説明言語ともいうべきメタ言語がほとんど無い。積極的に言い換えると、宮村論文はすべて、極めて主体的な論述からなっている。すなわち、著者自らが語る言葉、そしてその内容と主体的に深く関わっており、読む人を変え、また自らも必然であればすぐに変えられる可能性に開かれている姿勢で書かれた論文である。本書は、そこに宮村武夫先生が現存し、宮村先生と対話することができる論文集といえよう」(宮村武夫著作5『神から人へ・人から神へ「聖書・神学」考』340頁

★書き手である前に、読み手として
1年前に、以下のように書きました。「クリスチャントゥデイの記事を読むことは、現在の私にとっては大切な学びの機会です。本記事は、その好例の一つで、読み飛ばすのでも読み流すのでもなく、線を引いたり、書き込みをしたり、かなりの時間を注いで熟読しました。
 その労は豊かに報いられたと感謝しています。これだけの記事の内容をしっかり受け止めることができたのは、専門書などを読むのではなく、新聞記事として読めたからであると理解します。本紙の役割の一つが、専門書で取り扱う内容とレベルを、新聞記事特有の事実に基づく明快さで伝えることにあると理解し、本記事をhttp://www.christiantoday.co.jp/articles/17525/201511...」。1年後の現在、この傾向は、ますますです。書き手である前に、読み手としての充実を願っています。