『小さいのですが』

『小さいのですが』マタイ13章31、32節
2012年年12月9日(日)

大月福音キリスト教会 主日礼拝

御父、御子、御霊、生ける三位一体なる神の御名を讃美します。

[Ⅰ]序 
 今朝、大月福音キリスト教会の12月9日の主日礼拝・教会設立20周年記念礼拝に君代と共に出席でき、さらに宣教の機会を与えられ、心より感謝いたします。
「主の良くしてくださったことを何一つ忘れ」(詩篇103篇2節)ない思いで、もう一度レジメを用いて、マタイ13章31,32節をお読みいたします。
「イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。『天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」

2]主イエスは言われた 
 聖書の神は、語られるお方です、語られた神のことばは現実となり結実します。
「神は仰せられた。『光があれ。』すると光があった。」(創世記1章3節)。
天地が滅びても、決して滅びることのない主イエスのことばが、聖書を通して大月福音キリスト教会の誕生を導き、20年間、毎週の主日礼拝を中心に語り続けられてきたのです。

[3]マタイ13章31、32節に見る主イエスのことばの二点に焦点を合わせ
(1)天の御国は「小さいですが」
①天の御国・神の国とは
神ご自身の統治、「はじめに神」、「しかし神は」。

②マタイの福音書における「小さい」の重視
 18章6節「しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。」
18章10節「あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。」
18章14節「このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。」

(2)天の御国は「生長すると」
①成長についての聖書の励まし
Ⅰコリント3章6節、「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神。」
コロサイ2章19節、「かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。」

②私たちの現実の中で見る成長
イ.子供の存在
主イエスの幼児期の成長に見るように、親の目ばかりでなく誰にでも認められる。
ルカ2章40節「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」
ロ.老年期の成長、本人を含めて多くの人々に認めにくい、しかし確かに成長なのです。
イザヤ40章30,31節に見る【主】を待ち望む」成長し続ける老年の姿のように。
そうです、勇気を失わないのです。
Ⅱコリント4章16節「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」。
ハ.いつでも、どこでも成長。あらゆる点において成長し
聖書をメガネとして神の成長の恵みの事実を認め感謝に満たされ、ローマ8章23節の道を地道に進むのです。
「そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます」。心の中でうめきながらの成長です。死を乗り越える成長です。

③成長の結果・目的
「生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
 大きくなること自体を目的にしてはならない、他者のために役立つたに

[4]集中と展開 
(1)集中 
主イエスが語られる事実に立つ、徹底した聖書信仰
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(Ⅱテモテ3章16、17節)。

(2) 展開
小さな人・小さなことをあなどらない。小さな人を大切に。小事こそ大事。
小さな人・小さなことのためになすことは、無駄なことも過分なこともない。
同時に、
どんな大きな人・ことにも、主にあってたじろがない。
Ⅰコリンと10章31節に見る、主にある平常心
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」これこそ、あらゆる点で成長させて頂く大月福音キリスト教会の進む道。30年後、40年後に向け、各自の生活・生涯において。主の祝福が豊かにありますように。

1970年代、青梅キリスト教会付属幼児園園長の働きの恵みの一つは、現場で働く保育者との主にある交わりでした。
 戸田(旧姓鈴木)みどり姉の場合、1970年に私たちが埼玉の寄居から青梅に移住した年、
みどり姉は桜美林短大を卒業、新任の保育者として働きを開始されたのです。
 その後、小学校教師の戸田兄と結婚、はじめは青梅に住んでいたのですが、その後みどり姉の実のある大月に転居、そこから高速道路利用して、青梅キリスト教会に集われていたのです。長女はつほちゃんの誕生前後からクリスマス会を持ち、また月に一度私が大月に出かけ家庭集会を続けていました。

 1986年4月、私たちが沖縄に移住してからは、後任の林先生が家庭集会を継続してくださいました。
 20年前、その家庭集会が、大月福音キリスト教会として出発するとの驚きと喜びの連絡を沖縄で受けたのです。
 
 大月福音キリスト教会の歩みの中で、忘れがたい思い出があります。
山形の独立学園の創立者鈴木先生が、大月でも特にご自身の出身地域で始まった戸田宅での家庭集会のことを喜んで下さっていたことです。