フェイスブック上で、溝田先生とやり取り ー「西洋乞食坊主だけにはなるなよ」ー

フェイスブック上で、溝田先生とやり取り
     ー「西洋乞食坊主だけにはなるなよ」ー

★Mizota Michael Satoshi→宮村武夫
2月13日
宮村 武夫 (Takeo Miyamura)先生。今回の声明を出された従業員の方に何かおっしゃりたいことはありますか?

★宮村武夫→Mizota Michael Satoshi
①従業員の方は、利用されたなとの思い。
主イエスの私たち・しもべへの勧告、
「ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい」(マタイ10:16)。順序に目を注ぐ必要を覚えます。

②私なりに訓練を受け、展開して来た聖書解釈の方法を用い、声明に何が、いかに書かれているかを確認提示、なぜ書かれたか意図を探りたい。その作業仮説から声明を読み直し、
あることをないことにしていないか
ないことをあることにしていないか検証する責任が私にはあると自覚しています。

③マタイ6:24に応答して、開成から日本クリスチャン・カレッジに進み牧師として生きようと決意した私へ、父泰二からただ一つの忠告・命令は、「西洋乞食坊主だけにはなるなよ」。

金銭のために生きるな。
金銭のために動かされるな。
30代前半で、小なりとは言え、福島県いわき市の山奥成沢炭鉱を経営した父。加賀藩士から東京深川で、石炭販売を家業とした家を守り、石炭から重油への転換を乗り越え、さらにガソリンスタンドへと移行する中で、どれほど金銭の力や必要を熟知していたことか。
その父が私に直言してくれたのは、金銭に魂を売るなの基本。

クリスチャントゥデイは、給料を得る場。
勿論そうであるけれど、それだけの場であるのか。それが第一の場であるのか。
「西洋乞食坊主だけにはなるなよ」の父の言葉に従い切ろうとする私は、少なくとも、例えば、雜賀兄とは、おのずから違った歩みをすることになると考えます。

クリスチャントゥデイは、私にとり礼拝の場であり、聖書解釈の実践の場であると自覚し、実践しています。
 今日も編集会義、3人でいや4人で、聖書をメガネに万物を見、自分なりに思索し、言葉を紡ぐ、営み、意気軒昂です。