沖縄から、恩師渡邊公平先生へ、時に応じて手紙 その1

沖縄から、恩師渡邊公平先生へ、時に応じて手紙 その1

クリスチャントゥデイで、「聖書をメガネに」、万物を見る。恩師・渡邊公平先生を通して教えられたこの立場を実践しています。その基盤は、沖縄の25年の滞在期間据えられた自覚しております。
 その方法の一つは、渡邊先生に、時に応じて書き送った手紙をとしてです。

頌主
 先日はごくごく短い時間でしたが、ご挨拶でき幸いでした。
今年からは月曜日の第一便で出発、午後にクラス、また火曜日一日クラスを続けて最終便で帰れるスケジュールになりました。これですと一泊二日ですむので、随分スケジュール的には楽になりました。

 沖縄で七度目の夏を迎えています。四月末に沖縄に来て最初の教会員の召天、葬儀を経験いたしました。九七歳の宮城ナベ姉の生前の歩み、召天、葬儀に接して、何か沖縄の牧師として腰がすわった感じがします。現在九三歳の方御二人が熱心に求道。一人の方は私が今までに経験したことのない程はっきりと信仰告白に導かれ、深く豊かな聖書の理解をなさり励まされています。
 
 琉球大学での聖研も導かれています。工学部での小さな聖研を三年以上継続してきました。はじめから祈り求めてきました医学部での聖研、恵みの中に発足でき感謝です。各学部ごとに聖研を一つとの願いが一歩進められたわけです。信仰を同じくする地域の若い世代の牧師たちと協力し、前進したいと願っています。
 姉妹教会の重元牧師は東京農大、神学舎の出身ということもあり、次は農学部に聖研と祈り、個人的に呼びかけています。
 ハーバートや上智で垣間見た神学部の位置と役割、同志たちと琉球大学にあって制度ではなく共同体(聖書を専門分野にあって読み従う人々)として求めて行くことができれば幸いです。
 学生時代、ユニバーシティーにあって聖書を正しく、深く豊かに読み味わう若き学徒たちが、その全生活と生涯にあって、聖書を通し正しく、深く豊かに宇宙の意味を認識し、人として生かされている喜びと責任を果たし、三位一体なる神を礼拝し続けるよう祈ります。
 
 先日、東北学院大学の大崎節郎先生が沖縄にいらっしゃいました。二回の講演―「バルトの教会観」、「バルトはどう聖書を読んだか」― 深い共鳴を覚えました。食事をしながらの小さな集まりではかなり具体的なことごとについても話し合うことが許され感謝でした。
 大崎先生の私に対する最初のことばは、私の関心が全く教義学のそれだというものでした。G.ボスやA.シュラッターの線を現代においてどのように継承すべきかとの私の課題に対しても実に好意的な理解を示してくださいました。今後ともどのような形かで深い交わりを与えられるように願っております。
 沖縄に来て以来最も深い主にある交わりを与えられた方々の一人は、池永倫明先生です。先生は、現在は日本キリスト教会蒲田御園教会で牧会にあたり、日基神学校で教義学の教師をなさっています。池永先生はシュラッター『コリント人への第一の手紙』、オランダ改革派教会『教会と核武装』、トゥルナイゼン著作集1、2、4、パネンベルグ『キリスト論』(共訳)など優れた翻訳の労を重ねてこられました。
 著書としては『沖縄から靖国を問う』があります。昨日受けとった手紙には「カルヴァン、バルトに中心をおいて学び、考えてゆこうとしていますが、他の極にいるパンネンベルクの組織神学も関心をもって対話しようと思っています。彼が弁証としての組織神学を提唱している意味を現代日本の地盤で受けとめたいと思っています」と記されています。
 また、「今後シュラッターのものを熟読したいと願っております」とお伝えしたところ、「シュラッターは聖書釈義→聖書神学→教義学への道にとって、よき導き手の一人ではないかと思っています。シュラッターを取組まれるときを、うれしく思っています。私自身目を少し痛めて以来、余り読めなくなりましたが、シュラッターの哲学について(特にデカルト以降に西欧の哲学思想)の著書を求め、少しずつ読んでいます(今、中断しています)」と伝えてくださっています。大崎先生や池永先生との話し合いや文通を通し、聖書神学から、長年の思いであります教義学の学びへの一歩を踏み出すべきではないかと思いを新しくしております。
 
 思えば三十年前、1962年に当時のJCCを卒業するにあたり、渡辺公平先生にご指導頂きました卒論『ドストエフスキーの神学的一考察〜『悪霊』に於ける人神論と神人論〜』をタイプ印刷でだしました。
 卒論の「結び」の中に「教義学に興味を持つ自分にとってドストエフスキーは、キリスト教人間論を考える最適の指導者であった」との文章を見い出し、三十年の準備の後、初心に従って教義学の学びを少しずつ始めたいと思い巡らしております。JCCでの渡辺公平先生との出会い、ゴードンでお世話になり、今日も私どもの霊的父母としての交わりを保ってくださるニコル先生、そして上智のネメシェギ神父、それぞれ教義学の学びを通してご指導を受けたことを改めて考えさせられております。
92年6月16日宮村武夫 
渡辺公平先生