「絶対に走り抜けられる」と天から応援の声が 小林高徳TCU学長の葬儀に850人が参列 記者 : 守田早生里

「絶対に走り抜けられる」と天から応援の声が 小林高徳TCU学長の葬儀に850人が参列
記者 : 守田早生里
http://www.christiantoday.co.jp/articles/24839/20171128/tcu-takanori-kobayashi-presbyterian.htm

クリスチャントゥデイに、キリスト学園の取材依頼に応答して掲載された、本記事を喜びと感謝をもって味読・身読しました。

天に召された恩師や同僚たちと生死の境を越えて日々聖徒の交わりを続けているように、突然召天された小林先生記念しつつ、この1週間対話を重ねて来ました。ハイデルベルク信仰問答が指し示す私たちをつなぐ唯一の慰めにあって、私たちの主にある交わりは微動だにしないのです。
 今後、小林先生との交わりがますます深められると確信します。聖なる公同の教会を信じ、聖徒の交わりを喜ぶ幸いです。
 そして、この1週間対話したように、神学教育と神学校教育の区別と関係、インターネット時代と神学教育などの課題を中心に対話を深めることを予感します。その際、小林先生がご召天なさった時点での日本の教会の戦後史、特にその中での出版・報道。聖書翻訳の課題について掘り下げたい、感謝。

★(写真:東京基督教大学提供)
東京基督教大学(TCU)学長で、日本長老教会東関東中会の牧師だった小林高徳(たかのり)氏の葬儀(同大、同会による合同葬)が25日、同大チャペル(千葉県印西市)で執り行われ、国内外から850人が参列した。深い悲しみの中にいる遺族、大学関係者をはじめ、学生や各方面からの参列者で同大チャペルは満席となり、第2会場となった体育館も多くの人で埋め尽くされた。東京キリスト教学園の廣瀬薫理事長が司式をした。
葬儀は、小林氏の愛唱歌だった「きみはわれのまぼろし」(聖歌259番)から始まった。
告別説教を語った遠藤潔氏(日本長老教会蓮沼キリスト教会牧師)は、小林氏とは37年来の友人。2人が初めて出会ったのは、小林氏が都立高校の英語教師をしていた頃で、遠藤氏は大学1年生だった。日本長老教会連合青年会で、当時、小林氏が会長、遠藤氏が副会長を務めた。以来、5歳上の小林氏は遠藤氏にとって兄のような存在だったという。
その後、2人そろって東京基督神学校に進み、同級生として歩むことになった。お茶や食事の際には、いつも小林氏が遠藤氏におごっていて、「私が1度もごちそうすることはありませんでした。それが心残りです」と話すと、小林氏の人柄をしのんで温かな笑顔を浮かべる人々も見られた。

(写真:東京基督教大学提供)
また遠藤氏は、「これを小林先生からの遺言としたい」と、聖書の言葉を示した。
ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。(コロサイ1:24、新改訳第3版)
東京基督教大学日本長老教会、またアジア神学協議会を中心に、日本にとどまらず世界にも福音を伝えるために走り続けた小林氏は、まさにこの聖書の言葉のように生きた人だった。キリストの労苦を共にしていたのだ。

(写真:東京基督教大学提供)
小林氏の郷里である長野県で今月初め、遺族と近親者による葬儀が営まれ、遠藤氏が司式をしたという。小林氏が生まれ育った実家で、皆で遺影と遺骨を囲んで談話していた時のこと。親戚縁者から「たかちゃん」と呼ばれていた幼い日のことを聞きながら、美しい里山を走り回る姿を思い描いた。するとそこには、おたまじゃくしをすくい、カブトムシを器用に捕る「たかちゃん」と、その後ろをついて回る出来の悪い「鼻たれ小僧」である自分がいた。カブトムシを捕ることも、おたまじゃくしをすくうことも自分は上手にできなかったが、とにかく「たかちゃん」と一緒にいることがうれしかった。しかし、前を歩く「たかちゃん」の姿はもうない。
「では、小林先生はどこに行ってしまったのでしょう」と言って遠藤氏は次の御言葉を示した。
こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(へブル12:1−2)
私たちは前に置かれた道を走り続けなければならない。それは他人と比較する「競争」ではない。キリストの後に従い、キリストが迎えてくださる人生のゴールを目指して、キリストをひたすら見続けて走り抜くことが大切なのだ。
その道は孤独ではなく、多くの証人が天から私たちに声援を送っている。その中には小林氏の声も響いている。「イエスから目を離さないで。絶対に走り抜くことができるから大丈夫。ただイエスのみ。キリストがすべて」と。
そして遠藤氏は祈りをもって説教を閉じた。
「いつもあなたを見つめ、あなたの御姿を確認しながら、あなたの愛に励まされ、永遠の御国への道を喜び歩ませてください。あなたと労苦を共にしながら、教会と世界に仕える恵みをお与えください。なお悲しみの中にある一人一人を天から慰めをもってお支えください」

(写真:東京基督教大学提供)
葬儀の最後には、宮子夫人がこのように参列者にあいさつをした。
「今日はお忙しい中、たくさんの方にお集まりいただきありがとうございました。61年という短い生涯でしたが、こんなにも多くの皆さまに慕われ、愛していただき、神様に用いられたことを感謝いたします。皆さまには、折に触れて主人を思い出していただき、主人がやり続けてきたことをいろいろな形で引き継いでいただいて、神様に用いられますならば、こんなに幸いなことはありません。本日はまことにありがとうございました」
大きな悲しみの中にも、小林氏が61年の生涯を走り抜いて天に凱旋するのが目の前に見えるような希望に満ちた葬儀だった。

(写真:東京基督教大学提供)
小林氏は1956年、長野県東御(とうみ)市生まれ。大学在学中の78年クリスマスイブ、日本基督長老教会杉並教会で洗礼を受けた。80年、東京外国語大学卒業後、東京都立永山高等学校の英語教師をしていたが、84年、献身して東京基督神学校に進んだ。87年に卒業して間もなく宮子夫人と結婚。95年から東京基督神学校で教鞭をとるようになり、99年には日本長老教会の教師として按手を受け、2000年から日本長老教会柏シャローム教会の牧師を務めた。そして2014年、TCUの学長に就任した。
小林氏は、アジア神学協議会加盟学校の資格審査やバイオラ大学訪問のために米国滞在中、心筋梗塞の発作を起こした。救急車で搬送され、集中治療室で緊急救命措置を受けたものの、10月24日(日本時間)、夫人と同大関係者が現地に着く前に容体が急変し、神のみもとに召された。