使徒の働き味読・身読の手引き・その54

沖縄で聖書を、聖書で沖縄を読む。
首里福音教会、その主日礼拝を中心にした営みの報告

「聖書に基づいて」
使徒17章1-9節

[1]序
 今朝は、新しい章・使徒の働き17章へ進みます。
16章11節以下で見て来たように、パウロの一行はマケドニヤ人の招きの幻に応えて(9節と10節)、マケドニヤに渡り、ピリピに進みました。
しかしそこで彼らは歓迎されたのではなく、苦しみに会い、辱めを受ける中で、ピリピ宣教は進められ、ピリピ教会は誕生、成長して行ったのです。
パウロの一行はピリピ滞在することを許されない中で、なお宣教の熱心に心満たされ、ピリピからテサロニケへと進みます。
17章1節、「彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった。」の背後に、この時点でパウロの一行が直面していた事情、そのときの彼らの心の中を読み取る必要があります。
このときの状態について、パウロ自身がテサロニケ教会に後年書き送った(Ⅰテサロニケ2章1節と2節「兄弟たち。あなたがたが知っているとおり、私たちがあなたがたのところに行ったことは、むだではありませんでした。ご承知のように、私たちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けたのですが、私たちの神によって、激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました。」)に見るように、テサロニケにおける宣教・教会の誕生と形成については、テサロニケ人への手紙第1、2を通し知ることができます。

[2]テサロニケ宣教
 ルカは、テサロニケ宣教の一場面に焦点を絞り、ユダヤ人会堂でのユダヤ人と神を敬う異邦人を対象とする宣教について描いています(2節と3節)。
パウロは「聖書にもとづ」き、「キリストは苦しみを受け」ねばならないこと、また「死者の中からよみがえらなければならないことを証明し、論証」したのです。
旧約聖書に基づき主イエスの十字架の死と復活についてパウロは説き明かしたのです。
「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ローマ3章23節)と、罪の実態をパウロは明らかにし、「ただ神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、あたいなしに義と認められる」(ロ−マ3章24節)、主イエスの贖いによる救いを指し示したのです。
また主イエスの復活を述べ伝え、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」と、ダマスコでの経験に立ち、復活の証人として福音宣教を進めています。

3節の「証明」という言葉に注目。この同じ言葉は、16章14節の「ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた」では、「開いて」と、訳されています。ルカ24章45節、「そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて」参照。パウロが聖書を説明しているとき、主なる神ご自身が聞いている人々の心を開いてくださるのです。
聖書が開かれるだけでなく、人々の心が開かれる必要があります。また人々の心が開かれるのは、聖書が開かれることを通してです。
テサロニケの異邦人への宣教。テサロニケ教会を構成している人々に、「あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり」 (1テサロニケ1章9節)とパウロが書き送っています。テサロニケの異邦人に対して、偶像礼拝から離れ、唯一の生ける真の神のみを礼拝するようにパウロたちは宣べ伝えたのです。

[3]宣教の結果
 パウロが三つの安息日に渡りユダヤ人会堂で聖書に基づく宣教は、彼らのうちの幾人かはよく分かって」とあるように、主イエスを信じる幾人かのユダヤ人が起こす実を結びました。福音に応答する人々が数多く起こされ、テサロニケ教会が誕生しました。
しかし同時に福音が宣べ伝えられるとき、5節から9節に見るように、福音に対する拒絶、否定的な動きや反対運動、口実を挙げての訴訟なども起こりました。

[4]結び
 テサロニケにおける聖書に基づく宣教は、聖書を説き明かし、主イエスの十字架と復活を指し示すものでした。その結果、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも主イエスを信じる人々が起こされました。
数々の困難に直面しながら、テサロニケにおいても教会が誕生、成長し、二通のテサロニケ人への手紙に見るような歩みを続けたのです。