「玉城デニー新知事誕生 国が潰せなかったウチナーのチムグクル」

月桃通信No7 2018年10月6日
                                    石原つや子

玉城デニー新知事誕生 国が潰せなかったウチナーのチムグクル」

私たちの長男忍望(にんぼう)が、1982年三重県の全寮制農愛高校高校へ入学することにより、石原ご夫妻と出会いました。
 忍望のクラス担任尾形先生の紹介で、1986年4月忍望を置いて、家族で沖縄へ移住するに先立ち、無教会那覇聖書研究会の宮城ご夫妻に出会いました。夏油通信がクリスチャントゥデイで掲載さている背景にある、主なるお方の忍耐深い備えと心得ています、感謝

 月桃通信No6で私は強い危機感を持ってあの文章を書きました。
それは名護方式というあの名護市長選挙での敗北が悪夢のようにつきまとっていたからです。
 もし名護方式で知事選に敗北したらもう後はないと思いつめ最悪までも考える中で唯々神の助けを祈っていました。そして凄い奇跡が起きました。安倍政府の沖縄潰しにウチナーは勝ったのです。その喜びはたとえようもなく大きく私達は抱き合い涙を流して、カチャーシーを踊って喜びました。みんなみんな時間も体力もいとわず全力投入で草の根市民の選挙運動に頑張りました。
 本土からの仲間達も大勢かけつけて応援して下さいました。ひとつ思いで戦った私達みんなの顔は輝いていました。私もナイチャーでありながら夫よりもウチナーンチュになってしまった自分が皆さんと共に居ることを喜びウチナーンチュの一人として生かされている幸いをかみしめ、今日まで導いて下さった神に感謝しました。

 安倍政権のこの選挙にかける介入はすさまじいものでした。
菅さん3回、小泉さん3回、竹下さんは1ヵ月、他に小池百合子さん、石破さん、岸田さん政府の要人、公明党員など、沖縄に潜入、へばりついてサキマさんの当選に政府挙げて沖縄潰しにかかり、まるで安倍政府とデニーさんとの対決の様相となりました。
 サキマ候補は政府の言いなり、辺野古のへの字も口にしてはならないという方針に従い、辺野古には全くふれず、対立ではなく対話をキャッチフレーズにして県民の暮しが最優先だと自分が知事になれば何でも出来るとうそぶきケイタイ料金の40%カットを実現するとの甘い言葉を並べ立て自信満々でした。然しサキマさんの親分は安倍であって安倍の嘘をそのままに甘い水を飲ませようとしたのでした。
 だんだんと県民にも背後にある安倍政府のひどいやり口が見えてきたのだと思います。ネット上ではデニーさんへの誹謗中傷はひどく人権侵害で訴えたい内容でしたが、それにも屈せずデニー陣営からの相手への誹謗中傷はありませんでした。
 サキマ氏優勢の世論調査の情報がかけめぐる中、危機感を持った幹部達は翁長雄志夫人の樹子さんに何度もお願いしてとうとう9月22日の決起大会に翁長樹子さんが一大決心をなさって壇上に立って下さったのです。
 樹子さんは、強権的に辺野古新基地建設を進める政府を痛烈に批判し
「県民の心に1ミリも寄り添おうとしない相手に譲れない」
「ウチナーンチュの心の中をすべてさらけ出してでも必ず勝利をかちとろう」
「残り一週間です、簡単には勝てない、それでも簡単には負けない。」
 雨の中、涙を流し訴えました。
「翁長は雨男だったから今日のこの雨は翁長がここに居てくれることだ」と語られ、集った8000人の私達は樹子さんと共に涙を流し、翁長さんの遺志を継ぎ、辺野古に新基地は造らせないという強い意志を再確認しデニーさんと一体となって新たな選挙戦へと勇気百倍再出発できたのでした。
ぬちかじり(命のかぎり)ですよ、天から翁長さんが樹子夫人と一体となって叫んでいる声が本当に聞こえたように思いました。

 この大会で潮目が変りデニーさんへの風が吹き始めたように思います。玉城デニーさんは多様性を重んじ、誰一人として切り捨てない社会を、新時代沖縄はみんなで創りましょうと呼びかけ翁長さんの遺志を受け継ぎ、辺野古に新基地は絶対に創らせないと、ぶれない堅く強い決意を表明されました。父親が米兵という出生もあって、戦後の沖縄の歴史を背負った方、苦しみ悲しみを体験され豊かな人間性を持った方、何よりも私達庶民の代表としての親近感があります。市民目線で一人一人の話を聴き、向き合い大切にして下さる方です。今迄にない知事のタイプだと思います。選挙戦でのデニーさんを見ていると、どんどん強くなり成長されていく姿が見てとれます。まさに私達がデニーさんを支え成長させる存在なのです。これからは決して分断されないよう苦労なさるデニーさんを真剣に支えていかなくてはなりません。
 
 投票日の前日29日、台風24号直撃、また就任日(10月4日)台風25号襲来と二つの台風にみまわれました。農作物を始めとして大変な被害が出ています。緑美しい沖縄は茶色に変ってしまいました。何故二つの台風なの、穏やかな中にあってほしかったのに‼私にはこの二つの台風がデニーさんの前途の厳しさ、その苦難を象徴しているように思えてなりません。私達一人一人にデニー新知事を支えていく決意が求められています。

 今回の選挙で最も気にかかることは若者達の動向です。サキマ陣営で熱心に活動する若者達のグループがありました。彼等は何を思い何を考えてサキマさんを支持しているのでしょうか。背後にある安倍政権の実体が見えているのでしょうか。若者達の話を聞いてみたいと強く思いました。次の時代の沖縄を作るのは彼等です。彼等の考えを知り、理解し、絆を結び、本当のことを真実を彼等に語り伝えていくのが私達の役割ではないでしょうか。

 平和は人から始るのですから。今回の選挙に勝利しても、ウチナーの内奥に平和とは逆の思想、考えが若者達を捉えてしまっていたとしたら、ウチナーのチムグクルは失われ、危機を迎えることでしょう。大切なのは今できることを、若者と共に語り学び合うことを、具体的に積み重ねていかなくてはいけないということです。

 翁長さんは言葉の力をとても大切にされ、いつも言葉を考えておられたそうです。訴えたのは沖縄の歴史、苦悩、誇りでした。翁長さんの発する言葉には命があり、血が通っていました。
 そして安倍さんの嘘の言葉の空しさが一層際立って分りました。言葉と品格において、いつも勝っていました。言葉は生きて人の心にとどまり、次世代を教育し支える力を持っています。
 聖書の言葉…初めに言があった、言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。(ヨハネ伝)

翁長雄志前知事の言葉から
●ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー
(沖縄の人の心をないがしろにしてはいけませんよ)

●沖縄以外の都道府県で日米両政府という権力と戦ってきたところはありますか。ないでしょう。こんなにも長く戦ってきた沖縄県に対してお前ら勝てるのか?という視点で見るから政治は何も変わらない。堕落の政治だ。

●県民の気持ちには魂の飢餓感があり、それに理解がなければ個別の問題は難しいと話した。(菅官房長官と)

●政府は沖縄県民を日本国民とは見ていない。

●あぜんとした。裁判所は政府の追認機関であることが明らかになった。(辺野古違法確認訴訟)

●将来は沖縄にアジアの国連みたいなものがあり、中国、北朝鮮、フィリピン、ベトナム、みんな来ていただき経済活動の拠点化を目指す。

●われわれがどう話しても大きな力が押しつぶして、通り過ぎていく。国家の品格を信じられなくなるくらいさみしいことはない。

●ヌチカジリ、チバラナーヤーサイ(命の限り頑張りましょう)

◎次男、雄治さん(那覇市議)の言葉
 父は生前、沖縄は試練の連続だと。
 しかし一度も、ウチナーンチュとしての誇りを捨てることなく闘い続けてきた。ウチナーンチュが心を一つにして闘うときにはお前が想像するよりもはるかに大きな力になると何度も何度も言われてきました。

 今回の選挙ではかなりの公明党の人達がデニーさん支持に回りました。このことは、組織力で人の自由意志を縛ってはならないことを勇気ある沖縄の公明党の方々が教えて下さいました。
 良心に従おうとする勇気ある一人の行動が他の党員を勇気づけて組織を打ち破ってくれたのです。このような一人の存在があるかないかが重要です。決して私達は弱い一人ではないのです。

沖縄のことをわがこととして考え、祈り、支援して下さるお一人お一人に心より感謝申し上げます。
 8万票余の大差での勝利は安倍政権に大打撃となり長期独裁政治にも陰りが見え始めています。
 憲法改正を成しとげようとするこの政権をしっかり見張り、絶対に憲法改正を許さず将来に禍根を残さないよう共に闘って参りましょう。
 ご支援本当にありがとうございました。

星野富弘さんの詩

ちいさいから踏まれるのさ
弱いから折れないのさ
たおれても、その時もしひまだったら
しばらく空をながめ
また起きあがるのさ

2018・10月6日
石原つや子

住所 904-1115
うるま市石川伊波1180-5
TEL :098-964-3237
携帯 :090-4471-1942
Eメール:yuuwanoie@tg7.so-net.ne.jp

アンヨをもって、テテもって 再録

アンヨをもって、テテもって 再録

[1]序
(1)入院
 2009年12月18日(金)、脳梗塞のため那覇市立病院に入院、明けて1月13日(水)、リハビリに集中するため大浜第一病院へ移ってからの日々、多くの方々の祈りと好意に支えられ、4月4日のイ−スタ−を前に、4月2日(金)退院できました。
今回の経験、1963年から1967年のアメリカ・ニュ−イングランドへの留学に匹敵する深い学びのときであり、しかも短期集中の楽しくて、楽しくての毎日でした。

はじめから終わりまでの日々、実に多くの方々との交わり・交流は、幾重にも重なる豊かなものです。
祈り
処々各所の方々の祈りが一身に注がれ、
「信仰による祈りは、病む人を回復させます」(ヤコブ5章15節)との約束の成就を経験し、この期間本当に祈りが一段と身近なものとなりました。
 しかも祈りの中心は携帯電話を用いてのそれで、大きく広がる様々な地域の方々と携帯を通じて祈りを合わせる恵みを味わいました。
手紙、メ−ル
また左手・指が不自由ではあっても、右手を自由に用いることができ、時間は今までより圧倒的かかりますが、手紙を書き続けることができたこと、やはり小さくない恵みでした。厳しい制約の中でメ−ルもそれなりに活用。
来訪
特に大浜第一病院ではほとんどの病室が個室でしたので、近くから遠くから訪問くださった方々と落ち着いた対話を重ねることができ、訪問くださった方も訪問を受けた私も、ともどもに心満たされました。

(2)埼玉の松本さんから
そうした日々の中で、埼玉の松本鶴雄さんと直接連絡が取れたのです。
2009年11月に出版した、著作集Ⅰ『愛の業としての説教』(ヨベル)を私が送付していたところ、松本鶴雄さんから電話を、さらに丁寧な読書感想の便りを受け取りました。
 電話では時空を越えて話が弾み、その後、私たちの交流の絆を体現するかのように、
『神の懲役人−椎名麟三 文学と思想』(青柿堂)が埼玉から遠く沖縄まで送り届けられたのです。
また私からの応答としては、文芸同人誌・『修羅』の同人に加えていただく手続きを取りました。
50年にわたり説教を続け、神学論文やエッセイなどの文学類型で書き発表し続けてきました。しかし今回入院中に経験し思索したことを表現するには、それに相応しい別の表現方法や場があるのではないかと考え始めていたところでした。
松本さんとの長い年月絶えることのなかった交流に後押しされ、同人加入は71歳にしての新しい小さな一歩。

[2]埼玉県寄居
話しは、1960年代後半、寄居へと時空を越えて飛びます。
(1)小さな牧師館の狭い部屋での読書会
 1967年10月1日、4年間の留学中待ち続けてくれた寄居キリスト福音教会に、私は戻ることが出来ました。1965年4月12日に結婚式をあげた妻君代、1967年の8月27日に誕生したばかりの長男忍望と共に。迎える側も、迎えられる側も、ひたすら喜びに満たされた恵みの時でした。
 そうした雰囲気の中で、一つのことが始まったのです。
当時寄居高校定時制の教師であった松本さん、同僚の藤田さんと私を中心に、小さな牧師館の狭い部屋でこじんまりとした読書会を始めたのです。
 藤田さんが、マルキストと自己紹介した声が耳に、いや心に今も残ります。
 その時より5年前に書いた、日本クリスチャン・カレッジでの私の卒業論文、『ドストェスキ−の神学的一考察−『悪霊』に於ける人神論と神人論−』について、カナダとアメリカから寄居に来られていた二人の婦人宣教師が松本さんに伝えていたことが、読書会発足の種になったと記憶しています。
 読書会はめっぽう楽しく、定時制で私が英語を教えられないかお二人は努力を払われました。しかし私が卒業した日本クリスチャン・カレッジが文部認可の大学でないため、県庁の許可が下りず、没。

(2)「アンヨをもって、テテもって」
1970年1月25日、寄居キリスト福音教会発行、『月報』に、以下のドストェスキ−がらみの文章を載せました。

「二歳半になる長男忍望が教会学校の幼稚科出席するようになってから、種々興味深い事実を観察しています。たとえば、暗誦聖句についてです。
 最初に習った暗誦聖句は、ガラテヤ5章13節の「愛をもって互いに仕えなさい」でした。暗誦聖句はと聞くと、「アンヨをもって、テテもって」と忍望は答えるのです。初めは、何のことか全く理解できませんでした。アンヨではなく、愛と言っているとばかり思い込んでいたので、どうして、テテ(手)が出てくるのか分からなかったのです。
しかし、やがて忍望は愛と言っているのではなく、アンヨ(足)と言っているのがはっきりすると、すべてが理解できるようになりました。
愛という言葉は、二歳半の忍望にとって、全く無縁なものです。
ですから、愛という言葉を聞いた時、その発音に比較的近い、アンヨ(足)と誤解したのは、至極自然なことと言えるでしょう。アンヨと言えば、どうしても、テテ(手)が出てくるわけです。それで、暗誦聖句と聞かれれば、「アンヨをもって、テテもって」と答える理由が分かりました。分かってみれば、何でもないことです。
 ところで、「愛をもって互いに仕えなさい」との励ましは、結局のところ、「アンヨをもって、テテもって互いに仕えなさい」と理解され、実行されねばならないのではないか。こうしたことを考えながら、ドストエフスキ−の『カラマーゾフの兄弟』を思い出しました。あの作品の中で、ゾシマ長老は、アリューシャが信仰と愛とによって、この醜悪な世界を浄化し、美化していこうと目指す時、「然るに実行の愛に到っては、何のことはない労働と忍耐じゃ」と語っています。
 十字架というキリストのからだにおける卑下により神の愛を示された私たちは、労働と忍耐を通し、自分の生かされた場所で実行の愛を具体化して行く道を歩む。神の愛を賛美しながら、現実の人間生活から逃避することなく、身に受けた神の愛の故に、苦難と悲惨に満ちた現実にしっかりと留まり、与えられた生を他者との人格的交わりを通して生き抜く。これが、人間・私、キリスト者に求められている生き方です。
 今年、私たちの信仰が、愛という抽象的な言葉に留まるだけでなく、手や足という具体化、現実化されていくこと願わざるを得ません。
 「愛をもって互いに仕えなさい」と「アンヨをもって、テテもって互いに仕えなさい」とは、決して別のことではないようです。」

寄居時代の忘れ難い思い出、そして今回松本さんが、『神の懲役人−椎名麟三 文学と思想』を私に送ってくださる切っ掛けともなったのは、
1969年の松本さんの著書、『丹羽文雄の世界』(講談社)の出版です。
その出版記念会の案内を受け、この種の集いに初めての参加で多少の緊張感を持ちながら、池袋の会場に向かったのです。
 開会時間のかなり前に着いたところ、私よりも先にもう一人の方がすでに到着しておられたのです。
椎名麟三さんでした。自己紹介後、話が私たちの読書会に及んだ時、
「それで分かった。松本さんが罪や悪について深く書けるわけが。」と椎名さんは明言なさったのです。この人は、聖書でものごとを読む方なのだなと私の思いの深くに刻まれました一事を、今もありありと記憶しています。。
 勿論、私が椎名さんにお会いしたのは、この時一回限りです。
そして驚きました。『神の懲役人−椎名麟三 文学と思想』(236頁)に、
「その後、出版記念会で初めて(椎名麟三さんに)お目にかかる機会を得た。後にも先にもこれが最後であった。」とあるではありませんか。

[3]大浜第一病院にて
(1)丸太の笑い
 2009年12月18日(金)夕方、キリスト教書店での仕事から帰ってきた妻君代は、私の様子が普通ではないのに気づきました。私は一晩寝れば大丈夫と威張っていたのです。しかし母親が脳梗塞であった経験を持つ君代は、脅したり、賺(すか)したりして、そんな私を病院へ車に乗せ連れて行ってくれたのです。私は、まだ何とか歩けました。
病院では、直ぐに治療開始。それにもかかわらず、一晩経過した時点では、左半身不随、丸太となってベッドに横たわっていました。
その時、「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました」(詩篇119:67)の告白は、私の告白ともなりました。
それで大浜第一病院に移った後、アウグスティヌスの『告白録』を読み始めたのです。
またそのどん底の状態の中で、からだをめぐる思索、医療従事者の方々との出会い、医療のあり方についての考察など貴重な第一歩を踏み出したのです。
大浜第一病院で一日3時間のリハビリを楽しみ続ける中で、私のうちに一つのことが生じたのです。からだの奥から笑いが満ちてくるのです。箸がころんでも笑う年頃の娘のあり様で、「ウフフ、ウフフ」なのです。脳梗塞のため、どこか緩んでしまったのではないかと君代が案ずるほど。
そのような日々の中で、旧約聖書詩篇126編、その1−3節を読んでいるとき、「これだ!」と心に受けとめました。
「主がシオンの捕らわれ人を帰されたとき、
私たちは夢を見ている者のようであった。
そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、
私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。
そのとき、国々の間で、人々は言った。
『主は彼らのために大いなることをなされた。』
主は私たちのために大いなることをなされ、
私たちは喜んだ。」

リハビリの一つは、言語治療です。舌の動きに集中しながら発声訓練。「舌、舌」と生涯でこれ程「舌」を意識した日々はありません。「私たちの舌は喜びの叫びで満たされた」とは文字通りの実感なのです。口と心に満ちる喜びと笑い。
誤解を恐れず言えば、今回の経験、小さな小さなスケールではあっても、イスラエルの民が経験したバビロン捕囚からの解き放ちと同質な出来事であり、その後落ち着いた生活にあっても、解き放ちの喜びを生活の基底に覚えるのです。

4月2日の退院後は、不自由な左手・指や杖を用いての三階のアパートへの上り下り、さらに思わぬことでも日々我が身の弱さを底に徹して経験したのです。しかし同時に恵み深い支えをその時々に味わい知らされました。
 
(1)からだ
100日余の入院生活を通して、左手の指が発症後初めて1ミリ動いた瞬間などをはじめ、自分はからだ・からだとしての私を徹底的に自覚し続けました。
しかし同時にからだ・人間・私は、まさに人格的存在なのだ。そして永遠の愛の交わり・三位一体なる神こそ、人格的存在である人間・私の根源的な源・支えなのだと確信を深め続けてきました。

まさにからだであり人格的存在である人間・私に注がれ溢れる喜び、この「存在の喜び」を、不自由な左手・指や杖を用いての歩みながら、しみじみ味わい知らされつづけたのです。
ですから、感謝の応答をなさざるを得ないのです。永遠の愛の交わり・三位一体なる神こそ、まさに人格的存在である人間・私の根拠である事実を、ヨハネ福音書からの説教・宣教において展開できればと願い、入院中の読書会また退院直後の主日礼拝で小さい一歩を踏み出しました。
さらには、医療の現場や医学教育における、三位一体論的根拠付けを展開できないか思い巡らし始めました。
その基盤は、創世記2章7節です。
「神である【主】は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」

(2)喜びカタツムリ
 2010年5月の中旬過ぎ、松本さんから、再度電話を頂きました。
松本さんは転倒なさり入院、退院後の今は、杖を用いて歩行と。
私の応答は、「それでは杖仲間、杖友、スッテキ・フレンドですね。
私は、自分のことを喜びカタツムリと意識し、そう呼んでいます。」と。

[4]結び
 あの松本さんから送られた、『神の懲役人−椎名麟三 文学と思想』を読まして頂きながら、聖書の二箇所が特に心に浮かびました。
Ⅰコリント10章31節とピレモン9です。

(1)Ⅰコリント10章31節
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」

 ここに、ニヒリズムとの対比として日常、日常性の根拠が明示されています。
椎名麟三の日常への愛(『神の懲役人』102頁)は、上記の箇所に代表される聖書の宣言の深く豊かな受け止めとの側面があるのではないか。

(2)ピレモン9節
「むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが」

 使徒パウロは、現実には大ロ−マの囚人であり、獄屋に捕らわれていた。
しかし復活のキリストとの出会いの結実として、ロ−マを相対化でき、「キリスト・イエスの囚人」と深い自己理解をなし、そのように明言しています。

 椎名麟三において同様な事実を松本さんは見ています。
「現世の懲役人シンドロームをついに乗り越えて、ほんとうの自由を根拠とした生き方に到着しようとした。それは同じ懲役人でも<神の懲役人>への大転換であったろう。」(『神の懲役人』237頁)。

 以上の二点は、椎名麟三の聖書理解の深さ、豊かさを示唆しており、それが椎名の思想の基盤であると言えないだろうか。

聖書をメガネに 大澤真幸、稲垣久和著『キリスト教と近代の迷宮』への応答・その4 宮村武夫

聖書をメガネに 大澤真幸、稲垣久和著『キリスト教と近代の迷宮』への応答・その4 宮村武夫
https://www.christiantoday.co.jp/articles/26101/20181006/seisho-wo-megane-ni-119.htm
久しぶりで、TCUの稲垣久和先生と対話の機会を持てました。今後さらに直接的な対話の機会が導かれればうれしいです。キリスト教え学園時代や沖縄時代のように。
CHRISTIANTODAY.CO.JP
聖書をメガネに 大澤真幸、稲垣久和著『キリスト教と近代の迷宮』への応答・その4 宮村武夫

 今回最後に第3章「近代の呪縛と現代日本の責任」を取り上げます。第1章「キリスト教と近代の迷宮」、第2章「近代科学の魔力と哲学の逆襲」において、2人の特徴ある論者が近代の課題を歴史的に取り上げた後で、3章では直接現代、しかも現代日本の責任に焦点を絞ってやはり多様な課題を取り上げ、対話が展開されています。28項目に展開されている内容の多彩さは、「イチローはいかに野球を変えたか」から「北朝鮮民主化する方法」に至るまで、実に印象的です。

その多様な28の項目の最初の2つ「日本のナショナリズム靖国神社」「天皇イデオロギーとありえた日本」が明示しているように、現代日本の根本的な課題に視点を定めつつ、現代日本のさまざまな課題に広く視野が開かれた対話は、読む者に新鮮な情報と思索の深まりへの示唆を与えてくれます。

その中で、個人的に最も関心のある課題1つ「沖縄問題の解決に向けて」だけを取り上げて応答致します。わずか5ページと限られた中で繰り広げられている対話は、沖縄で25年間生活し、沖縄で聖書を読み、聖書で沖縄を読む営みを目指してきた私にとって、深く共鳴するものがあります。

何よりも、「つまり沖縄を一枚岩と思ってはいけないのです」(231ページ)との大澤氏の明快な指摘に、心から同意します。その洞察に立って提唱されている、制約を越えての提唱は、大きな励ましです。

「沖縄自体がまわりの島々と十分連帯しきれないところがある。でも逆にいうと、沖縄や南方の島々が、そういう歴史的な遺恨を乗りこえて連帯できたら凄い力になる・・・南方諸島が自らの連帯を実現したとき、彼らの本土批判もよりいっそう説得力のあるものになる」(231ページ)

上記の提唱に共鳴する私なりの基盤は、以下の通りです。

本土に対して異を唱える沖縄自体に、沖縄本島と先島(離島)の二重構造がある。さらに、離島の1つ石垣についていえば、その周囲の島々によって構成される竹富町の町役場が石垣市にある。こうした連鎖の根本には、極東の島国と位置付けられ、そこからの脱出を目指す脱亜入欧の旗印の下で進められた富国強兵の営みとその結果を見ます。

上記の連鎖からの脱出は、第1章「キリスト教と近代の迷宮」に見る「キリスト教」から、さらに源泉である「聖書」そのものに直接焦点を当てる道にあると私は理解しています。それは、例えば内村鑑三に見るように、日本の地理的位置を摂理的に受け止めて歴史的使命を自覚し、実践する道です。その営みにより、中央と地方とのメンタリティーから解き放たれ、各地域がその特徴にかたく立ち、世界に対する使命を果たす。そのような個と全体の本来の関係が、生き生きと成り立っていくのではないか。

最後に、2章の終わりから3番目の項目「人間の信頼は神の像を描く?」に戻ります。その項目に見る、人間への信頼の強調に心引かれます。「この他者への信頼をもうちょっと抽象的な人格とか、特別なものに投影できれば、神さま的な説明になるのではないでしょうか」(183ページ)と大澤氏は述べておられます。

インターネット世界で、いかにして真の対話が成り立つか、日々考えさせられています。そうした中で、リチャード・ボウカム著『イエスとその目撃者たち―目撃者証言としての福音』を読み、「信頼」の重要性についてあらためて教えられています。

「重要な点は、証言には信頼が欠かせない・・・『他者の言葉に対するわたしたちの信頼こそが、重大な思考活動の根幹にあるのである』」(リチャード・ボウカム著『イエスとその目撃者たち―目撃者証言としての福音』471ページ)

本書自体、まさに「信頼」の重要性を実証していると考えます。私は先に、以下のように記しました。今あらためて同じことを取り上げ、感謝します。

「まえがきにおける大澤氏、またあとがきにおける稲垣先生の記述の双方ににじみ出ている相手に対する敬意の思いは、読む者の心によく伝わってきます。この敬意の裏付けがあって初めて、このような対談が展開し得ている事実を覚えます」

大澤真幸、稲垣久和著『キリスト教と近代の迷宮』(春秋社、2018年4月)

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◇宮村武夫
1939年東京深川生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学新約聖書学)、上智大学神学部(組織神学)修了。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。クリスチャントゥデイ編集長兼論説主幹

神戸改革派神学校の敬愛する吉田隆校長と宮村とのやり取り

神戸改革派神学校の敬愛する吉田隆校長と宮村とのやり取り

10代の時から、神戸改革派神学校に対して深い敬意を持ち、指導を受けて来ました。
 現校長の吉田隆先生とも主にある交わりを与えられ感謝です。
神戸改革派神学校のため祈ります。

★吉田隆校長→
「宮村先生・君代様

 先の台風では、東京方面が大きな被害を受けたようでしたが、先生の御自宅はいかがでしたでしょうか。

 このたびもまた、先生の近著をお送りくださり、心より御礼申し上げます。
 私は、毎回、著書の内容もさることながら、御友人たちによるエッセイを楽しく読ませていただいています。それにしても、先生の人脈の広さには、毎回驚かされます。日本の狭いキリスト教界の中では、やはりいろいろな方とネットワークを持つことが、とても大切なように思います。小さい中で四分五裂しているようでは、先が思いやられます。自分の立場を持ちつつ、相手からも学ぶ姿勢が無ければ、教会は豊かにならないよう に思うからです。
 私共の神学校も、9月は(臨床心理士の)藤掛先生と(日本キリスト教会神学校の)藤井先生に御奉仕いただきましたが、今月はインマヌエルの藤本先生です。これは少々冒険のように見えるかもしれませんが、昨年福音主義神学会の全国研究会議で御一緒した際に、先生が米国のドイツ改革派教会の歴史とリバイバリズムについても学んでおられたことを知ったためです。
 神学校の営みは、実にささやかではありますが、とにかく、福音宣教への情熱と深い福音理解を持つ伝道者を育てたく願っております。
 今後ともお祈りに覚えていただければ幸いです。

 御夫妻の御健康が支 えられ、そのお働きが豊かに祝されますように、心よりお祈りいたします。
 取り急ぎ、一言御礼まで。メールにて失礼いたします。

追伸: 御存知かどうかわかりませんが、関学で教えておられた改革派神港教会の長老、村川満先生が昨晩召されました。老衰とのことでした(87歳)。

神戸改革派神学校 吉田隆」

★宮村→
「吉田ご夫妻
頌主
 心のこもったメール感謝します。
神戸改革派神学校の諸教会へと広がる役割を、いつも覚えています。
吉田先生からのメール、よろしければ私のブログに転載させていただける可能性があるでしょうか。貴神学校について具体的に知り、祈る方が一人でも多く起こされる機会となればうれしいので。
徹底的聖書観に立つ聖書的エキメニズムを提唱、実践してきたつもりです。

10月の日々も、尊いお働きの上に祝福が豊かにありますように。
忍耐と希望(ローマ8:25)
宮村武夫・君代」

★吉田隆校長→
「宮村先生

 お役に立てるのでしたら、どうぞご自由に。

 よろしくお願いします。

吉田」

★宮村→
「感謝します。」

10月6日(土)ヨハネ19章の味わい その1814:00 動画集録 足立キリスト教会 宮村義人兄16:00 クリスチャントゥデイ矢田社長 コラム共労

10月6日(土)ヨハネ19章の味わい その18
14:00 動画集録 足立キリスト教会 宮村義人兄
16:00 クリスチャントゥデイ矢田社長 コラム共労
https://youtu.be/1tWF7Nd8PN4

ヨハネ19:26,27
[1]ヨハネ19:26
 主イエス、母に、愛する弟子を「あなたの息子」として。
 

[2]ヨハネ19:27
 主イエス、愛する弟子に、母を「あなたの母」として。

★主イエスにある新しい家族、あの時、あの場で、
そうです、この時、この場で。
マルコ3:15、「神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」、感謝!