報告書の張在亨牧師に関する部分を削除 - 牧師のブログCCIKの異端調査書の、張在亨牧師に関することは削除されていた。韓国…をめぐる、溝田先生と宮村のやり取り

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CCIKの異端調査書の、張在亨牧師に関することは削除されていた。韓国…をめぐる、溝田先生と宮村のやり取り

★溝田先生→
 上記に見る張在亨牧師に関する宮村の感想、応答を求められる。

★宮村→溝田先生
二つの点から応答します。
(1)2014年4月以前、特に張在亭牧師について
今まで、何回か申し上げていますように、2014年4月以前のクリスチャントゥデイについて、その前1年間の矢田社長との毎週1回の面接以外、ほとんど何も知りません。
 特に張在亭牧師については、お会いしたこともなく、Christanity Today の記事で読んだ以外何も知りません。
 また、2014年4月以降も、クリスチャントゥデイにおいて張在亭牧師にお会いしたことがないだけでなく、その存在の影を感じたことも全くありません。

(2)2014年以降のクリスチャントゥデイの歩みについては、勿論制約の中で、全体像の一部ではありますが、私なりに直視し、思索し、書き続けて来ました。
 その場合、私の今までの生き方の関連を大切にしてきました。
受けて来たすべての教育や訓練との関係。本土や沖縄での説教者・牧会者としての生活との関連。神学研究者・教育者としての歩みとの関連。
その特徴は、敬愛する永田竹司先生が私の文章について書いてくださった以下の文章によく表れていると自覚します。

「全体を振り返りると、宮村論文には一つの特徴があることに気づいた。消極的な表現を使えば、論文の言語世界を共有しない人のための第三者的説明言語ともい うべきメタ言語がほとんど無い。積極的に言い換えると、宮村論文はすべて極めて主体的な論述からなっている。すなわち、著者自らが、表現された言葉と内容 とに深く主体的に関わっている。それは、読む人を変える語りである。また著者自身にとっても、自らが変えられる可能性に開かれた姿勢を貫いて書かれた論文 である。本書は、宮村武夫先生がそこに現存し、宮村先生と対話することを可能にする論文集であるといえよう。」

★書かれた聖書とそれ以前の経過についての作業仮説の関係との類似が、私にとり、クリスチャントゥデイについての記述にあります。
私が受け実践して来た聖書解釈は、現存する聖書テキストに対する徹底的な信頼に立ち、テキストの下に自分の全存在を置く、under stannd の道です。
2014年4月以降の目撃者としての証言と記述したいのです。その場合、「ファクトチェック」で学びつつある手法を書くようできればうれしいです。

 2014年以前の歩みについては、以前のことを直接経験した方々を中心に、根田兄の言動との対話・対話対決として、クリスチャントゥデイのそれなりの公の記述として、少し時間をかけ公表できるよう期待します。
 根田兄が、事態の発火点であり、根田兄の言動を黙認している、私を育ててくれたいのちのことば社の現在の責任者方、同盟教団の代表的な論者の沈黙・だんまりの責任は小さくない、これは私が一貫して言い続けていることです。今はこれまで、感謝。

★溝田先生→
ということらしいです。私もそんなもんではないか、と思っています。根田 祥一さんは宮村先生の『どこが』『どのように』ダマされているか、明確に説明する責任があります。ここで『明確に』と言う場合、世界の90%以上の人なら理解可能だ、ということにしておきましょう。私は根田さんが説明しきれていないと考えています。