溝田先生の行司役で、キリスト新聞の松谷兄と私の関係と違いはっきり

溝田先生の行司役で、キリスト新聞の松谷兄と私の関係と違いはっきり

★溝田先生→松谷兄
これが松谷の言い草。反論があればどうぞ。
>>勝手に「功労者」に祀り上げられているのも不愉快だが、「内部告発」した従業員の首を切っておいて「社長も人件費の重圧から解き放たれつつある」「本来の賜物が発揮されつつある」として、喜んでいる狂気の沙汰。晩節を汚すことなく、真実を見極め… https://t.co/wHfjXW2Tcj Posted at 10:47 AM

松谷信司「イエスぱねえ」#キリ新一新 on Twitter
“勝手に「功労者」に祀り上げられているのも不愉快だが、「内部告発」した従業員の首を切っておいて「社長も人件費の重圧から解き放たれつつある」「本来の賜物が発揮されつつある」として、喜んでいる狂気の沙汰。...

★宮村→溝田先生
また、いい機会を提供してくれました。
私なりに50数年新約学を学び教えてきた歩みにおいて、
ユダが主イエスを渡した事実と十字架を神の栄光の現れとする事実の両面を受け入れて来ました。ここに、今回の松谷兄、功労者との発言の根があるのは、溝田先生推察の通りです。
 この点を野暮ですが、与えられて範囲で説明します。

 もう一つは、キリスト新聞や松谷兄と私の関係です。
沖縄時代、敬愛する松谷好明先生の積極的な紹介の労で、松谷兄に面談,キリスト新聞社を訪問しました。それまで間接的にかかわりを持っていたキリスト新聞社を直接訪問できたのです。
 それ以来今日まで、松谷には、基本的にエールを送り続けています。
そうであればあるほど、現在の松谷兄のクリスチャントゥデイをめぐる言動は、私にとっては不可解です。「賀川豊彦の目に涙」と表現したくなるほどの無念な思いです。
 
 ところが、その松谷兄の言動の結果、思いを越えてクリスチャントゥデイがすっきりし、4月と5月の後、6月以降、さらに矢田×内田×宮村→の営みは、単にクリスチャントゥデイのみの課題ではない。
 聖なる公同の教会を信ずると告白する者にとって、報道、特にインターネット報道とは何かが問われ、その課題への応答という普遍性を持つ問です。これを軽視、ましては無視することは、自らの真の意味での教会性を否定することになると、誤解を恐れないで言えば、理解しています。

 溝田先生、また、いい機会を与えてくださいました。
勿論制約、しかもかなりの制約の中です。
 しかし、ロッテの村田投資と同様、宮村武夫真っ向から直球しか投げません。一寸の虫にも五分の魂。まずは、私のブログを活用します、感謝。