【童話】星のかけら(13)アルムのなやみ・その2、星のかけら(14)アルムのなやみ・その3、星のかけら(15)アドベンチャーに出発・その1、星のかけら(16)アドベンチャーに出発・その2、星のかけら(17・最終回)そして再会

【童話】星のかけら(13)アルムのなやみ・その2、星のかけら(14)アルムのなやみ・その3、星のかけら(15)アドベンチャーに出発・その1、星のかけら(16)アドベンチャーに出発・その2、星のかけら(17・最終回)そして再会、
 
コラムニスト : 和泉糸子

★【童話】星のかけら(13)アルムのなやみ・その2、コラムニスト : 和泉糸子

ユキトはパソコンを開きました。誕生日のお祝いに中古のノートパソコンをもらってから、調べ物をするときはいつも自分のパソコンを使うことができるので、調べるのもうまくなっていました。
インターネットのヤフーのホームページを開いて、色川茶と入れてみました。そうすると「色川茶業組合」というのがのっていたので、クリックすると、お茶の写真の下に電話番号と住所が書かれていました。和歌山県なんだ、ずいぶん遠くだなと思ったけれど、住所と電話番号をメモしました。
そして、翌日の夕方、ユキトは思い切って電話をかけました。「もしもし、ちょっとお聞きしますが、友達が旅行中にお世話になった人にお礼を言いたいので探しているのですが、その人から色川茶をもらったので、そちらに聞いたら分かるかと思って。カンサイさんという牧師さんなんですが」
「ちょっと待ってもろうていいですか」と女の人に言われてしばらく待つと、男の人に代わって「その人ならナチカンサイさんいう人で都留(つる)市のましみず教会の牧師さんやと思うけど」という返事でした。「ありがとうございます」と言って電話を切ると、またパソコンを開いて「ましみず教会 都留市」と入れると、教会のホームページにヒットしました。
そこには、やさしそうな目をしたカンサイさんの写真があり、丸太を組み合わせて作ったような教会堂の写真とツリーハウスの写真がのっていました。ツリーハウスもあるんだとユキトはうれしくなりました。
教会堂もぼくたちの秘密きちのログハウスに似ているし、会ったこともないカンサイさんに親しみを感じて、思い切って手紙を書くことにしました。早速アルムに知らせると、飛んで来て、ホームページの写真を見て、カンサイさんだ、元気なんだと大喜びしました。
1週間ほどたって、カンサイさんから返事が来ました。毎日学校から帰ると、メールボックスに飛んでいき、カンサイさんの返事を待っていたユキトは、大急ぎで手紙を開けました。そこにはこんなことが書いてありました。
「幸音(ゆきと)くん、お手紙ありがとう。君があのアルムやグリーやブランの友達だとはびっくりしました。またビタエさんにも会って、小人の国にまで行ったなんて、ほんとにおどろきました。実はあの3人とも、不思議な神様のみちびきで、私が仲間のところに連れていく役わりをしたのです。そのことはお会いしたときにくわしくお話しましょう。
月山満画伯のことや、ビタエさんと月山常雄さんの友情(ゆうじょう)、また君たちの冒険のこともうれしくお聞きしました。君たち3人組にもぜひ会いたいです。月山画伯のアトリエも見たいし、メルヘン美術館にも行ってみたいと思っています。
きみのおじさんの大森伊佐久(いさく)牧師は、私の神学校の少し後輩(こうはい)に当たるのです。君が大森牧師のおいだというのも不思議なことに思えました。
近いうちに機会を見つけて、大森牧師をお訪(たず)ねしたいと思います。その時にぜひ幸音くんと俊介(しゅんすけ)くんと健太くんに会いたいです。
アルムのお父さんのことは私もずっと気になっていました。和歌山のおチカさんというのは、実は私の母なのです。母も気にかけていましたが、見つけることができずに十年もたってしまいました。
一つ、本腰(ほんごし)を入れてお父さん探しをしないといけないなあと君の手紙を見て思いました。また連絡します。携帯の番号を教えてもらったので、電話するかもしれません。わたしの携帯番号もお教えしておきます。
君たち3人組と小人の3人組の上に神様の祝福がゆたかにありますようお祈りしています。
那智侃斎(なちかんさい)」
手紙をもらった次の週に、おじさんから電話がかかってきました。
那智侃斎牧師がこちらに来られるそうだ。ぜひユキトくんとシュンスケくんとケンタくんに会いたいという伝言だった。カンサイさんとどこで知り合ったの?」
「まだ会ったことが無いけど、友達が世話になったというので、インターネットで調べて手紙を書いたら、返事をもらったんです」と、ユキトは答えた。
「なんだかよく分からないけど、カンサイさんはいい人だから紹介するよ。ちょうど県民の日で学校も休みだろうから泊まりがけで来なさい」
そういうことで、またユキトは電車に乗っておじさんの家に出かけました。翌日の朝、カンサイさんが大きなキャンピングカーに乗って教会にやってきました。食事を作る場所もあり、ベッドもあります。3人組は、キャンピングカーの中を見せてもらって、こんな車で旅をするのは楽しいだろうなあと思い、カンサイさんのことをすっかり尊敬(そんけい)してしまいました。
アルムの言った通りの人でした。背が高くて、大きなすんだ目をしていて、声は低く、でもやさしいひびきで、初めて会ったのに、なんだかなつかしい人のような気がします。不思議な人でした。
3人組がキャンピングカーに夢中(むちゅう)になっている間に、カンサイさんはおじさんと話をしている様子でした。しばらくしたら、「これからいっしょに山の家に行くから」というおじさんの声がしました。
「この車で行きたいなあ」と、おそるおそる言うと、「いいよ、みんな乗りなさい」とカンサイさんが言いました。「大森牧師もいかがですか」「それじゃあ、わたしも」という声がして、5人で山の家に行くことになりました。
「大切なことだから、ぼくが小人たちのことを大森先生にお話しました。先生は事情(じじょう)を分かってくださって、秘密を守ること、そして君たちに協力してくださることを約束してくださいました。先生は君たちの冒険を見守ってくださる、そして相談があるときには、助けてくださる。でも、できるだけ自分たちの力で、やれることはやるように。君たちにはアドベンチャー、冒険をする力があたえられているのだから。それは分かりますね」と、カンサイさんは言いました。
この人はカンサイさんとよぶのが一番いい人だと、ユキトは思いました。
アドベンチャー・・・冒険。そうか、ぼくたちがしようとしているのはアドベンチャーなんだ、小人との思いがけない出会いは、ぼくたちの心の中に冒険する力が生まれ、育つためなのだと、3人の子どもたちは、カンサイさんの話を聞いて、初めて思わせられました。
カンサイさんがカーナビに山の家の住所を入れて、助手席におじさんが乗って、3人組はソファでくつろぎながら、アドベンチャーに向かってドライブを楽しみました。ログハウスに入るとカンサイさんは、木のはだざわりを楽しむように、一つ一つの丸太にさわり、「いい家ですね」と言いました。そして、ピアノのふたを開けて、さんびかをひきました。
上手なえんそうとは言えませんでしたが、心のこもったえんそうのように思えました。「屋根が高いから音のひびきがいいねえ」と言い「君たちもひいてごらん」と言いました。ケンタが子どもさんびかをひきました。「うまいじゃない」。カンサイさんがほめました。ユキトもつられて「チョウチョ、チョウチョ、ナノハニトマレ」と右手だけでひいてみました。
おじさんがペットボトルのお茶を持ってきてくれたので、一息ついて、みんなでアトリエに向かいました。
「この下に地下室があるんだね。ぼくたちも小人の家をほう問させてくれるかい」。カンサイさんは、3人組にきちんと頼みました。3人組はうなずいて、ユキトとケンタがじゅうたんをめくり、シュンスケが地下室へのカギを開けて階段を下り、カンサイさんとおじさんが続いて、5人は地下室の小人の家あとにおりたちました。
「実はきのう、ビタエさんと話をしました。大森牧師をほう問すること。君たちとも会うこと。山の家に行って地下室のビタエさんの昔の家にもおじゃますること。アルムが行方不明のお父さんを探したいと思っていること。そしてユキトくんに、ぼくを探してほしいとたのんだこと。子どもたちだけでは手にあまると思って、事情を大森牧師にお伝えしようと思っていること。そういうことをみんな、ビタエさんは分かってくれました。それで、今日はこの場所にビタエさんが来てくれることになっています。ビタエさんの昔の住まい。なつかしい場所に行きましょう。ユキトくん、教えてください」
カンサイさんの話を聞いて、ユキトは先頭に立って、地下室の奥のアコーディオン・ドアを開けました。すると、小人の家のソファにビタエさんとアルム、ブラン、グリーがすわっているのが見えました。
子どもたちは子どもたち同士でうれしくなっておしゃべりを始め、カンサイさんはビタエさんとひさしぶりの対面をなつかしがっています。大森牧師だけが、おどろいた顔をかくそうともせず、きょろきょろと周りを見回していました。
けれど、もともと、物静かな落ち着きのある人なので、だんだんに周りの様子が分かってくると、紹介(しょうかい)されてビタエさんと話し始め、月山常雄さんの、このところの様子などを心配そうに報告(ほうこく)しはじめました。(つづく)
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◇1944年生まれ、福岡市出身。1965年、福岡バプテスト教会で受洗、のちに日本基督教団の教会に転入し、Cコースで補教師試験に合格。1996年より我孫子教会担任教師、2005年より主任担任教師となり、20年間在職。現在日本基督教団隠退教師。
九州大学文学部卒業。東京都庁に勤務後、1978年より2002年まで、船橋市で夫と共にモンテッソリー教育を取り入れた幼児教育や、小中学生対象の教えない教育という、やや風変わりな私塾(レインボースクール)を運営。
童話「星のかけら」は、小学生の孫のために書いたものですが、教会学校の子どもたちが少なくなっている今、お話を通して教会や神様に少しでも出会える場が与えられればうれしいです。

★星のかけら(14)アルムのなやみ・その3 
コラムニスト : 和泉糸子

「常雄さんは私の親友です。だれも友達のいなかった私にとって、あの人はかけがえのない大事な人でした。それに、仲間のところに行けたのもあの人のおかげです。この家で子ども時代のぼくたちは兄弟みたいにしてすごしました。だけど、つねくんは年をとって体も弱って、ぼくはまだわかく元気でいる。こういう点では小人と人間はちがうと思わせられますね。だけど、ぼくらはいろいろちがっても、同じ気持ちで結ばれている。だから、今でもつねくんが元気なときには、話しかけると答えてくれるし、いろいろと報告しあうこともできています。
ほら、今もつねくんの声が聞こえる。山の家の地下室に今いるよと教えてあげたら、行きたいなあとかえってきました」
「ビタエさん、ぼくもアルムたちとテレパシーで話ができるようになれますか」。ユキトが聞くと、「どうだろう。どうしてそうなったのか、ぼくにも分からないから」とビタエさんが答えました。
ユキトは前から聞きたいなあと思っていたことを、思い切ってビタエさんに聞いてみました。「あのう、ビタエさんは魔法(まほう)使いなんですか。ゆで卵を焼き物に変えたり、ぼくたちに小人の国への道を開いてくれたり、そんなことができるのは魔法の力があるからですか」
ビタエさんは困ったような顔をしたけれど、答えてくれました。「ユキトくん、小人は人間の持たない力を持つことができるのです。それを魔法とよぶのならそう言えるかもしれません。人間の科学とはちょっとちがうけれど、学べばできるようになるそういう力が私たちにはあるのです。私の父はそういう力を持っていましたし、本も持っていました。私も父に教えられ、本も読んでいろいろなことができるようになりました。小人の国は、そういう技術(ぎじゅつ)の力でできたものです。まだ完全なものではないので、力を合わせて作り上げている途中なのですが」
そして、ブランとグリーとアルムと初めて出会った時のことを、カンサイさんは話してくれました。
「いちばん初めがブランとの出会いでした。
それは、まだ20代のころ。私は和歌山県の田舎でアメリカ人の宣教師(せんきょうし)から洗礼(せんれい)を受け、東京の神学校に進みました。宣教師の家庭とは家族同然の親しいつきあいをさせてもらっていましたから、田舎に帰るたびにおじゃましていました。
大切な話があるから家に来るようにという伝言があり、何だろうと思って出かけましたら、『私はまもなく任期が終わってアメリカに帰らなければならないことになった。ついては、1つの大切なことを君に頼みたい』。
そう言われて、ブランとお母さんのことを私にたくされたのです。私はたびたび宣教師の家におじゃましていたけれど、小人の世話を先生ご夫妻(ふさい)がしておられることは知りませんでした。
『ブランのお父さんはアメリカで亡くなり、お母さんを宣教師がほごした。そして、日本にふにんする予定だったため、連れて来た。お母さんは当時身ごもっておられ、日本でブランが生まれた。けれどその後から、お母さんは病気がちになられて体力的に不安定なので、とてもアメリカにお連れするわけにはいかない。君しか頼める人はいないから、この母子を見守ってあげてほしい。君のお母さんも信らいできる人だから、お母さんといっしょに助けてあげてほしい』。そのようないらいでした。
その時初めて、私はブランとお母さんに会いました。
母が助けてくれましたので、気になりながらも神学校の学びを続け、卒業した後、ふにん先の教会にブラン母子をお連れしました。幸いすぐに結婚(けっこん)しましたので、妻も助けてくれました。ブランのお母さんは、その後亡くなりましたが、亡くなる前に黄色い玉を私にたくし、いざという時の小人の通信方法を教えてくれました。
それからしばらくして、私は都留(つる)市の友人の家をたずねる機会を得ました。山の中で道にまよい、車をおりて歩いていましたら、黄色い玉とよく似たかけらが落ちているのを見つけたのです。赤や青や緑の小さなかけらもありました。
もしかして小人が近くにいるのではと思い、ブランの母に習ったやり方で黄色い玉をセットしました。すると返事があり、私は初めてほかの小人に会うことができたのです。その人はルルーという名前の方でした。
私はブランをその方にあずけました。そして、その後、都留市の近くに場所を求めて開拓(かいたく)伝道をするようになったのです。開拓伝道というのは、教会の無い所に新しく教会を作ることで、大変な仕事ですが、小人たちに連絡できる場所にいたかったからですし、都留が気に入ったからでもありました」
カンサイさんはお茶を1口飲んで、グリーのことを話してくれました。
「グリーの家族を見つけたのは妻の父親でした。九州に住んでいた妻の父は、毎朝犬の散歩をするのが日課でした。ある雨上がり後の朝のこと、日ごろはおとなしい犬がたいそうほえるので、びっくりしてあたりを見回すと、水たまりの中に落ちて苦しんでいる小人の子どもを見つけました。そばにおろおろしている父親と母親もいました。
妻の父はおだやかで、やさしい人でしたから、かわいそうに思って子どもを助け上げ、父親と母親も連れて家に帰りました。そして妻の母といっしょに親切に世話をしました。母もやさしい人でしたから、グリーの一家は幸せであったと思います。
用事があって妻が帰省したのは、グリーの家族が助けられてから、1カ月ばかりたったころでしたが、老いた自分たちが世話を続けることができるだろうかと不安を覚えて、両親は妻に相談をしました。妻はすぐに私に連絡してきました。しばらくして、私は車でかれらをむかえに行きました。そして、長老のルルーにグリーの一家をたくしたのです」
「そして、最後にアルムの話です。ユキトくんはもう知っていると思うけれど、最初から話しましょう。
私の母は千佳(ちか)という名前ですが、近所の人たちはおチカさんと親しみをこめてよんでいます。世話好きで働き者の母は、父が早くに亡くなったため、行商をして私を育ててくれました。
和歌山の田舎で、母はいつものように軽トラックに荷物を積んで働いていました。その時、悲鳴のような声がしたので、車を止めて見回すと、ネコが何かをおそっている、そういう現場(げんば)を見ました。母は石ころを拾ってネコに投げつけ、落ちていた木のえだでネコの頭をたたくと、にげていきました。あとには、ケガをしたアルムの母と、ふるえているアルムの姿がありました。
母はあわれに思って2人を連れ帰り、きず口をあらい、薬をぬって、寝床を作ってかいほうしたのです。それから具合がよくなるまで納屋の中にかくまって、食事や身の回りの世話をして、ブランのことも話して聞かせたのです。
そうやって回ふくすると、私の元に2人をたくすために、軽トラックに乗せて途中の山の中で私と落ち合って、私の車にアルム母子は乗りかえたのです。
そして、またまたルルー長老に私は2人をたくしました。その時、初めてビタエさんにもお会いしました。ルルー長老も年をとられ、ビタエさんを次の長老にと考えておられたようで、私に紹介してくださったのです。
その時、アルムとお母さんは行方の分からないお父さんのことを心配され、自分たちだけが先に行くのをためらわれました。けれど、説得して小人の国に先に行ってもらいました。私はお父さんを探すのをわすれていたわけではなかったのですが、母も気をつけてはいたのですが、見つけることができませんでした。
10年もたちました。申しわけないと思っています。
ユキトくんとシュンスケくん、ケンタくんがアルムのことをとても心配している。そう聞いて、私もこうしてはいられないと思い、大森牧師にも事情をお話しし、ビタエさんにもお話しして、今日このゆかりのある場所にみんなで集まることを考えました。アルムのことをグリーもブランも自分のことのように心配しています。
この夏、1つのプロジェクトを組みましょう。『アルムのお父さん救出作戦』。みんなで力を合わせて、いいですか、希望を持って、祈りながら、アドベンチャーをするのです。この冒険に加わりたい人は手を挙げてください」
いっせいに手が挙がりました。3人組も、小人の3人組も、ビタエさんも、大森牧師も、そして立ち上がっていちばん高く手を挙げたのはカンサイさんでした。(つづく)
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★【童話】星のかけら(15)アドベンチャーに出発・その1 
コラムニスト : 和泉糸子

夏休みになりました。3人組はアドベンチャーに出発しました。
カンサイさんの教会で、ツリーハウスで一泊(ぱく)子どもキャンプが開かれるのに参加するため、都留(つる)を目指して特急かいじに無事乗車しました。大森牧師の1人娘の奈緒美(なおみ)さんは大学の寮(りょう)に入っているけれど、夏休みに帰って来たので、シュンスケとケンタを新宿まで連れて行ってくれることになりました。船橋(ふなばし)駅でユキトと落ちあって、特急に乗るところまで付きそうと言うので、3人組だけで大丈夫だと思ったけれど、お願いしました。
ナオミ姉さんがついて来なくても、ぼくたちだけでやれたよねとユキトは口をとがらせましたが、乗りかえが何回もあり、かなり大変だったので、ついて来てもらってよかったとシュンスケは思いました。最初にまごつくとこまるなあとケンタも思っていたから、特急が走り出すと、ずいぶん気が楽になりました。
特急の車内で3人組は早速「アルムのお父さん救出作戦」の作戦会議を始めました。大月(おおつき)駅でおりると、カンサイさんが迎(むか)えに来てくれる手はずでした。
最初親たちは、子どもキャンプだけならまだしも、キャンピングカーでの旅まではみとめてくれませんでしたが、大森牧師が頼んでくれて、那智(なち)牧師夫妻が付きそうこと、自由研究もちゃんとやるということで、ようやくゆるしてもらえたようなわけでしたから、自由研究のテーマを3人はそれぞれに考えていました。
和歌山(わかやま)県の伝説というのがユキトの考えたテーマでした。インターネットで調べたら、小人の伝説はなかったけれど、巨人(きょじん)の伝説を見つけました。それはどうだろうという意見でした。シュンスケが考えたのは、林業や、みかんや茶のさいばい、漁業などの産業についてでした。ケンタは千葉(ちば)県と和歌山県の関係というテーマを考えていました。白浜(しらはま)とか、勝浦(かつうら)とか似たような地名があることから、なにかあるのではと思ったそうです。
みんなが同じテーマにしなくてもいいけれど、共同でやれる部分があったらいいねと3人は話し合いました。
そうこうしているうちに大月駅につき、迎えに来てくれたカンサイさんの車に乗って、ましみず教会に向かいました。子どもキャンプは次の日の朝に始まります。3人組は一足先について、その夜は牧師館に泊めてもらいました。
ツリーハウスは4本の大きな木の間に建てられたしっかりした手作りの家でした。1階部分にも部屋があり、内階段で上の階に上れるようになっていたけれど、外からはしごで上ることもできるようになっていましたので、3人組ははしごを上って2階にあがりました。木の枝(えだ)や葉っぱがかぶさっているようなツリーハウスの中でキャンプをするのは楽しみだなあと思いました。
キャンプが終わると、10人ほどの子どもたちは帰って行きました。
その晩、カンサイさんはビタエさんに連絡をしました。アルムとブランとグリーの小人の3人組を連れてビタエさんが現(あらわ)れ、みんなに小さな笛をわたしました。
「これは小人にしか聞こえない言葉を伝える笛です。アルムのお父さんが隠(かく)れていそうな場所にきたら、手分けしてこの笛を吹(ふ)いてください。
こういう声が込(こ)められた笛です。
『アルムがあなたを探しています
なつかしいお父さん
ここにいるのはぼくの友だち
大丈夫です 出てきてください
アルムがあなたを探しています』
こういう声が小人には聞こえるのです。ユキトくん、吹いてみてください」
ユキトが笛を吹くと、普通(ふつう)の笛の音がしました。アルムは感動してビタエさんを見つめていました。
「ビタエ様、ありがとうございます。お父さんに聞こえればいいのに」
和歌山への旅は、翌朝早く始まりました。高速道路を乗りついで、休みなしでも7時間かかるということでした。キャンピングカーにはカンサイさんと奥さんの那美(なみ)さん、そして人間と小人の3人組、計8人が乗りました。途中で何回か休憩し、食事も取ったので、ついたのは夕方になりました。
伊勢(いせ)自動車道を降りると、急に山道になりました。くねくね曲がった国道42号で矢(や)の川(こ)トンネルをぬけてしばらくすると、「このあたり来たことがある」とアルムが言いました。「ここは三重県だけど、かなり広いはん囲をさがさなければだめかもしれないね」とカンサイさんが言いました。
カンサイさんの親せきがやっている民宿があるので、そこに泊まることになりました。「あまりはやっていないから、お客はぼくたちだけ。広くないけどお風呂は温泉(おんせん)だから、つかれが取れると思うよ」とカンサイさんが言いました。
部屋に食事を運んでもらい、あとは自分たちでやりますと言って、様子を見てから小人の3人組を出してあげて、いっしょに食事をしました。カンサイさんが先にお風呂場を見に行き、3人組と小人たちを連れていっしょに温泉に入りました。
アルムとブランとグリーにとって、温泉初体験でした。大たんなカンサイさんは、アルムたちにもいろいろなことをチャレンジさせてくれます。3人組もずいぶん前向きになってきました。(つづく)
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★【童話】星のかけら(16)アドベンチャーに出発・その2 
コラムニスト : 和泉糸子

翌日、カンサイさんと那美(なみ)さんは小人の3人組を連れておチカさんの所に行きました。民宿のおじさんが3人組を鉱山資料館(こうざんしりょうかん)に連れて行ってくれると約束してくれたので、別行動を取ることになりました。
ユキトが巨人(きょじん)伝説や小人の伝説を調べていて、1本足で1つ目の大男の伝説が和歌山県わかやまけん)にあると聞いたけど、と話したところ、「1本ダタラのことかのう、1つタタラいう人もおるけど、タタラいうのはもともと、ふいごで吹いて鉄を作っていた人のことを言っておったんやけど、それが妖怪(ようかい)のようになってしもうた、そういう話はたしかにある」。
鉄じゃないけど、と言っておじさんは鉱山資料館の話をしてくれました。ちょっと不便な場所だから車じゃないといけないので、連れて行ってあげようかと言われて、お願いしますとたのんだのでした。
熊野市(くまのし)紀和(きわ)鉱山資料館という名前の資料館でした。小学生は100円の入館料で、鉱山の歴史がよく分かる展示(てんじ)がされていました。「ここに銅山(どうざん)があったんだね」と言いながら外に出ると、選鉱場(せんこうじょう)のあとがあり、トロッコ電車が走っているということでした。
土地の人のように見えるおばさんがいたので、ユキトは思いきって聞いてみました。「この辺に、巨人や小人の伝説はありませんか。夏休みの自由研究で調べているのですが」
「巨人の伝説言うたら1本ダタラの話があるのう。けど小人の伝説はないよ。でも、あれ、ちょっと前にチエちゃんいう子が小人に助けてもろうたと言ってたような気がするけど」
「チエちゃんってこの近くに住んでるのですか」
「あの子はちょっと変わっているさかい、でたらめ言うてるかもしれんけど、行方不明になって心配して探してたら、翌朝1人で帰って来て、小人に道を教えてもらったなんて、わけの分らんことを言うてたけど、気にせんといて」
「もしよかったらチエちゃんの家を教えてもらえないでしょうか。伝説じゃなくても、面白そうな話だから、聞いてみたいです」
「そやなあ、だれから聞いたと言わんでほしいけど、チエちゃんの家は、ほら、そこの角のポストのある店から3軒目のところや。大野いう家や」
そのままチエちゃんの家をたずねたいところでしたが、民宿のおじさんが、帰るぞと声をかけたので、いったんは引き揚げることにして、3人組は宿に帰りました。
自由研究のテーマは三重県(みえけん)に広がり、銅山の歴史をパンフレットや写真をもとに整理していると、カンサイさんが帰ってきました。那美さんはおチカさんの家に残って手伝いをするということでした。おチカさんも80歳(さい)になり行商(ぎょうしょう)の仕事も辞めて、今は畑仕事を楽しみにしているそうです。
カンサイさんたちは小人の笛を吹いて、おチカさんの家のまわりで呼(よ)びかけてみましたが、こたえはなかったということでした。
チエちゃんの話を聞いて、明日行こうとカンサイさんが言いました。
翌日、カンサイさんの運転で、一同はふたたび鉱山資料館の近くに行きました。
チエちゃんは家にいました。おばさんが言ったように、たしかにちょっと変わった子でした。大きな目でじっと顔を見るので、ユキトはきまりが悪くなりました。
「チエのこと、みんながうそつきだって言うのよ。でもホントのこと言ってるのに。オウムのペロがいなくなったの。それで探しに行ったら、道が分からなくなって。私、いつも道をまちがえるの。どうしても覚えられないの。だから新しい場所に行くときはドキドキするし、すごく緊張(きんちょう)するの。それで帰れなくなって、暗くなってきて、泣いてたの。そいでまた歩いて、歩きくたびれて、眠くなって、少しねたのかな。のどがかわいて、でも飲む物もなくて、また、泣いたの。そしたら、だれかが、声をかけてくれたの。
それが小人さんだったの。どうしたのって聞いてくれて、道が分からなくなったって言ったら、明るくなったら教えてあげるから、今は休んでいなさいって言って、お水をくれたの。ほんの少しだったけど、元気が出たの。
その人が聞いたの。私のような小人を見なかったかって。見なかったって言ったら、そうですかって悲しそうな顔をしていたの。
そいで、明るくなったからって、後についておいでって、入り口まで案内してくれたの。でも、みんなチエちゃんは作り話をするからって、信じてくれなかったの」
「オウムのペロはどうなりましたか」ってカンサイさんが聞きました。
「ああ、ペロはもどってきたの。連れて来るね」
チエちゃんはオウムの鳥かごをかかえてもどってきました。
その時、ペロは「アルム、ミムラ」と悲しそうな声で言いました。
「ペロは時々、こんな言葉を言うようになったの。不思議でしょ」
カンサイさんは、静かな声で言いました。「ほんとに不思議な話ですね」
「ところでチエちゃん、あなたが小人に助けられたのは、いつごろのことですか」。「去年の夏、チエのお父さんが名古屋から帰って来る前だった。お父さんにもらったオウムだから、いなくなったらお父さんがっかりすると思って探しに行ったの。でも、ペロが帰って来て良かった」
「チエちゃんのお父さんは名古屋でお仕事してるの?」
「そうだよ。チエはおじいちゃんとおばあちゃんといっしょにいるの。でも2人とも今、畑に行ってる」
「お母さんは?」
「死んじゃったの」
「それじゃあ、さびしいね。また、今度遊びに来てもいいですか」
「いいよ。おじさん、いい人だから。チエ、おじさんのこと大好きだよ」
「ありがとう、小人のお話をしてくれて。ぼくはチエちゃんの話本当のことだと信じるよ」「ぼくも」「ぼくも」と、3人組も言いました。
「チエもありがとう。信じてくれてうれしい。また来てね」と、チエちゃんが明るい声で言いました。
キャンピングカーにもどると、小人の3人組が「どうだった?」と聞いてきました。
「ヒットだよ。いや、ホームランかもしれない」。カンサイさんが言いました。
「すくなくともアルム、君のお父さんは生きている。チエという子が1年前にお父さんに会った。それはたしかだ。いなくなったオウムもお父さんに会っている。アルム、ミムラってオウムが言うのを聞いた。ミムラは君のお母さんの名前。お父さんが何度も君たちの名前を呼んでいるのをオウムは聞いたんだよ」
その話を聞いたアルムの喜びようったら。涙(なみだ)をぽろぽろこぼして、ワーワー声に出して泣いた後、今度は大笑いをして、感情(かんじょう)のブレーキが利(き)かなくなって、アルムはその後、ぼんやりしていました。
カンサイさんが早速ビタエさんに報告して、アルムのお父さんが生きていることをお母さんに伝えてもらいました。しかし、問題は、どうやったらアルムのお父さんに出会えるかということでした。広い紀伊山地(きいさんち)の山の中、どこにいるのか分からない、隠(かく)れ暮らしている小人を探し出すのは、とても大変だろうと、みんなは喜びながらも思っていました。(つづく)
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★【童話】星のかけら(17・最終回)そして再会 
コラムニスト : 和泉糸子

ノードは一人ぼっちの生活になれてしまいました。
この広い大地に仲間はだれもいない。いや、いるのだろうが、どうやったら連絡が取りあえるのか、さっぱりわからない。ずいぶん前には家族がいた。妻のミムラと息子のアルム。隠れながら暮らしていたけれど、いつかは他の仲間に会える日が来ることを信じていたし、家族がいたからささえ合って、はげまし合って、夢をしぼませることなく、山の中をキャンプしながら移動していた。
家族のきずながどんなに大きかったことか。でも、今は一人ぼっち。あの日、たしかにミムラの悲鳴を聞いた。遠くはなれていたけれど、心にまっすぐ伝わってきた。何かあったにちがいない。ミムラは生きているのだろうか。アルムはどうしているのだろうか。考えても、考えても、答えは返ってこない。
家族と別れた場所に行ってみた。けれど、見つけることはできなかった。おそるおそる人家の近くに行ってみたけれど、人の気配がすると、にげ隠れしなければならない身をなげくばかりで、家族を探すことはできずにいた。
山の奥深くにひそんで、木の実を食べ、川の水を飲んで、時には畑の作物を少しもらって、何とか命をつないできた。家族に会えなければ生きていても仕方のない命だと思うけれど、いつかはめぐり会えるという思いが、どうしても消えない。山奥でアルム、ミムラと声に出してさけぶと、こだまが返ってくる。
私は生きている。アルム、ミムラ、生きているのか。返事をしてくれ。
同じことを、ついつい思いながら毎日眠りにつく。夜の間に命は消えず、朝の光と共に、私はまた、一人ぼっちの一日を始める。
ところが、去年不思議なことがあった。家族の気配とはちがうけれど、なにか似たような波長を私は感じた。他の小人がいるのかもしれないと思って、私は我(われ)をわすれて近よると、人間の女の子がたおれていた。
毎年のことだったが、はなればなれになった時が近づくと、矢も盾(たて)もたまらず、家族と別れた場所に向かうのが私の習かんになっていた。その時も、そうやって移動している途中だったので、日ごろの用心をわすれてしまっていたらしい。
女の子は不思議なことに、小人に似たやさしい波長を出していた。そしてつかれ果てて泣いていた。私は初めて、人間に対して、あわれみを感じた。
「ペロがいなくなったの。探しているの。わたしのオウム、見かけなかった?」
その子は私に聞いた。私が小人であるのを、不思議とも何とも思わない、くったくのない表情を見て、人間にも、こんな子がいるのかと、私はびっくりした。
そして私はその子に持っていたわずかばかりの水をあげた。
「わたしチエというの。ありがとう、小人さん
その子に名前を言うわけにはいかなかった。けれど思いきって「わたしのような小人を以前に見たことがありますか」と聞いてみた。
「ううん、あなたが初めてよ。小人さんってホントにいるのね。会えてうれしかった。助けてくれてほんとにありがとう」とその子は言った。
それから1年になる。また、家族と別れた場所に行ってみよう。
いつになったら私の旅は終わるのだろう。
ノードは、山伝いに里に下りていき、チエと出会った山も通りぬけて、1人とぼとぼと歩き始めました。
カンサイさんと一行はチエのまよった山の中に入りました。
カンサイさん、3人組、小人の3人が少しはなれて、それぞれに笛を吹きました。
「アルムがあなたを探しています
なつかしいお父さん
ここにいるのはぼくの友だち
大丈夫です 出てきてください
アルムがあなたを探しています」
人間の耳には聞こえないが、アルム、ブラン、グリーの耳にはそう聞こえる笛の音でした。
ノードが近くにいれば、出て来てくれるかもしれない。みんなは場所を移動しながら笛を吹きましたが、あたりは静まったままでした。
次の日、一行は民宿を出て、カンサイさんの実家、おチカさんの家に移動しました。那美(なみ)さんが、みんなが泊まれるように準備してくれていました。
おチカさんはアルムやブランと再会して涙を流しました。グリーの話も聞いて、「あんたも大変やったね。でもお父さんとお母さんがいっしょでよかったのう」と言いました。そして、「お父さんに会えるといいねえ。わたしも気をつけてはいたんだけど、ごめんしてな。力が足りんで」と、アルムにあやまりました。
カンサイさんが教会の子どもたちを連れて帰ってきたというので、近所の人たちはたずねて来なかったので、アルムたちも人目を気にせずにすごすことができました。おチカさん手作りの「かきまぜ」というおすしをごちそうになり、畑でとれたてのトマトやキュウリを、那美さんがサラダにしてくれて、みんなは民宿とは一味ちがう、家庭の味を喜んでいただきました。
そして、その次の日、おチカさんもいっしょにキャンピングカーに乗って、アルム親子を助けた場所を教えてくれました。
そこは人家からは少しはなれていたけれど、通る人もたまにあり、車も時に通る場所でしたから、カンサイさんは少し奥まった所に車を止め、小人たちはおチカさんといっしょに車に残って、3人組とカンサイさんだけが探すことになりました。
カンサイさんが笛を吹きました。ユキトも笛を吹きました。シュンスケも笛を吹きました。ケンタも笛を吹きました。4人には聞こえないけれど、笛の音があたりに語りかけました。
「アルムがあなたを探しています
なつかしいお父さん
ここにいるのはぼくの友だち
大丈夫です 出てきてください
アルムがあなたを探しています」
あたりは静まったままでした。
おチカさんが車をおりてきました。アルムを連れています。
「お父さん、アルムです。ぼくも母さんも生きています。
お父さん、ここにいるなら出てきてください。
この人たちは味方です。
大丈夫です。お父さん」
4人はまた、笛を吹きました。
「アルムがあなたを探しています
なつかしいお父さん
ここにいるのはぼくの友だち
大丈夫です 出てきてください
アルムがあなたを探しています」
すると、ざわざわと草むらを踏み分けて、ノードが姿を現しました。
「アルム」
「お父さん」
その後のことは、書く言葉が出ません。うれしさが飛び交い、大きな、大きな風船がパンパンにふくらんではじけるほどのみんなの感動が、あたりの景色を変えるようだったとだけ言っておきましょう。
そうやって、2人の親子は10年ぶりに出会い、「アルムのお父さん救出作戦」は、無事終わったのでした。
「私は大したことをしなかったけれど、この作戦が成功したのは、親子の心と心の結びつきがもたらした奇跡(きせき)のようなものだったと思う。これもみんなの祈りがあり、協力があり、そして神様が助けてくださったからだろう」とカンサイさんは言いました。
3人組にとっても、この夏は大きな体験の時となりました。夏休みの自由研究には書けないことの中に、一番大切なことがあったのだけど、そのことはユキト、シュンスケ、ケンタの4年生3人組の心の一番奥にしまわれた宝物(たからもの)だったでしょう。
星のかけらをプレゼントされてから、何も知らずに始まった冒険。アドベンチャーをたくさん体験して、子どもたちは心と心のきずなの大切さ、あきらめない気持ちの大切さ、友情(ゆうじょう)の大切さ、信じることの大切さを一つ一つ、これからも持ち続けていたいと思わされていました。
キャンピングカーの中で、3人組と小人の3人組、そしてアルムの父ノード、そしてカンサイさんと那美さんは、一夏の体験を共にした親しみをかみしめながら、帰り道をたどっていました。
「富士山よ。今日は、とびきりきれいに見えますね」と、那美さんが言いました。ユキトは富士山の姿をながめながら、冒険はすばらしいと心から思っていました。(おわり)